みよ通信

●ゅ●通信じゃないです。

ライブ演出③-夏の終わりの雨音が

こんばんは

8月ぶりの更新らしいです。色々忙しく、なかなか書く時間と意欲が湧きませんでした

今日は、

夏の終わりの雨音が

という曲について。

12月に更新する内容じゃない、

と思うんですが、スクフェスACでプレイしたら楽しすぎてテンションが上がってしまったので勢いで書いた、手が勝手に動いてしまったブログになります。書くごとに考察が欠けてクオリティが落ちてる気がします。

時間がない方は、最後の"テーマ性"だけ読んでください。

また、あくまで僕の感想、考えなのでこれが事実かどうかはわかりません。意見を押し付けるつもりは0なのでよろしくお願いします。

曲の紹介

まず、夏の終わりの雨音が とは何?という方のために説明を書こうと思います。

ラブライブ!サンシャイン!! デュオトリオコレクションCD VOL.1 SUMMER VACATION(以下、デュオトリオCD)

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に収録されてる曲になります。

収録曲は以下の通り

01.夏への扉 Never end ver.
02.真夏は誰のモノ?
03.地元愛♡満タン☆サマーライフ
04.夏の終わりの雨音が

ライブでは 2nd LIVE の埼玉公演で披露されましたね。また披露してほしい。

それでは。

4曲の関連性と比較

先ほど述べたように、このデュオトリオCDに収録されているのは4曲で

ライブでの披露もこの順番、つまり

夏への扉 Never end ver. → 真夏は誰のモノ?→地元愛♡満タン☆サマーライフ →夏の終わりの雨音が
の順番でした。

関連性

この4曲の共通点は、全て"夏"を表す言葉が曲名に入っていることです。まあ当たり前といえば当たり前です。
そして、(共感していただけると思うんですが)披露順に並べると時の流れと一致しているように見えます。

  • 夏への扉、という"夏の始まり"
  • 真夏、という"夏の真骨頂"
  • 地元愛♡満タン☆サマーライフ

まぁこれは"真夏という夏のピークの後の安定した暑さ" というか。個人的には里帰りした時とかが思い出されます。

  • 夏の終わり、はそのまま"夏の終わり"

と考えると、色とりどりの夏の始まりから終わりまでをこの4曲で表してるようにもみえます。このCDに夏を収めたみたいな感じがしなくもない、かも。

比較

ここでは、主に表記を比較したいと思います。

今回のブログの主役は、夏の終わりの雨音が
なのでこの曲と他の3曲を比較してみます。
まずは印象から。

夏の終わりの雨音が、は特にネガティブ寄りな感じがすると思います(最後のセリフは置いといて)。
全体的に歌詞にもネガティブな言葉満載だと思います。例えば

空から私のような悲しみ降ってる

とか

大粒の雨 私のなかの涙みたい

とか

思い出なんていらないの 心が苦しくなるだけだと

とか。

他の3曲はポジティブ寄りだと思います。具体例は挙げないので歌詞を思い返してください。


次に、表記。

夏の終わりの雨音が

夏への扉 Never end ver.
真夏は誰のモノ?
地元愛♡満タン☆サマーライフ

の表記の比較をしてみます。まず曲名。
夏の終わりの雨音が、はひらがなと漢字のみ
他の3曲は、ひらがな漢字アルファベット記号など多彩ですね。
なんていうか、夏の終わりの雨音が この曲名、無駄がないと思いました。漢字で書けるとこは全て漢字で書いています。

それに比べて

地元愛♡満タン☆サマーライフ
ポップな感じというか、オシャレというか。
まんたんや満たんじゃなく、満タン という表記が親しみと共にセンスを感じさせるかなと。
しかも地元愛、これ熱、じゃなくてジモアイって読むと。
じもとあい

ジモアイ

後者の方がかわいい感じがします。あと音の良さを意識してる感じも。僕の主観ですが。
この違いは、、気が向けば書こうと思います。


夏の終わりの雨音が、は漢字とひらがなのみで構成されてます。ムダ、いえ、無駄がない。
ただ、遊び心がないとも感じられます(勿論貶してはいません)。
ただ、他の曲と比べても、夏の終わりの雨音が、は整ってる曲名だなという印象を受けます。

次に歌詞の表記。
例えば、

夏への扉 Never end ver は

"ぎゅーっ"と濃い時間が欲しい?

とか

ユウウツはどっか行っちゃえ

真夏は誰のモノ? は

Ah 情熱で灼かれたい

とか

真夏は誰のモノ?

とか

地元愛♡満タン☆サマーライフ は

イチバンはこの場所って気がしてる

とか

ぱーっと派手じゃない

とか

要するに、"カタカナ" を効果的に使ったり。所謂オノマトペを使ったりと
色鮮やかな歌詞に見えます。

それに対して、夏の終わりの雨音が、は

漢字とひらがなとアルファベットのみ使ってます(アルファベットというか英語はまあなんか格調高いというかなんという感じがしなくもない)。
カタカナを使ってないのが面白いなと。

Aqoursというかラブライブ!の曲というかまあ曲全般に言えますが、カタカナを歌詞に効果的に使っているのが多々見られます。詳しくは僕の過去記事を見てください。

この曲にはカタカナがないので余計固い感じというか、他の曲と比べてすごく真面目で素直な感じはします(アルファベットで補えてるという意見もあるかも)。

まとめ

夏の終わりの雨音は

  1. ネガティブな感じ
  2. 曲名に良くも悪くも無駄がなく整ってると思う
  3. 歌詞中にカタカナがない
  4. つまり、若干の固さを感じさせるかも

ということです。

ライブ

ではライブの演出について。

スクリーン


2nd LIVEのスクリーン、中央の上(デカいやつ)と下(ちっちゃいやつ)について考えます。
スクリーンには、雲り空と雨がひたすら流れてます。
サビと間奏とそれ以外(Aメロとか?)の3パターンくらい映像はありますね。

ただ、サビは雨で、それ以外はまあ大抵曇り空になってます。
サビ以外は上のスクリーンはキャラが、下のスクリーンには景色が主に映し出されてますが、
サビが近づくにつれて下のスクリーンの天気が崩れ、不安定になっていくという変化がスクリーンから分かります。

そして、サビは"雨"と言いましたが、これは少し微妙な表現かもなあと思います。
個人的には"(雨と)雨音"が最も合っていると思います。

なぜなら、
まず曲名に入ってるのは"雨音"
そしてスクリーンには、雨が水面?に落ちて広がる波紋が大きく複数描かれています。
勿論雨、も描かれてますね。

以上のことから、スクリーンに映し出されている映像は雨音を表しているんだと思います。

余談ですが、ステージにも雨が降って雨音と波紋が表現されてたりします。

そして、サビのカラフルさも面白いですね。
個人的にちょっと気持ち悪い(貶してません)感じも幻想的な感じもしますね。

振り付け

色々とありますね。歌詞を書いてから該当部分の振り付けについて書いてきます。ただ、1番2番などの対応する部分(サビなど)は割と内容的に一致してたりするので2度目は割愛したりしました。


何か始まるってことが
終わりにつながるだなんて

ここは始まり、と終わり、がポイントで、まあこの二つは表裏一体のような関係にありますね。対の関係にもあります。

該当部分の振り付けでは、

左手に右手をくっつけ、右手を上にあげ、両手をひっくり返して、右手は下げ左手は上げてます。

左手は"始まり"、始点であると考えられます。
そこから右手は始まり上昇、つまり始まって進んでいくのですが、
手のひらを両手ともひっくり返しました。
これによって終わりと始まりは上下、裏表ひっくり返って性質が逆になり、左手が"終わり"になると考えられます。
その左手、"終わり"が自ら右手に近づき、右手も下降して左手に近づいていく。これは右手を最初に上げたから、と考えられます。歌詞と一致してて面白い。
やや、どころか、かなり無理矢理な解釈かもしれませんが、始まりとか終わりとか、を振り付けで表してる曲はあります(例えば、HAPPY PARTY TRAIN)。

空から私のような悲しみ降ってる

この部分は、両手を上にあげて、つまり"私"の体の一部をあげて降ろす事で"降らせている"のかなと思いました。

とめどなく今を濡らして

"とめどなく"、で意味通り全身を触り、
"濡らして"、で雨、"私のような悲しみ"を降らせてます。この時手の指をぴらぴらさせてるのも凄くこだわってますね。雨が降ってるかのようで。

no more! September Rain

他のサビの同じ場所でも言えるんですが、
小指を立てて涙を拭いてるように見えます。悲しみと涙は一致しますね。
そして最後、手のひらを上にしてますが、これは雨が降ってるかどうか確認するときによく私たちがやるやつですよね(...?) まあ分かりやすい。

イントロ部分はランニングマンがやっぱり印象的ですね。ストレッチマンじゃないです。

動いてるのにその場から動いてないってのもどこかダンス自体に留まらず、彼女たちの心境を表してるのかな、と思いました。

わざわざ気持ちを確かめるってことも 必要じゃなくて

ここめちゃくちゃ手話っぽい手の動きですね。。両手の親指を立てて近づけて握りしめる、
まぁ気持ちを確かめる、と一致してるかもしれません。2人の気持ちを近づけて握りしめてると。
"必要じゃなくて"とあるのでその握りしめた手は最後に解いてますね。

波に問いかけるけど

手で波を表してたり

こんなに楽しい夏が ずっと続いてくって信じてたよ

続いてく、で手を伸ばしてるのはそういうことでしょうか?
信じてたよ で胸を叩き(胸、心…信じる)、手を遠ざけてます。
"信じてたよ"からは、信じてたけど実際は違ったというネガティブな意味が感じ取れます。この事から、信じてたことから遠ざかる事を、手を遠ざけることで表してるのかもしれません。

いつかは記憶も 薄れちゃって
なんども季節が変われば埋れてく
そして笑えるのかな

"薄れちゃって"で手を伸ばすのもなんとなくうなづけると個人的に思いました。

"埋もれてく"で手を重ねていってますね。
最初の手の位置は埋もれてしまいました。

また、この曲は特にシンメトリーを意識していると思います。円盤の映像を見ればなんとなく分かってもらえると思います。それによって、"笑えるのかな" で2人が向かい合って歌詞を口にしていたのがとても印象的だと思ったりもしました。

夏が終わる時 消えちゃうものだったなんて

ここで果南ちゃんがメインステージに走っていきましたね。
普通に考えたら、メインステージで歌うから間に合うようダッシュしたってとこでしょう。
しかし、もう少し考えてみると。

この曲全体の振り付けに言えますが、激しいですよね。
顔も少し落ち込んでるか険しいです、最後を除いて。

ダンス、身体の動きの激しさは心の中の激しさとリンクしてると思っています。

穏やかな気分の時はゆったりとした振り付け、地元愛♡満タン☆サマーライフ、みたいに。
楽しすぎ、熱い、といった感情の昂りは概して激しい振り付けになるかなと思います。勿論歌詞とかでいくらでも変わりますが、ある程度一致してると思います。

この曲に言えば感情の昂り、だと思われます。
歌詞からも分かるように、結構落ち込んでる、ネガティブな感じと共存して切なさ故の激しい感情が垣間見えるのではないでしょうか。
例えば

思い出なんていらないの
こころが苦しくなるだけだと

とか。歌詞が結構きついですね。
曲調や歌詞踏まえ、このような理由から、この曲の振り付けが激しいんだと思います。

では、果南ちゃんがいきなり走っていった、これは果たしてメインステージで歌うためだけ、に身体が動いたのでしょうか?

個人的には、感情の昂り(悲しさや辛さ寂しさ等)がそのまま行動に表れたと感じました。
また、結果的に千歌のいる方に走っていったのも良いですね。

誰もいないひとりぼっち

千歌の演技がすごい。
メインステージ2階で歌って踊ってた千歌は2番のサビで初めて階段を下り、メインステージ1階の地に降り立ちます。しかし、その前の"切ないね"あたりの振り付けから、周りをキョロキョロ見渡し、さらにがっかりした様子です(Day.2の映像がよく分かります)。

(2番終わりのセリフ)

ここら辺も果南と千歌、すごい演技。キャラクターの性格に合わせてる感じはします。

"背中も心も"の部分で果南が背中を向けてたり

"ひりひりしてるみたいだよ"で
手をひらひら波立たせながら身体に触れ
手をくっつけてますが、手のひら丸ごとくっつけてないのがポイントかなと。
指をくっつけてすぐ離す感じですが、

これは"ひりひりしてるみたい"だからと思います。この表現もすごい。。

夏の日焼けが原因だと思いますが、ひりひりする時点で"夏"を味わっていたことが分かり、背中という身体と心、が同時に傷ついているという事をまっすぐ示す歌詞。

そのまま痛いとか傷つくとか言うよりひりひりしてる、という言い方のほうが夏を感じさせる婉曲的な表現で美しい。。

そして直に触れまくると痛いから、指をくっつけてすぐ離してるんだと思います。


歌詞

では、歌詞について。

登場人物

歌詞カードを見ると、
"私" と "あなた" の2人かと思います。

"私"は歌ってる当人、千歌や果南の事で良いと思います。
"あなた"は誰なのか。僕も分かりません。なんなら歌詞に1回しか出てきてませんね(とはいえ明らかに誰か千歌や果南以外の人の存在は歌詞から感じ取れます)。

というわけで、●●説、みたいな感じでいくつか候補を挙げようと思います。

  1. 不特定の"あなた"
  2. 千歌や果南自身


"不特定のあなた"が個人的に一番それかなぁとは思いました。つまり、事実として誰か分かんない誰か、someoneです。よく分からないってのが答えかなと。

"夏" これは一瞬考えました。"夏"を人のように捉えてると。とはいえ歌詞中に"夏"は普通に出てくるので違うかもしれません。

"千歌や果南" これは正確には、"夏を楽しんだ過去の自分たち"という意味合いです。
歌詞を見ても、過去と今を対比させている、行ったり来たりしている感じはします。
スクリーンに雨音や波紋が映し出されてると先ほど述べましたが、水面に鏡のように映し出される自分の姿が過去の自分だったり将来の自分だったり、、ってのはよくあると思います。

また、"私"と"あなた"が、果南と千歌という捉え方もありますね。とはいえ流石に正解が分からないのでこんなもんにしておきましょう。


表記

先述した通り、夏の終わりの雨音が、は曲名も歌詞も他の3曲とは表記の点で違ってる感じがします。できるだけ漢字を使ってたり、カタカナで別の意味を持たせたり、とかしてなくて。

しかし、ひとつ引っかかる表記は

思い出なんていらないの

こころが苦しくなるだけだと

ほとんど漢字にすべき所は漢字表記なのに"こころ"はひらがなで。
理由はよくわかりませんが、まあひらがなは丸みがあってやさしい感じがするとかかなとは思います。とはいえ違和感があったので心なしか感情がこもってる気がしなくもないです。

実は"とつぜん"とかもひらがなになってるんですが、と考えると音を一つ一つ意識させる事で強調してるのかなと思ったり、本当に突然だったのかな、と思わされる表記()、ってのも考えられますね。


他の3曲の歌詞は"こころ"だったり"ココロ"だったりします。うーん、分からん。


テーマ性

長々と述べてきましたが、最後に今まで触れてきた内容を踏まえてこの曲から読み取れるテーマ性についてまとめます。その前に言葉の意味合いについて触れましょう。

雨音

曲名にもありますね。
雨音というのは、まぁ雨が何かしらにぶつかって鳴る音でしょう。
スクリーンの雨が降っている様子と波紋が広がる様子で、雨"音"を表しているのは凄いと思います(曲のメロディが雨音を表してる感じはしますが)。
そして、この雨音、"音"なので、雨を"見る"必要は必ずしもなく。例えば、家にいても雨の音は聞こえるし、窓を開けると雨が降っているのが見えるし。要するに、目で見なくても音で雨だと分かってしまうという。雨はふつう目で見るものなのに、少なくとも音だけで夏の終わりを察してしまえるのかもしれません。

今回の曲名は、夏の終わりの雨音が、ですね。
ここからわかるように、雨音つまり雨、と夏の終わり、は結びつきがあります。
夏は、暑い、つまり太陽を連想する人も多いのではないでしょうか。
この太陽は、晴れの日に見えます。
では曇り、雨の日は?たいてい見えません。
ここら辺から、曇りや雨は、夏や太陽というエネルギーの塊、暑さ、熱さの対極に位置しているとも取れます(アニメとか見てると曇りとか雨とか太陽とかがどう扱われてるか分かると思います。勿論それ以外の意味もあったりしますが)。

雨が降ったから夏が終わるわけではないですが、少なくともこの曲では、夏の終わりを、夏を象徴する太陽が見えない雨、雨音と結び付けていると考えられます。
まあ雨はネガティブな感じするんでポジティブの塊である太陽と結びつきはしないかも、とか。


もう少し考えてみましょう。


雨に含まれる意味について。
一般的には、雨は大地に恵みをもたらす豊穣や創造と、逆に天災という破壊、の両極的なイメージが沸くと思います。
他には"浄化"の意味合いで用いられたりします。落書きや汚れが雨で消えるのをイメージしてもらえたらなと思います。
ではこの曲については、

空から私のような悲しみ降ってる

大粒の雨 私のなかの涙みたい


これらから分かるように、この曲において"雨"とは千歌や果南の"涙"のようだと。

テーマ性


まず、この曲はネガティブな印象を受けます。
なぜか。
ずっと続いてって信じてた、こんなに楽しい、一度きりの夏が終わってしまうから。
そんな悲しみ、涙を雨で表しています。スクリーンの雨音は、曲のサビの部分、曲中の感情が最も高まる(?)部分で主に映し出されてましたね。


雨は浄化、洗い流す事を意味したりもするとも述べました。
これらのことから、


涙、雨、を流す事で悲しむと同時に悲しみを洗い流す。
悲しみの感情を全身で、ダンスで表現する事で悲しみをしっかり受け止め、味わい、受け入れ、流し、明日へと向かう。

雨は悲しみを表す以上、止まないと先へ進めない。降ってる間は悲しいままです。
雨が止んだ時に共時的に心の悲しみも止み、"晴れ"ていく。

夏の終わりには、このような、夏を失うことに伴う抑うつを乗り越えるための儀式が必要なのではないか。
この儀式を表しているのがこの曲なのでは?と思いました。

心理学的には"喪の仕事(Mourning work)"が意味的に近いですかね。大袈裟ですが。

こう思うと、やたらこの曲の表記がしっかりしてるのも、シリアスな感じというか。やや強気に言えば、楽しい感じを排除し淡々と述べていることで、歌詞を噛み締めている最中(進行形)である事を表したかったのかもしれません。

雨に打ちひしがれる自分を見つめ、そんな自分を乗り越えることで新しい自分、未来の、明日の自分へと進める。死と再生っぽいとこがあるかもしれません。


そして最後のセリフ

この雨が止む頃 私の涙も乾くってことにしておくよ
さあ、上を向いて、明日のことを考えようか。

楽しかったね、夏

終わらないと夢見ていた夏は終わってしまって、
曲中で悲しく寂しげな表情をしていた2人でしたが、

雨という自らの感情を受け止め、晴れやかな気持ちで最後のセリフと共に曲を終える。

最後の千歌の表情はまさしくそんな顔で。
本当に良かったなと思いました(誰目線?)。


とこんな感じです。
曲や曲の演出について考えるの絶対楽しいのでおすすめしたいなと思います。
卒論で引用文献を書きまくった反動からか、ロクに公式の引用もない記事でしたが許してください。。

次はアニメについての記事を書きたいなと思います。卒論に追われて書けないかもしれませんが。

最後に、

カッコよく激しく踊る果南ちゃんのポニーテールが揺れてるのがめちゃくちゃ好き

だなと思いました。終わります。