みよ通信

●ゅ●通信じゃないです。

一次的なスクールアイドル

こんにちは

ラブライブ!サンシャイン!! The School Idol Movie Over the Rainbow(以下、劇場版)が1月4日についに公開されましたね。誰もが待ち侘びていたと思います。

さて、劇場版公開から1週間が経ち、挿入歌CDやサウンドトラックの発売日の情報が出たり、なんなら視聴動画や挿入歌のスペシャルムービーが出たりと盛りだくさんですね。

そこで今回のブログは

一次的なスクールアイドル

について。
曲としては、99%、

Hop? Stop? Nonstop!

という曲について。

劇場版をまだ見ていない方はこのブログを読むのをやめてください。
主に曲についての説明かなと思います。




















曲の説明


まず、Hop? Stop? Nonstop!という曲の軽い説明について。

公開前の予告PVの時点で出てましたね。
舞台はスペイン広場らしいです。
作中では、鞠莉の母親との対決(喧嘩?)の後らへんの流れで出てきました。

それでは、少しだけこの曲について考えていきます。




曲の印象・評価と理由

まず、Hop? Stop? Nonstop!という曲なんですが

僕はめちゃくちゃ好きです。

劇場版のAqoursの曲の中で一番好きだと思います(他の曲も勿論素晴らしいです)。








いや、言い過ぎましたが、それでも本当に好きな曲です。



皆さんはどうでしょうか。
多分、かなり好き、な人が多いと思います。

なぜそう言えるのか?
個人的にこの曲の特徴は、一次的、であることだと思っています。

一次的とは何か、僕は一次的という言葉をよく使うんですが、その意味は"二次創作"という言葉を思い浮かべると多少は理解していただけると思います。

二次創作とは、元ネタがあってそれに関する創作物、という意味合いだと思います。同人誌とかTwitterで絵師さんが載せてるオリジナル絵とかは二次創作に当てはまると思います。

つまりここから一次的の意味を探ると、"何よりもまず初めにくるもの"という意味になります。

辞書で、"一次"の意味を調べると以下のようなものが出てきます。

1 第1回。1番目。最初。「一次募集」「第一次越冬隊」

2 いちばん大切であること。根本的な事柄。「一次史料」

3 数学で、式・関数などの未知数の最高次数が1であること。「一次方程式」*1

つまり、

最初に来るもの、最も優先、大事にされるべきもの

これが僕の使っている"一次的"の意味になります。

それでは戻って、
Hop? Stop? Nonstop! この曲が一次的であるとなぜ言えるのか。



それはラブライブ!サンシャイン!!1期2話に描かれています。

梨子ちゃんの力になれるなら、私は嬉しい。みんなを笑顔にするのがスクールアイドルだもん。

このシーンは1期10話と繋がったりしていて個人的にかなり好きなシーンです。

さて、要するに、"みんなを笑顔にするのがスクールアイドル" と言うことです。

Hop? Stop? Nonstop!のサビの歌詞

ワクワクしたくて させたくて

ワクワクしたくて させちゃうよ
踊れば 心
つながってく みんなと
こんな素敵なことやめられない

ここら辺の歌詞は、"みんなを笑顔にする"というスクールアイドルの(千歌が示した)一次的な在り方と一致しているように思えます。

挿入歌の歌詞って割とその話やその場面における内容が反映されてると思います。MIRACLE WAVEや逃走迷走メビウスループとかがわかりやすいと思います。

Hop? Stop? Nonstop!はそこらへんも踏まえつつの一次的な歌詞、なので素晴らしいですね。

また、曲中のclapや踊りやすい振付に曲調、聞くだけでも楽しくなっちゃうと思います。そう、見てる側が楽しくなるということが一次的です、曲が進むにつれて観客のイタリア人?の皆さんも身体が自然と動いたりしてますよね。いや本当に楽しい。ここまで純粋に楽しくさせられる曲は珍しいなと思いました。


とりあえずの結論として、

  • Hop? Stop? Nonstop!は、スクールアイドル観としての、"みんなを笑顔にする"という在り方と一致している

としておきましょう。







さらに、

ワクワクしたくて させたくて

という歌詞からもわかるように、

歌って踊っているスクールアイドルAqours自身も"楽しんでいる"事が歌詞からも、そして表情からも読み取れます。ダイヤちゃんをみてください。良い笑顔です。

この本人達も楽しんでいるというのは非常に重要で、つまり動機が内的なものから出ているということです。

Aqoursがスクールアイドルを行う動機として、外的なもの(統廃合の阻止)よりは、内的なものの方がより重視されて描かれていると思います。





まず、Aqours(9人)の発起人、千歌がスクールアイドルを始めた理由は、

輝きたい!

というものでした。これは自らの内側から沸き起こってきたもの(μ'sのように、という枕詞があったとはいえ)だと考えられます。



その後、1期3話にて挿入歌に

ダイスキだったらダイジョウブ!

という曲があります。
この曲は、スクールアイドルに恋している千歌が、スクールアイドルが好きである事を歌詞に起こしたものだと考えられます(1期2話)。これも割と、好きだからやっている、という非常に内発的な動機に繋がると考えられます。



また、2期7話にて、

果南 「でも、千歌たちは学校を救うためにスクールアイドルを始めたわけじゃない」

曜 「輝きを探すため」

鞠莉 「みんなそれぞれ、自分たちだけの輝きを見つけるため でも」

というやりとりがありました。
ここからも、内的なものを重視していることが読み取れます。




劇場版においては Hop? Stop? Nonstop!の歌詞

ワクワクしたくてさせちゃうよ
踊れば 心 繋がってくみんなと
こんな素敵なことやめられない

ここら辺の歌詞からも、"楽しいからやっている"という内的な要因が見受けられます。

劇場版では、後半に"楽しむこと"の重要さを月ちゃんが気づくシーンもありましたね。


統廃合問題はありましたが、基本的なAqoursの在り方は内的なものが根底にあると考えられます。

まあ身近なことで言えば、金のために何かをするよりやりたいから、好きだからやる、方が社会通念として望ましいとみなされるかなと思います。

実際、このような内発的動機づけによる活動は外的なものによる外発的動機づけよりも楽しく、持続するらしいです。








さて、今までで
Hop? Stop? Nonstop! は一次的で、見てる人も歌って踊っている本人も楽しい曲と述べました。

ここで、この曲を歌う流れになった一因について触れましょう。

それが鞠莉の母親です。

鞠莉に自分の言う事を聞かせようとする(束縛しようとする)母親の"(スクールアイドルは)下らない"という言葉に対し、

鞠莉の"スクールアイドルは下らなくなんかない" という言葉がありました。

(このシーン心にくるものがありますね)
そして、母親の説得を行う必要が出てきます。

その後のシーンにて、Hop? Stop? Nonstop! が流れ始める事から、この曲は、作中では鞠莉の母親を説得することを示す曲という意味も持っていると思います。

では、スクールアイドルを誤解している(スクールアイドルに対して偏見を持っている)鞠莉の母親に対して、どう説得に移れば良いか。どのように誤解を解くべきか?(そういえば、梨子がスクールアイドルが誤解されやすいと述べていましたね)

人を説得するには、その意見の根拠を示せば良いわけで。現実世界だと証拠やメリットを語って相手を納得させればいいわけです。

しかし、例えば
スクールアイドルは下らなくなんかない
その理由として、●●が挙げられる。

みたいにめちゃくちゃ論理的な感じで説得しにかかる、のは見てる僕たちからしてもは?って感じだと思います。

"そのような言葉"ではなく、実際にその姿を見てもらう、これが最も説得力があるかなと思います。

それでは、どのような姿を見せるべきか。


個人的には、ありのまま、真正面からスクールアイドルである自分たちをを見せるべきだと思います。

つまり、これぞスクールアイドルという"一次的な"スクールアイドル観を見せれば良いと。

ここで、"みんなを笑顔にする"というスクールアイドルの一次的な在り方にたどり着くということになります。


鞠莉の母親の説得という点で見た場合、

Hop? Stop? Nonstop! があんなに一次的な、Aqours含めてみんな楽しい曲になっているのもこのように考えたらうなづけると思います。
広場でやってるのも皆に聞いてもらうという点で良いですね。





母親の納得

※ここからはオマケになります。


それでは、Hop? Stop? Nonstop!を披露しましたと。

鞠莉の母親は割とあっさり納得した様子で9人がいる場を立ち去りました。ここについて個人的に思うことを述べようと思います。


まず、鞠莉の母親は鞠莉との会話やAqoursの中での会話から、スクールアイドルに対して良くは思ってないということは十分読み取れます。

鞠莉の母親とAqours(9人)が対面する場面では、Aqoursの表情が厳しく(特に果南)、厳しい意見を述べる際に母親の目を映さない事で、母親の態度も強硬なものでかつAqoursと相対するものであることを示したりしていました。

もしくは、厳しい言葉を発する口を中心に映す事で刺々しさを出していたのかもしれません。

その後、鞠莉の母親にスクールアイドルの素晴らしさを知ってもらう流れになり

食事、HOTELのシーンと経て

スペイン広場で Hop? Stop? Nonstop! を披露しました。

それを聞く鞠莉の母親とその場にいたイタリア人(?)でしたが、

あそこまで強固な意見を持っていた鞠莉の母親はそのライブが終わった後にAqoursや鞠莉を認める様子を示して立ち去りました。

確かに、納得するのが早すぎると思うかもしれません。

では、鞠莉の母親の"考えの変化"が描かれている部分はどこか?というと、

曲中の2シーンですね。
1つ目は予告PVでも出ていたこのシーン。

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2つ目は劇場版を鑑賞しないと見られない箇所です(スペシャルムービーにあがってますが一応画像なしで)

2シーンしか描かれなかった訳です。
この理由としては、一瞬の感覚、感情の巨大な影響力を印象付けるため、だと思います。

少し言い換えると、

実際に体験した事によって湧き上がってきたまさにそのときの感情はその人を動かす力が強い、ということで、




今回の件で言うと、

スクールアイドル(Aqours)に対して偏見を持っていた鞠莉の母親は実際にAqoursのライブをスペイン広場、現地で見ましたね。

そこでAqoursのライブを見て"感動" "魅了" "突き動かされ" たという事を1つ目のシーンにて示していると思います(特に目)。

自らが体感した事、その場で感じた事、その影響力はかなり大きいと思います。それこそ、理詰めでコツコツ溜まる影響とは比べ物にならないほど一瞬で。衝撃が大きいわけです。
偏見があったスクールアイドルへの評価を変えたモノ、それは、スクールアイドル Aqoursのライブを見た事で自らの内側にまで響く衝撃だった、と思います。

となると、むしろ納得する描写は一瞬であるべきでしょう。勿論尺的な問題などの現実的な問題もあるでしょうが。

鞠莉の母親が、実際にスクールアイドル Aqoursのライブを見て 今までの自らの考えを変えるような何かしらを感じた "感動させられた" という圧倒的な出来事かつ一瞬の出来事(出来事の衝撃の大きさと刹那は共存し得る)を表現しているのが最初のシーンだと思います。

これなら少しずつ変わっていくよりも良いかな、、と思います。
まあ割と感覚的な話が演出としてやはり多いので合ってるかなと思います。





(個人的な具体例としては一目惚れが当てはまりそうです。ウィンク1つですぐさま恋に落ちる、なんてベタかな〜と)



劇場版の見所

劇場版、おそらくムビチケを大量に抱えてる人が多いと思います(僕もです)。

同じ映画を何回も見ることになる運命にある私たちは、結局劇場版をどう見れば良いか、どこを見れば良いか。

これが決まってないとなかなか何回も同じ映画を見るのがキツイのではないでしょうか。

そこで、個人的な劇場版の見所を紹介しようと思います。とはいえど、ネタバレになる(気づいてない箇所を他人によって気づかされる)のはアレなので具体的な内容に触れないようにしたいです。

  1. テレビアニメとの比較

劇場版では、テレビアニメ(や劇場版(μ's))のシーンをほのめかす、意識しているような箇所が多々あります。それを探しまくりましょう。青空Jumping HeartMIRAI TICKET、WATER BLUE NEW WORLDなど、曲のPVと似てる箇所もあると思うので探してみるのも面白いと思います。

  1. 衣装・服装・髪型

逃走迷走メビウスループ、とかは割と衣装の装飾が面白いですね。同じ衣装のキャラクターとかも注目すると面白いです。
服装・髪型もちょくちょく変わっててかわいいなと思いました。

  1. 歌詞・振付・パート分け、隊列

言うまでもなし。
Believe againの歌詞は割と面白いなと思いました。

Hop? Stop? Nonstop!は割とピョンピョン跳ねてて、楽しそうな雰囲気が伝わってきますよね。パート分けもルビィちゃんから始まるのが良いですね。

隊列は意味が難しい並び方が割とあって考える余地がありそうです。

  1. その他

結局見所は全部みたいなとこがあるので、、
まあでも細部を見るのは面白いと思います。虹であったり空間的な配置、キャラクターの表情、光源の位置など、細かく見れば何回見ても飽きないと思います。見ようとするのが前提なのでそこが難しいかもしれませんけどね笑






ということで、ブログは以上となります。
はてなブログ、文字数が出ると色々憂鬱になりました(卒論)。
劇場版の総合的な考察は多分ブログではやらないかなぁと思います。

最後に

私たちも常に、何が1次的なのかを考えていけるといいですね。

*1:goo辞書より