みよ通信

●ゅ●通信じゃないです。

【歌詞考察】DOLLCHESTRA 「ツキマカセ」  (ラブライブ! 蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ)

こんにちは

興が乗らなかったのか単に疲れているのか知らないですが、全くブログを更新していませんでした。
これはいかんとなり、リハビリのブログを書きます。
※ このブログを書き始めたのは1か月以上前からです
※ リハビリとか言っといて1万字のブログになってしまいました。






今回は、「ツキマカセ」という曲について少し触れていきます。

極めて抽象的で謎の多い歌詞ですが、頑張ります。振りについても考えようと思ったのですが、字数の問題から割愛します。

なお、リリックビデオもありますのでそちらもぜひ。

www.youtube.com




ちなみに、この曲を選んだ理由は3つ。


① 俺が好きそうな曲すぎる

→ 感情がうごめく曲が大好きなので。


② 衣装が性癖

→ ゴシック系が”良い”

 もうこれ犯罪だろ。




③ 一番課金して手に入れたUR

→ 画像参照。

卯辰山見晴らし台にて、聖地効果を狙ってガチャを引いたものの、2万円以上課金しても推しのUR(ツキマカセ 夕霧 綴理)が全く出なかったときの俺




それでは。





歌詞考察

1番

物憂げなベッドルーム
彩る甘い話題
まだ陽は昇らないで

始まりはこれらの歌詞から。
読み取れる情報と謎と感想は以下の通り。
【情報】
・ 場所:ベッドルーム(自室?それとも誰かの部屋?)
・ 時間:夜(おそらく深夜)
【謎】
・ ベッドルームが「物憂げ」な理由
・ 「甘い話題」の中身
・ 「まだ陽は昇らないで」と願う理由
【感想】
・ 日が昇ったら、今の時間が終わってしまうと思っていて、それは悲しいよねって思います。
 個人的に夜に誰かと話すのって結構楽しいんですが、夜ということもあって明るい話ばかりだけでもなく、暗い話(将来の話)もあり、
 でも、ずっと話していたいなと思うことはあります。なんだか、同じ日なのに別の時間が流れているような気がします。
 夜は特別なんすわ。という想いです。



半端に取り入れた恋愛脳
ぶつかり合う感情論
おとぎの国 見えなくなった後も
愛を知って強くなれるとか 
(曖昧で)
不思議な言葉を人は信じてるから

読み取れる情報と謎と感想は以下の通り。
【情報】
・ 全て
【謎】
・ 全て
【感想】
・ マジで分からん!!! とさじを投げるのは良くないので、少し考えてみます。

ざっと歌詞をまとめると、「根拠のない曖昧で不思議な言葉を、人は信じるものだ」というところでしょうか。
まず、「半端に」取り入れた恋愛脳、という歌詞。わざわざ「半端に」と言っていることから、「完全には取り入れていない」というニュアンスのみならず、
若干「好ましくない」というニュアンスにも取れます。
その次の「感情論」、これも、「その場の感情でぶつかり合う」ということです。
「おとぎの国」とは、子どもが信じるような美しい夢の国でしょう。子どもは、主に親から、色んな「御伽」話を聞きますが、大人になると、「御伽」話に出てくるような世界は存在しないと知ります。
つまり、「おとぎの国 見えなくなった後も」とは、「大人」になっても、という意味でしょう。ここで言う大人とは、成人という意味にも取れますし、「精神的に子どもではない」という意味にも取れますし、「感情論」なんてぶつけないという意味も含まれているでしょうか。

さて、そんな「大人」でも、「愛を知って強くなれる」なんていう曖昧で不思議な言葉を信じているんです。
この塊の歌詞を踏まえると、「根拠のない曖昧で不思議な言葉を、人は信じるものだ」には、「そんなもの信じるのか」と呆れているかもしれませんが、同時に「そんなものだが、人は信じるものなのだな」と感嘆している可能性も否定できませんし、羨ましがっているという可能性も0ではないです。
少なくとも、「私」は「論理的な人」というのは間違いないでしょう。頭で物事を考えるタイプという事です。


恋の理想なんて 
(言われても難しくて)
案外悩んじゃって 
(考えると恥ずかしくて)
妄想リプレイ もう結構
何か虚しい ちょっと
着飾らずに居られる場所が欲しいのに

読み取れる情報と謎と感想は以下の通り。
【情報】
・ 無し
【謎】
・ 全て
【感想】
・ マジで分からん!!! もう一生これが続く気がします。頑張って考えてみます。

まず、この塊の歌詞を見て思ったのは、「どんな場面、シチュエーションなのか」ということです。
有力なのは、自室でしょうか。

その理由は、「悩んじゃって」という歌詞や「妄想リプレイ」という歌詞からです。
ふと言われた「恋の理想」という問いを自室で反芻して、勝手に恥ずかしくなる、みたいな場面はあるあるです。

ただし、「妄想リプレイ」は「もう結構」と、既にやった上で拒否しているようです。
これは、「何か虚しい ちょっと 着飾らずに居られる場所が欲しいのに」という呟きと連動しているように見えます。
倒置を直すと、「着飾らずに居られる場所が欲しいのに 何か虚しい ちょっと」となります。
今は、着飾っている(故に「何か虚しい」)と読み取れますが、どの場面で着飾っているのか。それは間違いなく他人と接する場面であり、例えば教室が挙げられるでしょう。
教室は、いわゆる恋バナを女の子同士でやっているシーン、が思い浮かびます。

特に、さやかは落ち着いていてどちらかというと論理を重視する子だと思うので、
恋について聞かれても考えすぎて深みにはまってしまうんじゃないかと勝手に妄想しています。
でも子供っぽいのが大好きなんですよね!!!!!!!!!!!!!!でも考えると恥ずかしがるタイプだろ!!!!!!!!!!!!

公式4コマ🪷りんく!らいふ!ラブライブ! 【第40話】 作◆珠月まや( @mayamaya36 )先生


話を戻すと、要はこの時点では「恋」という話題から離れたいと思っている気がします。
「妄想リプレイ」をしていることから、何度か「恋」について考えたものの、「疲れてしまった」というのが近いでしょうか。
それはなぜか、頭で考えるタイプだから、というのが現時点での見解です。
「着飾る」とは、現状を指すのですが、これは「普段の論理的な自分とは真逆に恋について考える自分」のことかなと。


幸せの設計図
誰も知らないんでしょ
期待に満ちたシナリオ
胸に秘めて泣きそうです

昔見た白昼夢
絵空事だったみたい
ローファイな気分飽きちゃって
またルーレットな心模様


1行空けて前半と後半に区切ります。
前半は、歌詞通りの解釈で良いかと思います。
設計図、シナリオ、どちらも何かを成し遂げるための道筋を示すものです。
ただし、そんなものはない。○○をすれば必ず幸せになれる、理想の世界へ身を置ける、なんてことはないわけです。不確実。


後半も同じです。
白昼夢とは、ぼんやりと頭の中で描く理想や願望のことで、非現実的なものを表します。つまりは幻想です。
そんな夢のような世界は子どもの絵空事なんです。辛くなってきた。。。
ローファイという言葉は恥ずかしながら知らなかったんですが、どうも音楽用語で、「音楽のレコーディングの際の録音状態、録音技巧の一つで、極端に高音質なものではない録音環境を志向する価値観。転じて、そうした要素を持った音楽自体を表す言葉。」っぽいです。
ja.wikipedia.org


音質が悪いということらしいですが、逆にそれが良い、とかなんとか。これも何だか不確実みがありますね。
これを踏まえて、「ローファイな気分」とは何か、を考えると、それは不純物が混じった状態である、ということでしょうか。
これまでの歌詞や「私」が論理的な人間であることを踏まえると、恋に絆された気持ちのことでしょうか。

そして、「またルーレットな心模様」について。
唐突に出てきた印象です。「また」なのか? ルーレットな心模様とは何か?ともう何が何だか分かりません。
ルーレットとは、基本は運任せなゲームですが、ここで曲のタイトル回収。「ツキ任せ」です。
心模様とは、心の中の複雑に入り混じった様子を指します。
ルーレットな心模様とは、心の中の状態は予測ができず、コロコロと変わるものである、ということでしょうか。
「ローファイな気分飽きちゃって またルーレットな心模様」と繋がりで見ると、
普段の状態が「ルーレットな心模様」なのでしょう。
一時的な「ローファイな気分」に飽き、また気分が「ルーレット」のように変わるということです。となると、恋愛モードも現れるということを示唆されますね。
ちなみに、リリックビデオでは表情が2パターンあって、コロコロ表情が切り替わるのですが、これもルーレットを表しているかと思います。


2番~

それでは2番以降の歌詞についてです。

うんざりするような恋愛ショー
嘘だらけの青春を
子供騙しだと笑っていても
恋の魔法かけられた日には
(もしかして)
私も笑い者になっているかな


「うんざりするような恋愛ショー」を外から見る分には「子供騙し」と笑っていますが、
「恋の魔法をかけられ」ると、そんな恋愛ショーの中に自ら入り込むのでしょう。
「かけられた」と、どこか受身な言い方なのも気にかかります。
恋愛ショーに入り込むかもしれない自分を憂えているとも捉えられますが、どこか望んでいるようにも見えますし、既に入っている可能性もありますね。

というか、「うんざり」、「嘘だらけ」、「子供騙し」と散々言っているあたり、果たして本当に恋愛ショーを嫌悪しているのでしょうかと個人的には思います。むしろめっちゃ興味があるんじゃないか??
よく考えたら、恋、恋と何度も口にしていますし。
ここでは恋愛モードっぽい気がしますね。


風景変えたくて 
(少しだけ背伸びをして)
階段昇ったって 
(思うほど変わらなくて)
安全ポジション もう結構
口に出せない きっと
傷つかずに居られる場所は欲しいけど

1番の歌詞とはうって変わって、「変化を求めている」のが気になります。
「階段を昇る」ということは、そのままの意味、つまり自分が居る場所が変わることで見える景色が違ってくる、という意味になりますが、そうした物理的な意味に留まらない気はします。
「背伸びをして」も、実際に背伸びをしたという意味のみならず、「実際よりも程度を大きく見せようとする」という意味で捉えた方が良い気がします。
「安全ポジション もう結構」は、1番では「妄想リプレイ もう結構」と対応します。
「安全ポジション」とは、現状のことでしょう。「もう結構」と言っている、現状からの「変化」を求めていると。
その次の歌詞は、倒置を直すと「傷つかずに居られる場所は欲しいけど 口に出せない きっと」でしょうか。
「傷つかずに居られる場所は欲しいけど」と言っていますが、「傷つかずに居られる場所」とはいったいどこを指すのでしょうか。

直前の「安全ポジション」で居られる場所、というのが最も分かりやすい答えでしょう。
「安全ポジション」とは現状のことだったので、現状が欲しい=現状を維持したいけれども口に出せないらしいです。
...先ほどの解釈とは真逆になってしまいます。

個人的には、2番の歌詞は恋愛モードになっていることがこの謎を解くカギになると思っています。
「私」は論理的な人間であり、恋愛に絆された気持ちを「ローファイな気分」と言っていることは1番の歌詞で既に触れました。
ただ、2番は恋愛モードにあり、要は普段とは真逆であるということです。
となると、現状を変えたいと思っている恋愛モードの「私」にとって、「傷つかずに居られる場所」はむしろ「恋愛ショーの場」だと思っています。
つまりは、ここでは恋愛モードとして、現状から一歩踏み出そうとしている(=「恋愛ショー」に身を置こうとしている)けれども、中々難しい、ということでしょうか。
だからこそ、「恋の魔法かけられた日」と受動的に表現しているのかもしれません、恋愛ショーの一員となるのを夢見る少女、といった気がします。


悲しみの復元図
持て余してるんでしょ
暗い顔にはサヨナラ
ご都合主義は無理そうです

不器用なマイルール
悩みすぎだったみたい
ハイファイな気分に浸って
でもルーレットは止まらない

同じく歌詞を前半後半で分けてみます。
「悲しみの復元図」も相当曖昧な表現ですが、素直に読むと、過去の悲しい出来事、感情を復元、元通りにしたものということになります。
これを「持て余してる」ということは、扱いに困っているということ。
つまりは、過去の悲しさをどう扱って良いか分からない ということになります。ううむ分からん。
「暗い顔にはサヨナラ ご都合主義は無理そうです」について。
「ご都合主義」とは、これまでの文脈や流れを無視してその場その場で状況に合わせて振る舞うこと、です。つまりは「非論理的である」ということだと思います。
この曲の主人公は「論理的な」子であるため、ここは何となく繋がる気がしますね。
「暗い顔にはサヨナラ」は、すぐ次に続く「ご都合主義」と同じ意味ではないかと思います。
つまり、前半の意味としては、「過去あった悲しい出来事をどう処理するか分からないんだけど、暗い顔にはサヨナラ、なんていうご都合主義で流せるものではない」となるでしょうか。
2番では、論理的な「私」が恋愛モードになっているのですが、普段の「私」とのせめぎ合いや葛藤がこの歌詞から読み取れますね。


一方後半。
「不器用なマイルール」は、前半の歌詞を指しているような気もします。論理的な人は柔軟性に欠けるきらいがあるので、「不器用」になりがちですし、「マイルール」とは「ご都合主義は無理そうです」のことでしょう。これらに対して「悩みすぎだったみたい」と、少し前半の歌詞に対して考えを改める予兆が見て取れます。
「ハイファイな気分に浸って でもルーレットは止まらない」は、1番の歌詞の
「ローファイな気分飽きちゃって またルーレットな心模様」
と対応しています。
「ハイファイな気分」は「ローファイな気分」と対を成しており、「不純物の無い気持ち」を指します。
これは、つまり普段の論理的な気持ち? なのでしょうか。
否。ここは、「ノイズなどの嘘偽りのない晴れた気持ち、純粋な気持ち」ということで、2番の気持ち、「恋愛モード」を指しているのではないでしょうか。1番と真逆の表現にも関わらず、同じものを指すというのは面白いなと思います。

でもどのみち「ルーレット」なんですね。心は揺れ動くものであり、まもなく普段の論理的な「私」が出てくるでしょう。


ガラスの靴とか
ダイヤのティアラも
興味ないわけじゃないの
だけど少し現実派
絶妙なバランスで
揺れる乙女心
夢だけ見せないで
心変わりしちゃうかもよ
ルーレット・チャンス

ここはだいぶ素直に読めますね。
「ガラスの靴」も「ダイヤのティアラ」も、御伽話のシンデレラが着けるような、身につけた人を美しく魅せるような夢のような代物です。
そうした現実離れしたものに興味が無いわけではないけど、あくまで地に足がついているようで。
ベースはあくまでも「現実派」なのだけれども、たまに地から足が離れることもあるようです。
ここでは、普段の「私」と少し恋に浮かれてしまう「私」の両方を表現していますね。そうした状態が「絶妙なバランスで 揺れる乙女心」なのだと思います。


「夢」とは、寝る時に見るものでもあり、将来叶えたいと思っている事柄でもあり、地から足が離れた状態であります。
「私」は、地に足が着いた生き方がベースなので、「夢」だけ見せると、地に戻ってこれなくなる=心変わりしちゃうことになります。


では、ここでいう「心変わり」をしてしまったら、どのような状態になるのか。
この歌詞が誰に向けてのものか、ということを考えてみます。
要は、この曲の主人公に向けて恋の感情を抱いている仮想の相手(仮に「あなた」とします。)が私に「夢」だけ見せたら私は「心変わりしちゃうかも」ということです。
ただし、この曲の主人公が「あなた」にどのような感情を向けているかは分からないため、ここでは単に、「今ある気持ちが変わってしまうかもしれない」と言っているのみ、というのが限界でしょうか。
「心変わり」とは、具体的には、① 肯定的な感情が否定的な感情に変わる ② 否定的な感情が肯定的な感情に変わる などが挙げられます。「夢だけ見せないで」と言っていることから、ここでは①の意味かと思われますが、ルーレットであることから、②もあり得ますね。
普段の「私」なら①ですが、恋愛モードの「私」なら②かもしれません。



妄想リプレイ まあいっか
「らしく」生きて もっと
着飾らずに居るのは難しくても

ここは1番の歌詞とはうって変わった表現ですね。
「妄想リプレイ」は、1番では「もう結構」と言っていたのにここでは「まあいっか」と容認しています。
ただし、「らしく」生きて という歌詞が引っ掛かります。
なぜ「らしく」と鍵カッコがついているのか。「らしく」には何か特別な意味が込められていそうです。
倒置を直すと「着飾らずに居るのは難しくても 「らしく」生きて もっと」となります。
つまり、「らしく」とは「着飾らずに居ること」を指します。
ではこの「着飾らずに居る」とはどのような意味か。直前の歌詞で「妄想リプレイ まあいっか」と言っていることから、いわゆる「ありのままの自分でいること」です。
それはつまり「ルーレット」を指します。気持ちがコロコロ変わるのが「私」の本質ではないでしょうか。

幸せの設計図
誰も知らないんでしょ
期待に満ちたシナリオ
書き直しも出来そうです
昔見た白昼夢
壁に飾って眺めたい
ローファイな気分飽きちゃって
またルーレットな心模様

ここも1番の歌詞とほぼ同じですが、違う箇所もあります。
・ 「期待に満ちたシナリオ 書き直しも出来そうです」
1番では「期待に満ちたシナリオ 胸に秘めて泣きそうです」と若干後ろ向きでした。
・ 「昔見た白昼夢 壁に飾って眺めたい」
 1番では「昔見た白昼夢 絵空事だったみたい」とこちらも若干後ろ向きでした。
若干自分を受け入れているような、前向きな気持ちが垣間見えます。前の歌詞の影響を受けているものとみて間違いないでしょう。




どうせ今日も繰り返す
同じ話題で良いでしょ
次第に鈍くなる思考
あと少しだけ巡らせて
暗転したベッドルーム
筋書きの無い会話
月が逃げ去った後も
ルーレットな心模様


ここでようやく曲のタイトルにもある「月」というワードが出てきます。。
また、ここは、場所といい曲の導入の歌詞と対応があるような気もします。

「どうせ今日も繰り返す」とは、「話」であり、「月の公転」でもあるかなと。つまりは、「同じ話題」が月の公転のように延々と続いていくものであると。
「次第に鈍くなる思考」は睡魔のせいでしょうか。でもまだ終わりたくないので「あと少しだけ巡らせて」と言っています。
「筋書きの無い会話」とは、つまりは着地点が読めない会話のことでしょう。睡魔のせいなのか、はたまた話題のせいなのか。
「月が逃げ去った」という表現は拘っている気がします。
「逃げ去った」というのは、「逃げていなくなっちゃった」という意味で、単に「いなくなった、見えなくなった」という意味よりも強い意味に聞こえます。
なぜ強い意味にしたのかというと、「ツキマカセ」にしていたからです。「月任せ」にしていたのに肝心の「月」が去ってしまったと。
それでもなお「ルーレットな心模様」は変わらない となります。これは、「月」という自分以外のものへ判断を委ねていた「私」は、実はそもそもの自分は「ツキ任せ」という性格だったということを表しているのでしょう。
最後の締めは、「ツキ任せ」な自分 ということになります。

補足

ここで、初めに触れた導入の歌詞の謎について考えてみることとします。

物憂げなベッドルーム
彩る甘い話題
まだ陽は昇らないで

【謎】
・ ベッドルームが「物憂げ」な理由
・ 「甘い話題」の中身
・ 「まだ陽は昇らないで」と願う理由

「甘い話題」とは、間違いなく「恋」の話でしょう。
では、ベッドルームはなぜ「物憂げ」なのか。
導入の歌詞をどう捉えるかという問題になるのですが、1番の歌詞よりも前に来ているという時系列の意味で捉える場合もあれば、「のちの歌詞の内容を暗示している」という意味で捉える場合もあり、今回は後者かなと思います。
となると、ここの部分は、「普段の論理的な「私」が恋に絆されているということ、恋愛モードの「私」が中々変われないということ」を理由として、「物憂げ」であるということでしょう。
「まだ陽は昇らないで」と夜が続くことを祈っているのは最後の歌詞とも一致しますね。


もう少し広げてみる

もう少し広げてこの歌詞を考えてみたいと思います。
といっても手がかりがないので、ここでリンクラのカードから解釈を試みましょう。

【UR [ツキマカセ] 村野 さやか 入手時】
あ...雨の...匂い。
時折、ふっと香るたび、嫌いじゃないなって思うんです。
ただそれは、雨が好きというのとは、少し違う気もして。

【UR [ツキマカセ] 村野 さやか 特訓1回目】
まどろみの中でくらい、幸せな妄想に浸りたい。それは弱さではないかと思います。
世のこと全て、正面から受け止めるべきであると私は思います。でも、情けない事に、不思議な事に、常日頃からそうして生きてきた私自身が、なんだかどっと疲れてしまったような。
こうなればいいな、こうなったとして、その先の甘い未来を。
甘美な毒って、こういうの。

【UR [ツキマカセ] 村野 さやか 特訓2回目】
んーあのー私、こんな顔してました?
なんというか、たいへん、たいへんこう、外にお出しできるような顔ではない気がしますが
もちろんライブをするにあたり、全力は尽くしたつもりなのですが。こ、こんな。。
い、イメージとしては、ツキマカセなんです。そう、まどろみと、幸せな未来に想いを馳せて...
後ろの綴理先輩も、気づいたらすごいくっついてますし...え、ええ~

【UR [ツキマカセ] 夕霧 綴理 入手時】
よく、ぼーっとしてるって言われるけど、良い事もある。さやがいたよ。窓と、雨の向こう側。光も音も遮られて、気が付かないと思うけど。

【UR [ツキマカセ] 夕霧 綴理 特訓1回目】
こうなれば良いな、と思い浮かべて、その通りになった未来に焦がれる。そうはならないだろうと諦めているから、余計に色濃く、願いが映る。そんなイメージ。僕自身がいつも強く感じていたこと。でもその時から、祈った先を夢見るくらいは、自由だと、縋っていたんだ
光と音が遮られても、その先で手が触れ合うように。

【UR [ツキマカセ] 夕霧 綴理 特訓2回目】
この時間がずっと続けばいい。僕たちのステージは夢じゃないけど、夢みたい。ずっと続けばいいのに、続かない。
夢を見るようにライブに焦がれて、永遠に続く世界を想う。
叶わないから、片思い。
最近、夢の諦め方に気づいたよ。それは理想を願いながら、でも、今を好きになる事。今を好きになるための努力が、僕にできたかは分からない。ひょっとしたら、ただの幸せ者かもしれない。僕にとっては、みんなと話せるこの時間が、夢を夢で割り切れる。今を好きでいられる理由だから。

さ、流石に......これは...................







気を取り直して、
さやかのボイスからは、「まどろみ」、「幸せな未来」、「甘い未来」という言葉が特徴的です。
さやかのいう「まどろみ」とは、寝ている時に見る「夢」であり、「夢」の中では「甘い未来」を夢見ると。
「幸せな未来」に想いを馳せて...と言っていますが、「イメージはツキマカセ」とのことです。
これはつまり、非現実的というニュアンスを含んでいる気がします。「月」という神秘的なものに「任せ」ているのですから、どことなく現実離れしている気もしますし、「ツキ」に任せているのですから、現実味があるかどうか怪しい気もします。
だからこそ、甘美な毒なのでしょうか。



綴理のボイスからは、「こうなれば良いな」、「夢みたい」「この時間がずっと続けばいい。」などが特徴的な言葉です。
綴理は、「今」が永遠に続きはしないことや、「その通りになった未来」が叶わないということに触れています。これらを「片思い」と言っているのも流石のセンスですね。。
そういう点では、綴理のいう「夢」とは、現実的ではないものであり、「白昼夢」に近いものだと考えられます。そんな幸せな「夢」も、「今を好きになる事」で、諦めがつけていると。
この2人に共通することは、「未来」も「夢」も手の届かない遠いところにあるということを「今」感じているという事でしょうか。


思えば、ツキマカセの歌詞も、「白昼夢」や「幸せの設計図」といったどこかふわふわしたものを欲しがっていた、そうなって欲しいと思っていたようにも思えます。
しかし、現実主義な「私」からすると、実際はそんなこと叶わないと知っている。「月(ツキ)任せ」という曲名からも、現実的に叶わない(からこそ「月(ツキ)任せ」とするしかない)。だけれども、「期待に満ちたシナリオ 書き直しも出来そうです」と言っているように、現実にもどこか希望があるように見えます。

「恋」の話というよりも、「ずっと続けばいい」というような「夢」の話、について、誰かとつらつらと話せる夜が終わらないで欲しいというのは、さやかの1回目特訓ボイスと、綴理の2回目特訓ボイスの両方にかかっているのでしょう。

色々と書きましたが、ツキマカセ を「恋」の話から拡張させると結論はこんな感じでしょうか。


「夢」や「未来」は手に届かないところにあり、それは「白昼夢」や「幸せの設計図」とも言える。
現実的な「私」からすると、そんなことは当たり前で、「月(ツキ)任せ」にするくらいで。
ただ、たまにベッドルームでは「甘い未来」を見たくもなり、「夢」の話を「繰り返す」時間もあって、
叶わない「夢」を諦めつつも、「夢」に恋し、焦がれる、二重の意味で、「夢」もルーレットなのかもしれない。