みよ通信

●ゅ●通信じゃないです。

ラブライブ!は「(良い意味で)ダサい」

こんにちは

もうすぐ蓮ノ空の1stライブツアーが始まる中、改めて、自分の考えをまとめておきたい、そんな内容のブログです。



なぜラブライブ!が好きか


ということについて、改めて考えてみようと思います。

ただ、前回のツキマカセの考察記事みたく、1万字も書く気力と体力がないため、ある1つの理由についてつらつらと綴ることとします。
その理由は、


ラブライブ!はダサい から好き。




というものです。




悪口か???? と思うかもしれませんが、それは誤解です。


私は、ラブライブ!が「(良い意味で)ダサい」と思っており、そこに自分が惹かれていることを自覚しています。

勿論、歌詞が好き、ストーリーが好き、キャラが可愛い、夕霧綴理ちゃん、など、好きな理由はいくらでもあるのですが、紙幅も足りないので。


とりあえず1つ、ということで、ラブライブ!のダサさ」について語っていこうと思います。
ただ、あくまで私の感性で語っているものであるため、他の人には当てはまらないかもしれません。そこだけお含みおきください。


結論を先に書きますと「嘘偽り、齟齬が無いありのままを見せているからこそ、ダサい(カッコ悪いけど眩しい)」ということになります。

「ダサい」とは?


そもそもダサい とは何か。


ダサい、とは、言い換えるとカッコ悪い、という意味であり、主に悪い意味で用いられます。
例えば、チェック柄のシャツを着ているオタクに対して用いられることもあれば、単なる誹謗中傷的なレッテル貼りとして用いられることもあります。

あれ、視界が霞んで、、、、、、、、




...ともあれ、ダサい は決して褒め言葉ではない というのが一般的な認識でしょう。


しかし、ポジティブな意味の「(良い意味で)ダサい」もあるのではないか。
ラブライブ!に触れて明確にそう思いました。
 


「(良い意味で)ダサい」は、個人的には、以下2つの意味を持っています。



〇 カッコ悪い
〇 眩しい


「ダサい」=「カッコ悪いけど眩しい」です。

なお、ここでの「眩しい」とは、「まともに見れないほど尊く、美しい」という意味です。





さて、キャラの行動や、曲、振りなど、「ダサい」と評される対象は様々ですが、
ここでは、ひとまず「曲」を引き合いに出してみます。


「Dream Believers」は「ダサい」曲じゃないでしょうか

と思うわけです。
例えば、サビ部分

行こうよ!
なんだってやっちゃえば楽しい
いまを頑張ることが楽しい
デコボコの道だって 大丈夫さ

行こうよ!
なんだってやっちゃうと決めて
いまを抱きしめたら
夢をえがいて ときめきながら繋がろう
Dream Believers I believe!

いや、(良い意味で)めちゃくちゃダサい、、、、



と個人的には思うわけで。
この理由、つまり、なぜ「(良い意味で)ダサい」と感じるかを自分なりに考えてみました。
すると、1つの答えが見えてきました。



嘘偽り、齟齬が無い、ありのままを見せているから、です。





正確には、「そのキャラクターも、そのキャラクターが歌うその曲のその歌詞も、嘘偽り、齟齬が無い、ありのままを見せているから、と私が認識できているから」です。
*1


ちなみに、時期的に蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブの曲を取り上げましたが、一番ダサいと思う曲は、Aqoursの「MIRACLE WAVE」です。








「カッコ悪い」 について


まず、「嘘偽り、齟齬が無い、ありのままを見せている」故に「カッコ悪い」となる理由について述べていきます。


一番肝心なところで個人的な思想になってしまうのですが、


「嘘をついていて、着飾っている」から「カッコいい」みたいなところないでしょうか? 
*2



例えば、「着飾る」という言葉は、美しい服を着て身なりを飾るという意味ですが、「着飾る」人は、一般的に「カッコいい」とされます。ファッションとかも、カッコいい服、コーデなどは存在しますし、メイクなどはその人をより美しく仕上げるものでしょう、知らんけど。
外見に限らず、内面も同じように「カッコいい」の要素は存在します。男性であれば、面白い、や、外向的、自分をもっている、などでしょうか。


このように、カッコよさ、美しさというものは、様々な「装い」を経て得られるものだと思います。

勿論、例外はあります。例えば、「装い」をする必要もなく元からそれらを具備している人です。元から顔が美形だったり、元から性格が外向的だったり。

しかし、全ての人がそうというわけではない(むしろ元から持ってる人は少数派でしょう)ため、「カッコいい」に成りたい人は「装い」を行って「カッコいい」へと至ります。見栄の要素もあるように思いますが。

「カッコいい」は「着飾る」ことで得られるということです。

ただし、他人が元から「カッコいい」のか、「着飾る」ことで「カッコいい」のかは中々判別がつきません。
*3




話を戻して、では、「嘘偽り、齟齬が無い、ありのままを見せている」人はどうでしょうか。

齟齬が無い、は置いといて、
ほとんどの人々は、「着飾る」ことで「カッコいい」を得ているため、「着飾る」ことをしない人は、中々「カッコいい」には至れないでしょう。

「嘘をついていない」は中々に難しいです。外見(顔など)で「着飾る」ことをしないのは簡単ですが、発言や性格など目に見えない部分で「嘘をついていない」人はそうはいないのではないでしょうか、と私は思います。
なぜなら、そもそも私たちは、そういう世界に住む事ができないからです。


人と話す時、仕事をするとき、少なからず、言うべき内容を取捨選択し、時にはあえて嘘をつくこともあります。そうしたしがらみの中に生きているのが私たちです。
ただ、念のため再度言うと、「嘘偽り、齟齬が無い、ありのままを見せている」と確実に言える可能性があるのは自分のみです。
(自分ですら確実に言えるか怪しいと思いますが。)

つまりは、「着飾らない=ありのままを見せている人は大概カッコ悪い」と勝手に思っています。



さて、ここまでは、ダサい=カッコ悪い「人」について述べてきましたが、
曲における「ダサい」について、Dream Believersの歌詞を引き合いに出して考えていきます。

行こうよ!
なんだってやっちゃえば楽しい
いまを頑張ることが楽しい
デコボコの道だって 大丈夫さ

行こうよ!
なんだってやっちゃうと決めて
いまを抱きしめたら
夢をえがいて ときめきながら繋がろう
Dream Believers I believe!

この歌詞は、「嘘偽り、齟齬が無い、ありのままを見せている」と先述しました。
なぜそう言えるかは後で説明するので、ひとまず「嘘偽り、齟齬が無い、ありのままを見せている」ということは前提として考えていきます。

行こうよ!
なんだってやっちゃえば楽しい
いまを頑張ることが楽しい
デコボコの道だって 大丈夫さ

いったん、キャラが歌っているということは置いといて、歌詞をそのまま読んでみてください。












ダサくないですか?





例えば、もう少しカッコいい言い回しがあるだろ、とか。
(あえて結論を先取りすると、この言い回しだからこそ良いのですが。以下同じ。)


ダサい、素直すぎる。直球すぎる。





行こうよ!
なんだってやっちゃうと決めて
いまを抱きしめたら
夢をえがいて ときめきながら繋がろう
Dream Believers I believe!


「夢をえがいて」なんてとてもじゃないですが私は恥ずかしくて言えないです。
ダサすぎる、無垢すぎる、世の中はそんな綺麗じゃないだろと。








「カッコ悪いけど眩しい」について


さて、これまでは、「嘘偽り、齟齬が無い、ありのままを見せている」=カッコ悪い
と述べてきました。

実際、「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ(ラブライブ!)を知らない人」=「第三者」は、歌詞を見て同じ感想を抱く人もいるのではないでしょうか。
「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ(ラブライブ!)を知らない人」=「第三者」は。



しかし、私たち「「蓮ノ空のこと好き好きクラブ」のみなさん」 は違うのではと思っています。
確かにダサいけど、どこか惹かれ、眩しく映るのではないでしょうか。

それはなぜか。
それは、私たちが「蓮ノ空のこと好き好きクラブ」であり、彼女たちが「嘘偽り、齟齬が無い、ありのままを見せている」ことを知っているからだと思います。







コンテクスト、という言葉があります。
意味としては、「前後の繋がり」であったり、「作り手と受け手(要は公式とオタク)の間の共有物」といったものです。
「第三者」とは、コンテクストを知らない人です。


コンテクストを知らない第三者からすると、Dream Believersのサビの歌詞は、表現がド直球すぎて格好悪いしダサい、などと思うかもしれません。
ただ、コンテクストを知っている私たち=「蓮ノ空のこと好き好きクラブ」、からは見える景色が違う気がします。



私たちは、「ラブライブ!の世界の常識、前提」、いわゆる「ラブライブ!あるある」を知っています。
具体的には、ラブライブ!の世界では、ありのままの姿を見せる事、嘘偽りがないこと が望ましいこととされています。


その世界では、嘘をついたり何か齟齬があると、ライブ本番で失敗したり、本番とまでは行かずとも練習で上手くいかなくなったり、仲が悪くなったりと悪い事が起きます。

例えば、蓮ノ空のストーリー第3話では、梢センパイの言いつけを破って独自に追加練習をしていた花帆が、本番前に怪我をしますね。



とはいえ、それは、フォーカスされることで、後々起こり得る良い事への繋がりとなり、最終的には、「自分をありのまま見せている、自分に嘘をつかない、齟齬の無い、キャラクターたちの姿を私たちは見る」ことになります。


第3話でも、最終的には、梢センパイと花帆は「本番前の怪我」を引き起こした原因について、互いに話し合い、謝った後、無事ステージに立ち、そのことを象徴するような、「スリーズブーケの(恐らく)伝統曲」である「Reflection in the mirror」を歌い切ります。



若干長くなりましたが、要は、ラブライブ!では、嘘や齟齬は望ましくないものとして描かれるものの、最終的にはそれらが無くなった純粋な、嘘偽りのない彼女たちの姿が描かれる」ということです。



このように、私たちは、キャラの素顔、葛藤、喜びも悲しみも、生き方も、キャラとの相互作用やそのキャラ自身の気づきも、そして、「嘘偽り、齟齬が無い、ありのままを見せている彼女たち」を知っています。
現実世界では、他人の内面までを細かく知ることは不可能ですが、アニメやストーリーからは、登場するキャラのほぼ全てを知ることができます。



だからこそ、彼女たちが歌うその歌詞は、「嘘偽り、齟齬が無い、ありのままを見せている」ということを知っています。



彼女たちは、等身大で、本気で、その歌詞を歌っている、そうした彼女たちの嘘偽りのないひたむきさやまっすぐさ、が、「眩しい」の正体であり、故に私は惹かれているのだと思います



「確かにダサい。でも、だからこそ、そんな真っすぐな姿がカッコいい」

と思わされます。




最後に

私が常日頃から思っていることとして、「その歌詞を歌うという事は、その歌詞を身に宿すということ」、「そのキャラクターがその曲のその歌詞を歌うということが重要」というものがあります。



言霊という言葉があるように、言った事は真実になったりしますよね。
個人的には、「その曲」の「その歌詞」を歌える状態の人はそうはいないと思います。なぜなら、その曲に見合っていないからです。私は、「いまを頑張ることが楽しい」なんてとてもじゃないですが正面切って言えないです。言えるように頑張ります、、
*4




しかし、蓮ノ空のメンバーは、そんな眩しい歌詞でも歌える、と私は認識しています。
だからこそ、眩しい歌詞を歌う姿に私は心を打たれるのでしょう。勿論、その歌詞がさらに「似合う」ように頑張る彼女たちの姿も眩しいです。






彼女たちの「純粋さ」、「眩しさ」、を意識しながら、彼女たちの「いま」を見届けていきたいと思います。

*1:ここでの嘘は、真実ではないという意味であり、そんな悪すぎる意味ではないです

*2:勿論例外もありますし、グラデーションもあります。後述するように、嘘をついていないのにカッコいい場合もあります。

*3:なお、余談ですが、「着飾る」という言葉は、場合によっては、「自分を背伸びして見せる」という意味で使われることもあります。さらに悪く言うと、「身の丈に合わない」という意味を暗に含みます。外見と直結するためこういう意味を持つのでしょうか。

*4:カバー曲などは別です

【歌詞考察】DOLLCHESTRA 「ツキマカセ」  (ラブライブ! 蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ)

こんにちは

興が乗らなかったのか単に疲れているのか知らないですが、全くブログを更新していませんでした。
これはいかんとなり、リハビリのブログを書きます。
※ このブログを書き始めたのは1か月以上前からです
※ リハビリとか言っといて1万字のブログになってしまいました。






今回は、「ツキマカセ」という曲について少し触れていきます。

極めて抽象的で謎の多い歌詞ですが、頑張ります。振りについても考えようと思ったのですが、字数の問題から割愛します。

なお、リリックビデオもありますのでそちらもぜひ。

www.youtube.com




ちなみに、この曲を選んだ理由は3つ。


① 俺が好きそうな曲すぎる

→ 感情がうごめく曲が大好きなので。


② 衣装が性癖

→ ゴシック系が”良い”

 もうこれ犯罪だろ。




③ 一番課金して手に入れたUR

→ 画像参照。

卯辰山見晴らし台にて、聖地効果を狙ってガチャを引いたものの、2万円以上課金しても推しのUR(ツキマカセ 夕霧 綴理)が全く出なかったときの俺




それでは。





歌詞考察

1番

物憂げなベッドルーム
彩る甘い話題
まだ陽は昇らないで

始まりはこれらの歌詞から。
読み取れる情報と謎と感想は以下の通り。
【情報】
・ 場所:ベッドルーム(自室?それとも誰かの部屋?)
・ 時間:夜(おそらく深夜)
【謎】
・ ベッドルームが「物憂げ」な理由
・ 「甘い話題」の中身
・ 「まだ陽は昇らないで」と願う理由
【感想】
・ 日が昇ったら、今の時間が終わってしまうと思っていて、それは悲しいよねって思います。
 個人的に夜に誰かと話すのって結構楽しいんですが、夜ということもあって明るい話ばかりだけでもなく、暗い話(将来の話)もあり、
 でも、ずっと話していたいなと思うことはあります。なんだか、同じ日なのに別の時間が流れているような気がします。
 夜は特別なんすわ。という想いです。



半端に取り入れた恋愛脳
ぶつかり合う感情論
おとぎの国 見えなくなった後も
愛を知って強くなれるとか 
(曖昧で)
不思議な言葉を人は信じてるから

読み取れる情報と謎と感想は以下の通り。
【情報】
・ 全て
【謎】
・ 全て
【感想】
・ マジで分からん!!! とさじを投げるのは良くないので、少し考えてみます。

ざっと歌詞をまとめると、「根拠のない曖昧で不思議な言葉を、人は信じるものだ」というところでしょうか。
まず、「半端に」取り入れた恋愛脳、という歌詞。わざわざ「半端に」と言っていることから、「完全には取り入れていない」というニュアンスのみならず、
若干「好ましくない」というニュアンスにも取れます。
その次の「感情論」、これも、「その場の感情でぶつかり合う」ということです。
「おとぎの国」とは、子どもが信じるような美しい夢の国でしょう。子どもは、主に親から、色んな「御伽」話を聞きますが、大人になると、「御伽」話に出てくるような世界は存在しないと知ります。
つまり、「おとぎの国 見えなくなった後も」とは、「大人」になっても、という意味でしょう。ここで言う大人とは、成人という意味にも取れますし、「精神的に子どもではない」という意味にも取れますし、「感情論」なんてぶつけないという意味も含まれているでしょうか。

さて、そんな「大人」でも、「愛を知って強くなれる」なんていう曖昧で不思議な言葉を信じているんです。
この塊の歌詞を踏まえると、「根拠のない曖昧で不思議な言葉を、人は信じるものだ」には、「そんなもの信じるのか」と呆れているかもしれませんが、同時に「そんなものだが、人は信じるものなのだな」と感嘆している可能性も否定できませんし、羨ましがっているという可能性も0ではないです。
少なくとも、「私」は「論理的な人」というのは間違いないでしょう。頭で物事を考えるタイプという事です。


恋の理想なんて 
(言われても難しくて)
案外悩んじゃって 
(考えると恥ずかしくて)
妄想リプレイ もう結構
何か虚しい ちょっと
着飾らずに居られる場所が欲しいのに

読み取れる情報と謎と感想は以下の通り。
【情報】
・ 無し
【謎】
・ 全て
【感想】
・ マジで分からん!!! もう一生これが続く気がします。頑張って考えてみます。

まず、この塊の歌詞を見て思ったのは、「どんな場面、シチュエーションなのか」ということです。
有力なのは、自室でしょうか。

その理由は、「悩んじゃって」という歌詞や「妄想リプレイ」という歌詞からです。
ふと言われた「恋の理想」という問いを自室で反芻して、勝手に恥ずかしくなる、みたいな場面はあるあるです。

ただし、「妄想リプレイ」は「もう結構」と、既にやった上で拒否しているようです。
これは、「何か虚しい ちょっと 着飾らずに居られる場所が欲しいのに」という呟きと連動しているように見えます。
倒置を直すと、「着飾らずに居られる場所が欲しいのに 何か虚しい ちょっと」となります。
今は、着飾っている(故に「何か虚しい」)と読み取れますが、どの場面で着飾っているのか。それは間違いなく他人と接する場面であり、例えば教室が挙げられるでしょう。
教室は、いわゆる恋バナを女の子同士でやっているシーン、が思い浮かびます。

特に、さやかは落ち着いていてどちらかというと論理を重視する子だと思うので、
恋について聞かれても考えすぎて深みにはまってしまうんじゃないかと勝手に妄想しています。
でも子供っぽいのが大好きなんですよね!!!!!!!!!!!!!!でも考えると恥ずかしがるタイプだろ!!!!!!!!!!!!

公式4コマ🪷りんく!らいふ!ラブライブ! 【第40話】 作◆珠月まや( @mayamaya36 )先生


話を戻すと、要はこの時点では「恋」という話題から離れたいと思っている気がします。
「妄想リプレイ」をしていることから、何度か「恋」について考えたものの、「疲れてしまった」というのが近いでしょうか。
それはなぜか、頭で考えるタイプだから、というのが現時点での見解です。
「着飾る」とは、現状を指すのですが、これは「普段の論理的な自分とは真逆に恋について考える自分」のことかなと。


幸せの設計図
誰も知らないんでしょ
期待に満ちたシナリオ
胸に秘めて泣きそうです

昔見た白昼夢
絵空事だったみたい
ローファイな気分飽きちゃって
またルーレットな心模様


1行空けて前半と後半に区切ります。
前半は、歌詞通りの解釈で良いかと思います。
設計図、シナリオ、どちらも何かを成し遂げるための道筋を示すものです。
ただし、そんなものはない。○○をすれば必ず幸せになれる、理想の世界へ身を置ける、なんてことはないわけです。不確実。


後半も同じです。
白昼夢とは、ぼんやりと頭の中で描く理想や願望のことで、非現実的なものを表します。つまりは幻想です。
そんな夢のような世界は子どもの絵空事なんです。辛くなってきた。。。
ローファイという言葉は恥ずかしながら知らなかったんですが、どうも音楽用語で、「音楽のレコーディングの際の録音状態、録音技巧の一つで、極端に高音質なものではない録音環境を志向する価値観。転じて、そうした要素を持った音楽自体を表す言葉。」っぽいです。
ja.wikipedia.org


音質が悪いということらしいですが、逆にそれが良い、とかなんとか。これも何だか不確実みがありますね。
これを踏まえて、「ローファイな気分」とは何か、を考えると、それは不純物が混じった状態である、ということでしょうか。
これまでの歌詞や「私」が論理的な人間であることを踏まえると、恋に絆された気持ちのことでしょうか。

そして、「またルーレットな心模様」について。
唐突に出てきた印象です。「また」なのか? ルーレットな心模様とは何か?ともう何が何だか分かりません。
ルーレットとは、基本は運任せなゲームですが、ここで曲のタイトル回収。「ツキ任せ」です。
心模様とは、心の中の複雑に入り混じった様子を指します。
ルーレットな心模様とは、心の中の状態は予測ができず、コロコロと変わるものである、ということでしょうか。
「ローファイな気分飽きちゃって またルーレットな心模様」と繋がりで見ると、
普段の状態が「ルーレットな心模様」なのでしょう。
一時的な「ローファイな気分」に飽き、また気分が「ルーレット」のように変わるということです。となると、恋愛モードも現れるということを示唆されますね。
ちなみに、リリックビデオでは表情が2パターンあって、コロコロ表情が切り替わるのですが、これもルーレットを表しているかと思います。


2番~

それでは2番以降の歌詞についてです。

うんざりするような恋愛ショー
嘘だらけの青春を
子供騙しだと笑っていても
恋の魔法かけられた日には
(もしかして)
私も笑い者になっているかな


「うんざりするような恋愛ショー」を外から見る分には「子供騙し」と笑っていますが、
「恋の魔法をかけられ」ると、そんな恋愛ショーの中に自ら入り込むのでしょう。
「かけられた」と、どこか受身な言い方なのも気にかかります。
恋愛ショーに入り込むかもしれない自分を憂えているとも捉えられますが、どこか望んでいるようにも見えますし、既に入っている可能性もありますね。

というか、「うんざり」、「嘘だらけ」、「子供騙し」と散々言っているあたり、果たして本当に恋愛ショーを嫌悪しているのでしょうかと個人的には思います。むしろめっちゃ興味があるんじゃないか??
よく考えたら、恋、恋と何度も口にしていますし。
ここでは恋愛モードっぽい気がしますね。


風景変えたくて 
(少しだけ背伸びをして)
階段昇ったって 
(思うほど変わらなくて)
安全ポジション もう結構
口に出せない きっと
傷つかずに居られる場所は欲しいけど

1番の歌詞とはうって変わって、「変化を求めている」のが気になります。
「階段を昇る」ということは、そのままの意味、つまり自分が居る場所が変わることで見える景色が違ってくる、という意味になりますが、そうした物理的な意味に留まらない気はします。
「背伸びをして」も、実際に背伸びをしたという意味のみならず、「実際よりも程度を大きく見せようとする」という意味で捉えた方が良い気がします。
「安全ポジション もう結構」は、1番では「妄想リプレイ もう結構」と対応します。
「安全ポジション」とは、現状のことでしょう。「もう結構」と言っている、現状からの「変化」を求めていると。
その次の歌詞は、倒置を直すと「傷つかずに居られる場所は欲しいけど 口に出せない きっと」でしょうか。
「傷つかずに居られる場所は欲しいけど」と言っていますが、「傷つかずに居られる場所」とはいったいどこを指すのでしょうか。

直前の「安全ポジション」で居られる場所、というのが最も分かりやすい答えでしょう。
「安全ポジション」とは現状のことだったので、現状が欲しい=現状を維持したいけれども口に出せないらしいです。
...先ほどの解釈とは真逆になってしまいます。

個人的には、2番の歌詞は恋愛モードになっていることがこの謎を解くカギになると思っています。
「私」は論理的な人間であり、恋愛に絆された気持ちを「ローファイな気分」と言っていることは1番の歌詞で既に触れました。
ただ、2番は恋愛モードにあり、要は普段とは真逆であるということです。
となると、現状を変えたいと思っている恋愛モードの「私」にとって、「傷つかずに居られる場所」はむしろ「恋愛ショーの場」だと思っています。
つまりは、ここでは恋愛モードとして、現状から一歩踏み出そうとしている(=「恋愛ショー」に身を置こうとしている)けれども、中々難しい、ということでしょうか。
だからこそ、「恋の魔法かけられた日」と受動的に表現しているのかもしれません、恋愛ショーの一員となるのを夢見る少女、といった気がします。


悲しみの復元図
持て余してるんでしょ
暗い顔にはサヨナラ
ご都合主義は無理そうです

不器用なマイルール
悩みすぎだったみたい
ハイファイな気分に浸って
でもルーレットは止まらない

同じく歌詞を前半後半で分けてみます。
「悲しみの復元図」も相当曖昧な表現ですが、素直に読むと、過去の悲しい出来事、感情を復元、元通りにしたものということになります。
これを「持て余してる」ということは、扱いに困っているということ。
つまりは、過去の悲しさをどう扱って良いか分からない ということになります。ううむ分からん。
「暗い顔にはサヨナラ ご都合主義は無理そうです」について。
「ご都合主義」とは、これまでの文脈や流れを無視してその場その場で状況に合わせて振る舞うこと、です。つまりは「非論理的である」ということだと思います。
この曲の主人公は「論理的な」子であるため、ここは何となく繋がる気がしますね。
「暗い顔にはサヨナラ」は、すぐ次に続く「ご都合主義」と同じ意味ではないかと思います。
つまり、前半の意味としては、「過去あった悲しい出来事をどう処理するか分からないんだけど、暗い顔にはサヨナラ、なんていうご都合主義で流せるものではない」となるでしょうか。
2番では、論理的な「私」が恋愛モードになっているのですが、普段の「私」とのせめぎ合いや葛藤がこの歌詞から読み取れますね。


一方後半。
「不器用なマイルール」は、前半の歌詞を指しているような気もします。論理的な人は柔軟性に欠けるきらいがあるので、「不器用」になりがちですし、「マイルール」とは「ご都合主義は無理そうです」のことでしょう。これらに対して「悩みすぎだったみたい」と、少し前半の歌詞に対して考えを改める予兆が見て取れます。
「ハイファイな気分に浸って でもルーレットは止まらない」は、1番の歌詞の
「ローファイな気分飽きちゃって またルーレットな心模様」
と対応しています。
「ハイファイな気分」は「ローファイな気分」と対を成しており、「不純物の無い気持ち」を指します。
これは、つまり普段の論理的な気持ち? なのでしょうか。
否。ここは、「ノイズなどの嘘偽りのない晴れた気持ち、純粋な気持ち」ということで、2番の気持ち、「恋愛モード」を指しているのではないでしょうか。1番と真逆の表現にも関わらず、同じものを指すというのは面白いなと思います。

でもどのみち「ルーレット」なんですね。心は揺れ動くものであり、まもなく普段の論理的な「私」が出てくるでしょう。


ガラスの靴とか
ダイヤのティアラも
興味ないわけじゃないの
だけど少し現実派
絶妙なバランスで
揺れる乙女心
夢だけ見せないで
心変わりしちゃうかもよ
ルーレット・チャンス

ここはだいぶ素直に読めますね。
「ガラスの靴」も「ダイヤのティアラ」も、御伽話のシンデレラが着けるような、身につけた人を美しく魅せるような夢のような代物です。
そうした現実離れしたものに興味が無いわけではないけど、あくまで地に足がついているようで。
ベースはあくまでも「現実派」なのだけれども、たまに地から足が離れることもあるようです。
ここでは、普段の「私」と少し恋に浮かれてしまう「私」の両方を表現していますね。そうした状態が「絶妙なバランスで 揺れる乙女心」なのだと思います。


「夢」とは、寝る時に見るものでもあり、将来叶えたいと思っている事柄でもあり、地から足が離れた状態であります。
「私」は、地に足が着いた生き方がベースなので、「夢」だけ見せると、地に戻ってこれなくなる=心変わりしちゃうことになります。


では、ここでいう「心変わり」をしてしまったら、どのような状態になるのか。
この歌詞が誰に向けてのものか、ということを考えてみます。
要は、この曲の主人公に向けて恋の感情を抱いている仮想の相手(仮に「あなた」とします。)が私に「夢」だけ見せたら私は「心変わりしちゃうかも」ということです。
ただし、この曲の主人公が「あなた」にどのような感情を向けているかは分からないため、ここでは単に、「今ある気持ちが変わってしまうかもしれない」と言っているのみ、というのが限界でしょうか。
「心変わり」とは、具体的には、① 肯定的な感情が否定的な感情に変わる ② 否定的な感情が肯定的な感情に変わる などが挙げられます。「夢だけ見せないで」と言っていることから、ここでは①の意味かと思われますが、ルーレットであることから、②もあり得ますね。
普段の「私」なら①ですが、恋愛モードの「私」なら②かもしれません。



妄想リプレイ まあいっか
「らしく」生きて もっと
着飾らずに居るのは難しくても

ここは1番の歌詞とはうって変わった表現ですね。
「妄想リプレイ」は、1番では「もう結構」と言っていたのにここでは「まあいっか」と容認しています。
ただし、「らしく」生きて という歌詞が引っ掛かります。
なぜ「らしく」と鍵カッコがついているのか。「らしく」には何か特別な意味が込められていそうです。
倒置を直すと「着飾らずに居るのは難しくても 「らしく」生きて もっと」となります。
つまり、「らしく」とは「着飾らずに居ること」を指します。
ではこの「着飾らずに居る」とはどのような意味か。直前の歌詞で「妄想リプレイ まあいっか」と言っていることから、いわゆる「ありのままの自分でいること」です。
それはつまり「ルーレット」を指します。気持ちがコロコロ変わるのが「私」の本質ではないでしょうか。

幸せの設計図
誰も知らないんでしょ
期待に満ちたシナリオ
書き直しも出来そうです
昔見た白昼夢
壁に飾って眺めたい
ローファイな気分飽きちゃって
またルーレットな心模様

ここも1番の歌詞とほぼ同じですが、違う箇所もあります。
・ 「期待に満ちたシナリオ 書き直しも出来そうです」
1番では「期待に満ちたシナリオ 胸に秘めて泣きそうです」と若干後ろ向きでした。
・ 「昔見た白昼夢 壁に飾って眺めたい」
 1番では「昔見た白昼夢 絵空事だったみたい」とこちらも若干後ろ向きでした。
若干自分を受け入れているような、前向きな気持ちが垣間見えます。前の歌詞の影響を受けているものとみて間違いないでしょう。




どうせ今日も繰り返す
同じ話題で良いでしょ
次第に鈍くなる思考
あと少しだけ巡らせて
暗転したベッドルーム
筋書きの無い会話
月が逃げ去った後も
ルーレットな心模様


ここでようやく曲のタイトルにもある「月」というワードが出てきます。。
また、ここは、場所といい曲の導入の歌詞と対応があるような気もします。

「どうせ今日も繰り返す」とは、「話」であり、「月の公転」でもあるかなと。つまりは、「同じ話題」が月の公転のように延々と続いていくものであると。
「次第に鈍くなる思考」は睡魔のせいでしょうか。でもまだ終わりたくないので「あと少しだけ巡らせて」と言っています。
「筋書きの無い会話」とは、つまりは着地点が読めない会話のことでしょう。睡魔のせいなのか、はたまた話題のせいなのか。
「月が逃げ去った」という表現は拘っている気がします。
「逃げ去った」というのは、「逃げていなくなっちゃった」という意味で、単に「いなくなった、見えなくなった」という意味よりも強い意味に聞こえます。
なぜ強い意味にしたのかというと、「ツキマカセ」にしていたからです。「月任せ」にしていたのに肝心の「月」が去ってしまったと。
それでもなお「ルーレットな心模様」は変わらない となります。これは、「月」という自分以外のものへ判断を委ねていた「私」は、実はそもそもの自分は「ツキ任せ」という性格だったということを表しているのでしょう。
最後の締めは、「ツキ任せ」な自分 ということになります。

補足

ここで、初めに触れた導入の歌詞の謎について考えてみることとします。

物憂げなベッドルーム
彩る甘い話題
まだ陽は昇らないで

【謎】
・ ベッドルームが「物憂げ」な理由
・ 「甘い話題」の中身
・ 「まだ陽は昇らないで」と願う理由

「甘い話題」とは、間違いなく「恋」の話でしょう。
では、ベッドルームはなぜ「物憂げ」なのか。
導入の歌詞をどう捉えるかという問題になるのですが、1番の歌詞よりも前に来ているという時系列の意味で捉える場合もあれば、「のちの歌詞の内容を暗示している」という意味で捉える場合もあり、今回は後者かなと思います。
となると、ここの部分は、「普段の論理的な「私」が恋に絆されているということ、恋愛モードの「私」が中々変われないということ」を理由として、「物憂げ」であるということでしょう。
「まだ陽は昇らないで」と夜が続くことを祈っているのは最後の歌詞とも一致しますね。


もう少し広げてみる

もう少し広げてこの歌詞を考えてみたいと思います。
といっても手がかりがないので、ここでリンクラのカードから解釈を試みましょう。

【UR [ツキマカセ] 村野 さやか 入手時】
あ...雨の...匂い。
時折、ふっと香るたび、嫌いじゃないなって思うんです。
ただそれは、雨が好きというのとは、少し違う気もして。

【UR [ツキマカセ] 村野 さやか 特訓1回目】
まどろみの中でくらい、幸せな妄想に浸りたい。それは弱さではないかと思います。
世のこと全て、正面から受け止めるべきであると私は思います。でも、情けない事に、不思議な事に、常日頃からそうして生きてきた私自身が、なんだかどっと疲れてしまったような。
こうなればいいな、こうなったとして、その先の甘い未来を。
甘美な毒って、こういうの。

【UR [ツキマカセ] 村野 さやか 特訓2回目】
んーあのー私、こんな顔してました?
なんというか、たいへん、たいへんこう、外にお出しできるような顔ではない気がしますが
もちろんライブをするにあたり、全力は尽くしたつもりなのですが。こ、こんな。。
い、イメージとしては、ツキマカセなんです。そう、まどろみと、幸せな未来に想いを馳せて...
後ろの綴理先輩も、気づいたらすごいくっついてますし...え、ええ~

【UR [ツキマカセ] 夕霧 綴理 入手時】
よく、ぼーっとしてるって言われるけど、良い事もある。さやがいたよ。窓と、雨の向こう側。光も音も遮られて、気が付かないと思うけど。

【UR [ツキマカセ] 夕霧 綴理 特訓1回目】
こうなれば良いな、と思い浮かべて、その通りになった未来に焦がれる。そうはならないだろうと諦めているから、余計に色濃く、願いが映る。そんなイメージ。僕自身がいつも強く感じていたこと。でもその時から、祈った先を夢見るくらいは、自由だと、縋っていたんだ
光と音が遮られても、その先で手が触れ合うように。

【UR [ツキマカセ] 夕霧 綴理 特訓2回目】
この時間がずっと続けばいい。僕たちのステージは夢じゃないけど、夢みたい。ずっと続けばいいのに、続かない。
夢を見るようにライブに焦がれて、永遠に続く世界を想う。
叶わないから、片思い。
最近、夢の諦め方に気づいたよ。それは理想を願いながら、でも、今を好きになる事。今を好きになるための努力が、僕にできたかは分からない。ひょっとしたら、ただの幸せ者かもしれない。僕にとっては、みんなと話せるこの時間が、夢を夢で割り切れる。今を好きでいられる理由だから。

さ、流石に......これは...................







気を取り直して、
さやかのボイスからは、「まどろみ」、「幸せな未来」、「甘い未来」という言葉が特徴的です。
さやかのいう「まどろみ」とは、寝ている時に見る「夢」であり、「夢」の中では「甘い未来」を夢見ると。
「幸せな未来」に想いを馳せて...と言っていますが、「イメージはツキマカセ」とのことです。
これはつまり、非現実的というニュアンスを含んでいる気がします。「月」という神秘的なものに「任せ」ているのですから、どことなく現実離れしている気もしますし、「ツキ」に任せているのですから、現実味があるかどうか怪しい気もします。
だからこそ、甘美な毒なのでしょうか。



綴理のボイスからは、「こうなれば良いな」、「夢みたい」「この時間がずっと続けばいい。」などが特徴的な言葉です。
綴理は、「今」が永遠に続きはしないことや、「その通りになった未来」が叶わないということに触れています。これらを「片思い」と言っているのも流石のセンスですね。。
そういう点では、綴理のいう「夢」とは、現実的ではないものであり、「白昼夢」に近いものだと考えられます。そんな幸せな「夢」も、「今を好きになる事」で、諦めがつけていると。
この2人に共通することは、「未来」も「夢」も手の届かない遠いところにあるということを「今」感じているという事でしょうか。


思えば、ツキマカセの歌詞も、「白昼夢」や「幸せの設計図」といったどこかふわふわしたものを欲しがっていた、そうなって欲しいと思っていたようにも思えます。
しかし、現実主義な「私」からすると、実際はそんなこと叶わないと知っている。「月(ツキ)任せ」という曲名からも、現実的に叶わない(からこそ「月(ツキ)任せ」とするしかない)。だけれども、「期待に満ちたシナリオ 書き直しも出来そうです」と言っているように、現実にもどこか希望があるように見えます。

「恋」の話というよりも、「ずっと続けばいい」というような「夢」の話、について、誰かとつらつらと話せる夜が終わらないで欲しいというのは、さやかの1回目特訓ボイスと、綴理の2回目特訓ボイスの両方にかかっているのでしょう。

色々と書きましたが、ツキマカセ を「恋」の話から拡張させると結論はこんな感じでしょうか。


「夢」や「未来」は手に届かないところにあり、それは「白昼夢」や「幸せの設計図」とも言える。
現実的な「私」からすると、そんなことは当たり前で、「月(ツキ)任せ」にするくらいで。
ただ、たまにベッドルームでは「甘い未来」を見たくもなり、「夢」の話を「繰り返す」時間もあって、
叶わない「夢」を諦めつつも、「夢」に恋し、焦がれる、二重の意味で、「夢」もルーレットなのかもしれない。

ラブライブ!スーパースター!! Liella! 4th LoveLive! Tour ~brand new Sparkle~ に向けて

マジでブログを書いていなかった。。

というわけで、久しぶりのブログとなります。
標記の通りなのですが、明日からLiella!の4thライブが始まります。



気持ちを頑張って高めていくためにも、恐らく披露されるであろう聴くのが楽しみな曲を3曲だけ紹介します。




① ベロア



俺が好きそうな曲すぎるだろ、、、、





なぜこの曲名なのか、と考えていました。特に答えが出ているものではないですが、メモ代わりに書きます。
ベロアは、肌触りの良い生地で、鈍い光沢のある生地、ということですが、
「肌触りの良い」 →これはワードだけ見ると「良い」意味だと思いますが、今回の曲では「良くも悪くも」という意味な気がします。
曲中は「恋」というワードが出てくるように、「恋」に関する曲である事は間違いないです。
では、「恋」における「肌触りの良さ」とは何か。恋人の肌触りが良いという「触覚」に関するものかもしれませんし、「恋」自体への「親しみやすさ」といった「恋に対する距離の近さ」も連想されます。
しかし、この曲は「恋」の曲であると書きましたが、厳密に言えば「悲恋」の曲であることは間違いありません。
この「肌触りの良さ」は「触覚」という意味では間違いなく失われてしまっており、一方で「恋に対する距離の近さ」という意味ではなおも残り続けてしまっているんじゃないかなという気がしています。
要は、会えない+好きなままでいる「対象」が持つ「肌触りの良さ」に対して、いとおしく思う気持ちと苦しむ気持ちの両方が混在しているんじゃないかと思ったりします。どっちの気持ちを取るかなんて「分からないけど」ということですので。


そして、
「鈍い光沢」→相当に難解です。
一つ思ったのは、「鈍い光沢」は対義語である「鋭い光沢」を考えると、なんだか見劣りする印象があります。
A4の光沢紙とかぱっと見良い生地っぽく見えます(頭が悪そうな発言)

「鈍い光沢」とは、「いやまあ光ってはいるけどそんな光ってなくない?」って意味だと思っていますが、
この場合の「光沢」とは何を表すんでしょうね。
「光沢」が曲中の主人公と「君」の関係性を指しているようにも思えます。だとすると、「鈍い」とは誰視点なのか。
客観的に「鈍い」のか、主人公 or 「君」が「鈍い」と認識しているのか、はたまた客観ー主観 や、 主観(主人公)ー主観(「君」)に乖離があるのかと疑問に思います。
ここら辺は、解釈が分かれるところな気がします。


余裕があればちゃんと考察したいデス。










② 不可視なブルー



はい、俺が好きそうな曲すぎる、、、、
KALEIDOSCORE、一番好きかもしれん。。。。。。。。。








①の解説で力尽きたので②の解説は控えめに

曲名の「ブルー」は名詞です。「青」です。
「青」とは何か、がこの曲を考える上で重要な気がします。
涙、かもしれないですし、悲しいという気持ちかもしれませんし、自分ではなく視界に映る「対象」についてのものかもしれません。個人的には全て当てはまる気がします。
この曲の主人公、拗らせてんなあ、、と思いましたが、最後の方の歌詞を聞くと、不思議と一筋の希望みたいなものが映りますね。











③ クレッシェンドゆ・ら

ブログに書くくらいに好きです。披露されたらマジで叫ぶ。
hayallou.hatenablog.com










最後に


充電切れなので今日はこのくらいで。。
蓮に熱意の全てを取られているので、まだ4thライブめちゃくちゃ楽しみ!とまで至れていないのは事実です。
が、始まったら楽しいでしょう、と思い明日を迎えるとします。

【考察】DOLLCHESTRA 「Tragic Drops」

こんにちは。

ようやく、女性声優以外の内容のブログを書くらしいです。


本日のお題は、のんすけ...ではなく、DOLLCHESTRA 「Tragic Drops」という曲について。


www.youtube.com



こちらの曲は、"Link! Like! LoveLive!、通称「リンクラ」の「Fes×Live」という月1回のライブ配信で初披露された曲であり、僕が電車の中で聞いて泣いた曲です。周りの視線が若干痛かった。


本日は、こちらの曲について、想いを巡らせていきたいと思います。
予め言っておきますが、オチはなく、思考の置き場みたいなブログです。
そのため、読みやすさを考慮していません。ただただ早口でデカい声で喋ってるみたいなブログになっています。そんな感じでも読んでいただけるのであればお願いします。

ちなみに、過去最長のブログです。






前提となる自分の考え

過去のブログでも触れた気がしますが、自分は、その曲の歌詞を重視する傾向にある気がします。
なぜなら、その歌詞のその言い回しを選んだことには理由や意味があると思っているからです。



例えば、Tragic Dropsでいうと、最初の歌詞に「曇りのち土砂降り」という聞きなれないワーディングが出てきます。よく天気予報で聞くのは「曇りのち雨」でしょう。
つまり、ここでは、あえて「土砂降り」という言葉を使っており、その理由はおそらく、”雨の勢いの激しさ”を表現したかったからだと思います。さらにいうと、ここで言う”雨”とは、天気で言う「雨」でもあり、悲しさを意味する「雨」であり、涙を意味する「雨」であり、それが激しいという事はつまりそういうことで...


と、たったこれだけのワーディングでも無限に想像が広がります。その前提となっている考え方が、「その言い回しには意味がある」なのです。




そしてもう一つ、自分は、人間の「感情」が面白いと感じます。
なぜなら、頭で考えた合理性を難なくぶち破って来るほどのエネルギーを持っているからです。「理性」を振り回すのが「感情」です。
そして、その「感情」は、他者の”それ”とぶつかり合う時に、無数の予想外の反応を双方に起こすからです。
これらを踏まえて改めて思う事が、Tragic Drops は「俺が好きそうな曲すぎる」ということです。


もう少し深掘りすると、自分はネガティブな曲が好きで、Tragic Dropsはまさにそれであるからこそ好みなんだろうなと思います。
なぜネガティブな曲が好きかというと、2つ理由があります。


1つ目は、ネガティブな曲は、感情の揺れ動きが表現されやすいからです。例えば、”失恋ソング”などはその典型的な例でしょう。
2つ目は、ネガティブな曲は、ポジティブな曲よりも、”強い感情”を扱うからです。
なぜ、”強い”と言えるか。それは、ネガティブな曲(感情)は、ポジティブな曲(感情)と違って、それを出すことに必要性があるからです。
ポジティブな曲は、”それがなくても困らない”、つまり、楽しいということを曲に出さないといけない必要性は薄い気がします。例外として、誰かと楽しさを共有・おすそ分けしたいという場合や、暗い場を紛らわすために楽しさを出す、という場合などはありますが。


一方で、ネガティブな曲は”それがないと困る場合がある”、つまり、悲しいということを曲に出す必要性、理由が明確に存在すると思っています。


例えば、悲しみに暮れている時は、無理にその感情をノッキング...ではなく凍らせずに、感情を出した方が治療的な場合があったり、悲しい時はとにかく思いっきり悲しむ、という対処法を行っている人も一定数いるように思われます。
心理学の用語で「喪の作業」というものがあります。簡単に言えば、大切な人やものを失うこと(=対象喪失)によって生じる心の揺れ動きや過程のことです。
詳しくは省略しますが、「喪の作業」では、対象喪失によって十分に悲しむ段階を経て、やがて立ち直っていきます。

このように、悲しむ事には必要性が明確に存在し、悲しまないと困る場合があると思っています。
そして、そうした必要性のある感情は、当然手加減なんてなされません。生のままの感情は、難なく心の容量=キャパシティを超え、決壊したダムのように流出していきます。
ただし、本当に悲しい時は、言葉もまとまらない一方で、その感情を高度な言葉で解釈、解明しようとする対処法も行われます(知性化)。辛い時に、「自分が今辛いのは○○のスキルが足りないからであって、この調査によると...」と”客観的な分析”をする事がありますが、これが知性化です。ちなみに、よく似たものに合理化というものもありますが、これも今回の曲には見られます。


このように、生の感情と、知的に加工された感情のダブルパンチを食らわせてくるのが、ネガティブな曲です。



Tragic Dropsについて

大変お待たせしました。
一つずつ、少しずつ進めていきましょう。
ちなみに、この曲は、「綴理とさやかが付き合っていたが、別れてしまった」という世界があると思います。(実際は、綴理とさやか、に限らないのですが、まあ実名を出した方が説明がしやすいので)


題名

Tragic Drops という題材に少しだけ触れます。


Tragic:悲劇の、悲劇的な、悲劇的要素、悲壮な、悲惨な、痛ましい
ejje.weblio.jp



dropsdropの三人称単数現在。dropの複数形。しずく
ejje.weblio.jp


drop:しずく、一滴、少量、しずく状のもの、
ejje.weblio.jp


 直訳すると、「悲劇の雫」となります。やばい(何が?)

 ただ、直訳しただけだと面白みがないので、もう少し深く考えていくと

Tragic...
 あえてこの英単語を使う理由は何か。悲しさを表したいのであれば、sorrowful や sad や unhappy など他にも候補があるはずです。

 この答えは、DOLLCHESTRAというユニット名に答えが潜んでいると思います。ユニット名は、DOLLとORCHESTRAの造語であり、Tragicは「「悲劇」の」という意味。つまり、「舞台」と文学における「悲劇」を重ね合わせていると思われます。
ちなみに「悲劇」はいわゆるバッドエンドに陥るものですし、この曲もそういう事なんだと思います。あとは、単に相当の悲しみに陥っていることを表すために強い言葉を適切に使ったのかなと思います。


Drops ...
 ここでいう「雫」とは何か。
 この答えは、雨だったり涙だったり...だと思いますが、この「雫」は曲中の様々な場面において様々な様相を見せるものな気がします。
加えて、複数形の「s」が付いているのも気になります。複数の、形の違う「雫」という感じでしょうか。


歌う人

DOLLCHESTRAがこの曲を歌うということの意味についてです。
それは、二人が「舞台上の存在」であること、そして、ストーリーにおける「すれ違い(4~6話)」との親和性が加味されていると思っています。
この曲も、すれ違いが発生していると思っています。


リリックビデオ


Lyric:叙情の、叙情詩(的)の、音楽的な、オペラ風の

ejje.weblio.jp


という意味です。
叙情とは、名前通り個人の感情や内面を書き表すことを意味します。
現代では、リリックビデオの「リリック」は、歌詞を概ね意味しており、要は、歌詞の記載やモーションの使用により個人の内面や感情に焦点を当てたビデオであると言えるでしょう。



「Tragic Drops」も、リリックビデオであり、歌詞が直接書かれることでより歌詞の意味について意識”させられる”ものとなっており、ひいてはキャラクターの感情について考えさせられるものとなっています。

非常に分かりやすく作られているため、正直あえてここで記すまでもないと思いますが、1点だけ触れておきたいことがあります。
それは、「方向」についてです。


このリリックビデオ、綴理とさやかを対比的に配置していることは明らかで、場面によって、両者の向きが正反対に異なっています。
ただ、「雨」と「風」の向きは、一定の方向を持っている気がします。


雨は、サビでは、「右上から左下」、つまり「↙」の方向に
風は、ほぼ必ず、「右から左」、つまり「←」の方向に吹いています。


右と左の持つ意味は様々ですが、
右は「未来」、左は「過去」を表します。
時間経過をグラフで示したいとき、折れ線グラフを使うと思いますが、右に行くほど新しい年にするのが通例だと思います。時間軸を示したい場合でも、右矢印を使うのではないでしょうか。
つまり、今回の場合は、通例である過去から未来への向きではなく、未来から過去へと逆行している表現が見受けられます。


これが指す意味は、未来に進めず過去に戻っている、とどまっていることを意味している.、もっと言えば、”その時”(おそらく、19時)で時が止まっているんじゃないかなと思いました。あと、台詞パートが反時計回りなのも。。



なお、「風」について触れたのでついでに触れると、木の葉が風に舞っていくのはなんだか殺風景であり、哀愁や孤独を感じさせます。


歌い方

個人的には、2人の歌い方は対比的とまで行かずとも、明確な相違点がある気がします。
綴理は、花帆みたく感情豊かではない、故に歌声(声のトーンなど)の振れ幅が小さく、感情が乗っていることが”若干分かりづらい”ような気がしています。
一方で、さやかは、その振れ幅が大きく、感情が乗っていることが”あまりにも分かりやすい”気がしています。
特に分かりやすいのが、1番サビ前の台詞である

どんな時だって君となら   
乗り越えられる、そう思ってた。

ここです。
Fes×Liveでも、ここの感情の込めようは凄かった記憶です。
これらの差異が現れる理由は、当然キャラの違いに依るところが大きい気がしています。
4~6話を見た人なら分かると思うんですが、綴理は自分の感情をうまく表現することが得意ではないように思えます。一方で、さやかは、同話よりワガママになることを身につけたため、表現力に磨きがかかった結果、こうなっているのかもしれません。
なお、良し悪しを述べているものではないことを念のため言っておきます。
綴理は確かに感情の起伏が緩やかで見えづらいですが、通常がそれである故に、歌う時の僅かな声の揺らぎに込められる意味は相対的に大きくなるので。
そして、それを見たいがために綴理により惹かれていく。百城千世子か???





歌詞

曇りのち           
土砂降り     

新しい靴なのに

私って、ツイてない
昔からそうだね        

バス停の屋根の下で    
雨宿りしていた     
君との最初と
おんなじだ      


懐かしい記憶を  
数えるほどに     

泣きたい気持ち
募るだけ     


どんな時だって君となら   
乗り越えられる、そう思ってた。  

でも、負担になるのは嫌。    
ごめんね..好きで。         

一緒に居よう、って        
約束なんて    
待たなかった               
どうせ、通り雨     
頬を濡らして
涙奪って欲しい      
哀しさを飾るようなトワイライト   
晴れた空の向こう        
伸ばす、手を       



悲劇的に見えた?      
こんな日が訪れるって
正直ね、分かってたんです   
強がれば虚しくて、     
いっそ忘れたい       


バス停の屋根の下は
余りにも広くて         
君の温もりを探してる      


触れられない面影を    
水溜まりに浮かべても   
笑い合えたあの頃は    
戻らないけど      

一緒に居たい、って 
背負わせそうで     
言えなかった
全て 過ぎた夢     
傷付かないで
次に進んで欲しい   
二人を繋ぐ理由は無いの  

また降り出す雨、眺めている数秒間 

どうすれば良かったのか
悩む、今日も...     

きっと愛のせいで    
苦しいことが
嬉しかった 君がくれた希望 

一緒に居よう、って
約束なんて
待たなかった
どうせ、通り雨
頬を濡らして
涙奪って欲しい
哀しさを飾るようなトワイライト
晴れた空の向こう
伸ばす、手を


握り返す手は、無くても...  


いや、湿度が高すぎる、、、、、
重い、、、、、、、

もう致死量なのだけれども。。
それでは1つずつ

曇りのち           
土砂降り     

新しい靴なのに

私って、ツイてない
昔からそうだね 

不穏。
今後の歌詞の予告みたいですね。
これは”現在”のことでしょう。”現在”が”土砂降り”であるというのも、心の内を示しているようでやはり既にしんどい。
ちなみに、”ツイてない”とは、いわゆる運が悪いというニュアンスと近いです。

バス停の屋根の下で    
雨宿りしていた     
君との最初と
おんなじだ

”おんなじだ”とは、何と何が同じなんでしょうか、とよくよく考えるとしんどいかもしれない。
片方は、”君との最初”なのは分かるんですが、もう片方は以下の通り。

① 
私って、ツイてない
昔からそうだね 

→ ”君との最初”がツイていない、という認知が非常にしんどい。
 まあ、いっそ出会わない方が良かった、という意味合いにも聞こえますし、
 出会いのタイミングが悪かったという意味にも聞こえます。飛躍しすぎでしょうか。



曇りのち           
土砂降り 

→ これならまあしんどくないですね。出会った日も”土砂降り”だったのでしょう。
ただ、現在も、出会った過去も雨が降っていたということは、雨がトリガーになり思い出してしまのではないかなと危惧しています。

懐かしい記憶を  
数えるほどに     

泣きたい気持ち
募るだけ 

助けてくれ。
まあ、表現がドストレートだなと思います。
一つだけ指摘するならば、”懐かしい”という言葉。

果たして、いつ”破局”したのかが気になるところです。


どんな時だって君となら   
乗り越えられる、そう思ってた。  

でも、負担になるのは嫌。    
ごめんね..好きで。 

流石に、これ


まあこれ、いわゆるヤマアラシのジレンマみたいなもんな気がします。
互いに距離が近づくほどにすれ違いや軋轢から傷ついてしまうというあれです。
あと、ここはパート分けも流石だなと思います。
”思いを秘めていた”側を歌うのが綴理なので。
そして、花帆ちゃんも言っていましたが、ここのさやかはめちゃくちゃ良かったですよね!!!!!!!!!

一緒に居よう、って        
約束なんて    
待たなかった               
どうせ、通り雨          

サビですが、感情が乗りすぎていて胃もたれしています。。筆が乗りまくってしまったので、以下ご注意を。

まず、ここで何が起こったかと言うと、以下の通りかなと。

① 綴理とさやかは、一緒に居ようという約束をした。
② ただ、一方(恐らく綴理)は待ってくれなかった。
③ どうせ 通り雨なのだから。


”一緒に居よう” =二人が一緒に過ごすことと取れますが、バス停で一緒に居ることとも取れます。
雨の日はバス停で待つという約束をしていたのかも。
しかし、”待たなかった”、”どうせ 通り雨”
”待たなかった”とは、”通り雨”だからバス停で待ってくれなかったという意味かなと。

”土砂降り”だったら、当然家に帰れないので、”建前上”待つ”理由”が生じるんですが、”通り雨”なら、止んだらすぐ帰れる”理由が生じる
という意味だと思っています。

だとすると、ここは興味深いところです。

まず、前提として、”建前上”の意味について述べておきます。
ここでの”建前上”とは、わざとらしく理由をつけて、という意味に近いです。
誤解を恐れずに言うと、「私はあなたと会いたくてここに残っているのだけれども、それを正面から伝えるのも恥ずかしいので、”雨で家に帰れない”からここに残っているだけであって決してあなたと会いたいわけではない(本当はめちゃくちゃ会いたい)」ということです。めちゃくちゃあるあるな考え方ですよね。
ちなみに、相手が建前に従っているかを推測する事で相手の気持ちを推し量ることができます。


だとすると、
① 破局する前に起こった出来事である場合
”通り雨”なので当然止んだら帰れるのだけれども、それでもなお”待っていてほしかった”のにあなたは帰ってしまった。でも、通り雨だし帰るのは仕方ないよね(通り雨だったとしても私が来るまで待ってほしかった)。
と、建前で意思疎通していると思っていた相手が実は建前ではなかった可能性が浮上してくる

② 破局した後に起こった出来事である場合
私たちは破局したのだから、一緒に居ようという約束なんてもう無効になっている。バス停で待ってくれる綴理先輩はもういない。でも、どうせ通り雨だし、破局に関わらず帰っちゃうのは仕方ないよね。
と自分自身を納得させてしまう。


さらに最悪なのが、これはあくまで一方がそう思っているだけである可能性が高いということです。
例えば、①の場合、

さやかがバス停に到着。その時には雨は止んでおり、先に出たはずの綴理先輩の姿はなかった。
さやかは、「”通り雨”でしたし、綴理先輩は私を待ってくれなかったのだろう」と思っていることになります。

しかし、これはあくまでさやかが、そう思っているだけです。
そこにある事実は、「綴理先輩がいないということ」、この事実に対し、さやかは「”通り雨”だったからいなかったのだろう」と思っていることになります。実のところ、綴理がなぜいないのかは分からないのですが。

ただ、この曲、歌詞からすると、「雨で家に帰れないという建前を超えて、雨が止んで家に帰れるのに帰らない綴理先輩、でいてほしかったけど、実際は帰ってしまったんですね」とさやかが思わなくもないです。こういうところから、少しずつ影がさしてきます。
まあそもそも、”約束”をしていたのか、していたとしてもどれくらい重みのある”約束”だったのかも双方の認識に違いがある可能性もありますね。
ちなみに、「通り雨だし帰るのは仕方ないよね」、これがほぼ合理化です。

頬を濡らして
涙奪って欲しい



主語と目的語を明確にすると、
”あなた(綴理)”が、”あなた(綴理)”の頬を濡らして
”私(さやか)の”涙奪って欲しい

又は

”あなた(綴理)”が、”私(さやか)”の頬を濡らして
”私(さやか)の”涙奪って欲しい

の2通りかなと思います。ちなみに、”涙奪って欲しい”と思っているのはさやかです。
前者は、私を置いて行った綴理が、自分の頬を濡らす=涙を流すことで、私の涙の原因を無くしてほしい(二人の想いが同じであると知ることができる結果)
という意味で
後者は、私を置いて行った綴理が、私の頬を濡らす=涙を拭きとることで、私の涙を奪って欲しい
という意味です。
個人的には、前者かなと思いますが。

哀しさを飾るようなトワイライト   
晴れた空の向こう        
伸ばす、手を 

トワイライト:「twilight」とは、英語で夕暮れ時や薄明かりの時間帯を指す言葉である。また、比喩的には、ある時期や状況が終わりに近づいていることを示すこともある。
www.weblio.jp


景色も相まって私の哀しさを”応援”してくれているらしいです。
通り雨だったので、晴れているのでしょうね。対照的に、ちっとも晴れない私の心はありますが。
手を伸ばす理由はちょっと文字にまとめきれないので割愛します。

悲劇的に見えた?      
こんな日が訪れるって
正直ね、分かってたんです   
強がれば虚しくて、     
いっそ忘れたい 

救いは無いのか、、、?

悲劇的に見えた? 

虹2期9話の、作った曲をランジュに見せるも、ランジュの心を動かせなかった時のミア・テイラーちゃんと同じ類の気持ちだと思います。
先述しましたが、”悲劇”というのがDOLLCHESTRAっぽいですね。
でも、これだけの哀しさ、悲劇という言葉が最も適切だったのでしょう。

こんな日が訪れるって
正直ね、分かってたんです

→ 分かっていたけれども目を背けてきた
 アクタージュか???


強がれば虚しくて、     
いっそ忘れたい 

強がれば虚しくて、は本心だと思いますが、
いっそ忘れたい、は本心であり本心ではないと思っています。

バス停の屋根の下は
余りにも広くて         
君の温もりを探してる 

あなた(綴理)はいない。。

触れられない面影を
水溜まりに浮かべても
笑い合えたあの頃は
戻らないけど


面影:1 記憶によって心に思い浮かべる顔や姿。
 2 あるものを思い起こさせる顔つき・ようす。
 3 実際には存在しないのに見えるように思えるもの。まぼろし。幻影。
www.weblio.jp


面影は触れられないものです。
面影を水たまりに浮かべるとはどういうことか。
水たまりは、雨によってできるものなので、
さやかの記憶によって多い浮かべられた綴理が、水たまりに投影されている、つまり、さやかの中にあった虚像を物理世界に存在する水たまりに外在化したというところでしょうか。
ただ、そうして水たまりに映る綴理を見ても、あの頃が戻るわけでもなく...という意味でしょうか。

ぬいぐるみを、亡くなった人に見立てて肌身離さず持っている、なんてことと似ていますね。



一緒に居たい、って 
背負わせそうで     
言えなかった
全て 過ぎた夢

ここは綴理の視点な気がします。なぜなら、1番サビ前の台詞パートと重なるからです。

綴理も、心の中では”さやと一緒に居たい”と思っていたのは確かなようです。
ただし、”背負わせそう”だから言えなかった。
”背負わせそう”とは何か。
ここも言葉にしがたいのですが、
あなた(さや)と一緒に居たいけど、私(綴理)という存在を全てあなたに預けてしまうと、あなたの負担になるのではないか。私と一緒にいない方が良いのではないか。

というニュアンスかなと思います。普段の綴理は十分さやかに身を預けていると思うのですが、それに対して綴理が内心どう思っているかは分からないですから。申し訳なさを1兆倍に増幅させるとこの歌詞になる気がします。


ちなみに、私と一緒に居ない方が良いのではないか、は傍から見ればかなりの飛躍なのですが、悩みに悩んだ人間はこの手の飛躍を相当行います。
後悔しても時すでに遅し。過ぎた夢のようです。
ちなみに、これは重要な指摘なんですが、

1番サビでは、”一緒に居よう”と同じようなことを言っているのですが、1番サビ:バス停で一緒に居ること、2番サビ:さやかと一生一緒に過ごすこと、とすれ違っている気がしなくもないですね。
  

傷付かないで
次に進んで欲しい   
二人を繋ぐ理由は無いの

これも、相手(さや)のことを想ってか、自分で無理やり納得してかは不明ですが、相手には次に進んで欲しいという意味です。

そして、最大の特徴が

二人を繋ぐ理由は無いの


ここは、意味が2つあると思っていて、
① 私(綴理)とあなた(さや)と付き合っているならば、それ自体が二人を繋ぐ理由になり得るけど、私(綴理)はあなた(さや)と別れたのだから、悲しいけれどももう二人を繋ぐ理由、道理はない

② 私(綴理)はあなた(さや)と別れたのだから、建前や理由をつけて二人を繋ぐことは不必要


①は、ストレートな解釈ですね。
②は、自分に言い聞かせつつも、あえて突き放すことでさやかを次に進ませようとしている気がします。②の通り、ここでの理由は、感情と対極に位置している気がしていて、つまり非常に理性的で冷たい言葉のようにも感じられます。実は、かなり優しい言葉なのですが。ただ、優しい言葉という意図もさやかに伝わらないと思いますし、伝わらない方が良い気もしますね。
綴理も、建前が通じるとは思いますが、さやかと比べると若干通じにくいのではないかなと思っています。その綴理が、②のような建前でさやかを次に進ませようとしているのならば、、、

また降り出す雨、眺めている数秒間 

何回目の雨なのでしょうか。
数秒間は、実際の時間だと思いますが、体感では何分なのか。
と疑問が湧いてきますが、ここで指摘したいのは

眺めている

です。
これ、100%、掛詞だろ、、、
まあつまり、「長雨」「眺め」で掛詞になっていると思います。
古典の授業で絶対出てきたアレです。
「眺む」=物思いに沈んでぼんやりと見やる
「長雨」=長く降り続く雨

どうすれば良かったのか
悩む、今日も... 

しんどすぎる。。ここは、声のトーンもかなり感情が乗っていますし、
いわゆる心の叫びってやつですね。
今日”も”悩んでいるらしいです。


きっと愛のせいで    
苦しいことが
嬉しかった 君がくれた希望 


”愛”とか言ってしまうのが、なんていうか言葉を選ばず言うと拗らせているなと思います。別に悪い意味ではなく。

そして、”きっと愛のせいで”
は次のどちらにかかっているのでしょうか。
① 苦しいことが
② 嬉しかった

① 愛ゆえに苦しいこと=嬉しかったことであり、君がくれた希望であった
② 苦しい事も嬉しかった=愛の”せいで”あるし、君がくれた希望であった

①は、愛しているが故に苦しいということが、逆説的に愛を感じられるため嬉しかったことであり、希望でもあったという意味で
②は、苦しい事が嬉しいと感じられたのは、愛のせいであり、希望でもあったという意味です。①と非常に似ていますが、①と違って苦しい理由が愛に限定されていません。また、①と違って、愛の”せい”=ネガティブな言葉と”希望”=ポジティブな言葉とで対比しています。
これは正直、両方にかかっている、つまり①②どちらもあり得ると思います。

一緒に居よう、って
約束なんて
待たなかった
どうせ、通り雨
頬を濡らして
涙奪って欲しい
哀しさを飾るようなトワイライト
晴れた空の向こう
伸ばす、手を

1番サビと同じですね。
ただ、これ以前の歌詞を全て踏まえた結果、この歌詞を改めて聴くと色々想像されるものはあります。


握り返す手は、無くても...  

ここで言う「手」は、人体の手であり、方法という意味の手な気がします。
握り返す手が無くても手を伸ばす、何だか哀しいですね。。
バッドエンドで終わってしまった。



最後に

というわけで、雨の日の出会いから始まる悲劇でした。
次回は、このブログで考えた内容を使ってSSを書きたいです、できれば。

お渡し会を終えて

前回までのあらすじ


初めて、好きな女性声優のお渡し会に行くことになりました。

流石に、これ


じゃないだろ、、、こっちですね


いや本当にこっちか????






はじめに


2023年5月5日  Xデー

待ちわびました。でも少し来るのが怖い日でもありました。
この日は、薮島朱音さんのお渡し会に行く日です。この日に向けて、自分は、女性声優のお渡し会に行くことを避けていた過去の自分との清算をし、お渡し会に向けての準備をしていました。詳しくはこちらのブログを要参照です。

hayallou.hatenablog.com




このブログでは、まず前回のブログではしていなかった、具体的な話す内容を決めるための思考の過程を少しだけ露わにします。
次に、前日及び当日の準備
そして、お渡し会の内容及び終わってからの感想を述べていきます。

結論から言うと、

薮島朱音さんのお渡し会に行って、人生観が変わりました。





話す内容について

前回のブログでは、以下の3点まで決めていました。

  • 俺がほぼ喋って
  • 喋る内容のメインは、自分や、薮島朱音さん個人についての話
  • 具体的には、応援しているということ、自分自身の想い。

ここから話す内容を取捨選択し、さらに詰めていきました。
前回のブログと重複しますが、具体的には以下2点を意識しました。


① 自分語りをしすぎないこと
② 場に相応しい話をすること




1点目は、自分語りをしすぎないことです。
ここでいう自分語りとは、例えば、「(自分が)○○のライブに行ったという話」や、「(自分が)最近の話」といった、「自分」が主人公となっている話のことです。
なぜこのことを意識したかというと、単純に自分の話をするのが苦手だから、自分の話は優先順位が低いから、他のオタクと被るから、などといった理由です。
ぶっちゃけ、(自分が)それ言ってどうなるの?と思います。勿論、その話をすること自体は否定されるべきものではありませんが、自分にとっては二の次の話題でした。

2点目は、場に相応しい話をすることです。
例えば、これはあくまでLiella!のイベントの一環なのに、薮島朱音さん個人の今後の展望(いわゆるソロ活動)の話をするのは若干違うかなと思います。勿論、その話をすること自体は否定されるべきものではありませんが。
そのため、Liella!の米女メイ役薮島朱音さんに伝える言葉として相応しいものを選びました。あと最大限TPOは弁えようとも思いました。





最も優先されるべきものは何か


時間が短いため、当然優先順位をつけなければなりません。
話す話題は1つでしょう。
では、何を話すか、これは、既にまとめていた過去のブログが役立ちました。

hayallou.hatenablog.com


ブログ消してなくてワロタ




薮島朱音さんは、優れている良いところと、改善すべき悪いところとの両方が明確に存在していると思っています。
初めて、直接、本人に伝えるならば、前者を伝えるべきでしょう。
前者の中でも、直接伝えるべき話題は何か。最優先して伝えるべきものは何か。
それは、顔..................じゃなくて、だと思いました。



そもそも自分は、女性声優の声という唯一無二のものに惹かれていました(念のため断っておくとそれ以外にも惹かれている要素はあります)。そして、薮島朱音さんの声に惹かれているというのは、自分にとっては紛れもない事実です。嘘ではないです。
そのため、声が好きである、ということを伝えることにしました。
ここで原点回帰してきたのは少し驚きでした。

これなら、他のオタクと話題がそんなに丸被りはしないでしょうし、薮島朱音さんのみならず米女メイちゃんの話も触れられますし、
自分にとっても納得がいきます。





結論

声が好きです と伝えることにしました。




前日及び当日の準備

前日の準備

赤い服が無かったので、夜7時くらいに新宿まで買いに行きました。




当日の準備


端的に言うと、身嗜みを整える事に心血を注ぎました。

例えば、ふつう好きな人に会うとき、身嗜みをどうしますか?
多分多くの人は、身嗜みを整えるでしょう。
つまり、そういうことです(?)


身嗜みを整えるために、以下を行いました。

① ムダ毛の処理

自分は、比較的ヒゲが濃い方なので、徹底的に深剃りするために、以下手順で剃りました
クレンジングオイルで汚れを落とす→洗顔料でオイルその他汚れを落とす→蒸しタオルを作りヒゲを柔らかくする→シェービングフォーム(泡)をヒゲに擦り込む→シェーバーとカミソリで剃る→冷水で洗い流す。
(20分強はかかった気がします。)

次に、手の毛が邪魔だったので、除毛クリーム で手の毛を溶かしました。ちなみにカミソリで剃らない理由は、痛いし剃りにくいし荒れるからです。


② 髪型

当日、原宿のsaiさんで切りました。
初来訪だったのですが、異空間すぎて本当に良い空間でした。
各席にタブレットが置いてあり、YouTubeからNetflixまで動画を見られるのですが
自分の座った席は、デフォルトでLiella!生放送の動画が流れていました。
なお、その後、サンリオコラボの生配信の動画にしたせいで、絶対にキモい顔をしてはいけない美容室、になってしまいました。

めちゃくちゃカッコいい髪型にしてもらえました。saiさん、そして担当してくれたモタイさん、ありがとうございました。
翌日髪のセットを自分でしようとしたら全然できなかったので、マジでお渡し会、この日だけ、しかも薮島朱音さんに見せるためだけに整えてもらった髪型でした。
マジで、これ


これか???



③ 服装

赤い服を着ました。
ファッションに詳しくないので、とりあえず黒を取り入れて赤色が目立つようにしました。
靴は、身長を盛りたかったので厚底にしました。
トートバックと悩んだんですが、話す時に邪魔にならないように黒いリュックを身につけました。
念のため、服のゴミを取るための携帯用衣類クリーナーと、昔なぜか買った「破壊殺 ・羅針 コンパクトミラー」も持ち歩きました。


あと、獄門彊ネックレスもつけました。





④ ニオイ対策

まず、口臭対策にブレスケアとマウスウォッシュ(携帯用)を持ち運び
あと、香水をつけました。面倒くさいので滅多につけないんですが、匂いがお気に入りの香水をつけて挑みました。
あとは、汗を拭くシートも持っていきましたがこちらは使いませんでした。




余談ですが、髪はこれまでで一番高い美容室で切ってもらいました。
普段、1000円カットとかで適当に髪を切ってもらっていたのですが、やっぱり良いとこで切ると違うなというか、
なんというか、自信がついたな、と感じました。
ここからは偏見なんですが、男のオタクって、身嗜みに気を遣わない人が一定数いる気がします。自分もその一人でした。
というのも、「どうせオタクだしな...」と変に卑屈になっていたところがあるからです。自分に対してそうした烙印を押していた節は多分ありました。「できるって思えばできるかもしれないのに」
でも、(客観的に整っているかは知らないですが)精一杯身嗜みを整えると、やっぱり自信がつくというか
その最たるものが、髪型なのかなと思いました。カッコいい髪型でテンションが上がった、という感じです。
こんなキモオタでもカッコよくなれる(当社比)んだと、そう純粋に思えたのは、少し自分を認めてあげられたのかなという感じです。


お渡し会の内容及び感想

ここまでが、お渡し会当日に酒の勢いで書いた部分となります。
以降は、翌日に冷静になって書いた文章です。
ブログに書けない/書かない部分は伏字(×××)にしました。


以下、レポになります。




🐖 僕
🐾 薮島朱音さん

ーーーここからーーーーーーーーーーーーー
🐾「こんにちは〜」
🐖 (あ、ヤバい可愛いヤバいヤバい) (ここでインセクター羽蛾みたいな声が漏れる)「こ、こんにちは〜」

(ここでポストカード手渡し)
🐖「あ、ありがとうございます」
🐖「あの、言いたいことが、ずっと言いたかったことが(ヤバいヤバい流石に好きになってしまう、、」
🐾「ん?」
🐖「好きです、、、、、、、声が、、、、」
🐾「ありがとう~」
🐖「普段のメイちゃんの、、、声も、、、、綺麗な、、歌声も、その、、、幅を出せる、、薮島さんの声も、、、、全部、、、好き、、、、、、、です」
🐖「×××(伏字)」
(ここで剥がし)
🐾「ありがとう~めっちゃ褒めてくれる笑」
🐖「×××(伏字)」

ーーーここまでーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


【参考】
薮島朱音さんが手渡ししてくれたポストカードです。





お渡し会の感想

お渡し会、終わってこれ





まあ、当初の予定通り、自分の想いをしっかり伝えられましたし、
満足のいくお渡し会でした。100点満点中80点という自己評価です。
まあ20点失点分という反省点はあるんですが。
それと共に、ここまで自分が薮島朱音さんにハマっているということを改めて強く実感しました。
そんな自分も悪くないなと、今は思っています。



今回のお渡し会を経て、2つ意識しようと思った、思えたことがあります。
1つ目は、斜に構えたり変に卑屈になったりするのを極力辞めよう、ということです。
理由は2つほど
理由その1は、そろそろ自分を認めてあげても良いんじゃないかと思えるようになったからです。
個人的に、卑屈になるのはある種美徳でもあるんですが、それが言い訳になっていると同時に自身の可能性を狭めているんじゃないかと思っています。オタクだからしょうがない、キモくて当たり前だと。
そろそろこういうのを卒業したいなと思いました。勿論、突然卒業するのは難しいですし、世間一般から見て多分自分は気持ち悪い部類には入るんだろうなという自己評価です。ただし、これまではその自己評価にとどまっていて、つまり現状維持をしただけで、新たな行動や変化を生み出そうとしていなかったと思います。
今回、薮島朱音さんのお渡し会に当選して、自分を掘り下げ、身嗜みを整え、などと驚くほどにこれまで行えていなかった行動が出来たと感じています。

今後は、「オタクだししょうがない」、「オタクはキモい」、そういう認識自体を頭ごなしに否定せず、そういう認識を持っている自分をまず認めた上で、「じゃあどうするの?」までしっかり考え、行動するよう意識したいなと思いました。そうした考え方、行動を取っている人は、個人的には良い意味で「ダサくて」、「尊敬できる」部分があるなと感じています。
本当に、これ

そこを変に揶揄わないよう、自分自身に対しても意識していきたいと思いました。
その上で、自分の「好き」を認めてあげるということを意識したいです。
今回、素直に自分の「好き」を受け入れられたのは、お渡し会というイベントがあってこそだと思いました。なければ、考える機会すらなかったと思います。


理由その2は、単純に悪い意味で「ダサい」し痛々しいからです。
年齢を重ねていくにつれて、若気の至りじゃ済まされなくなってきている今日この頃、
揶揄したりバカにしたり、といったお遊びは卒業したいなと思います。
ただ、これも同じで、いきなり卒業、は難しいので、意識していきたい、というレベル感をひとまず目標としたいです。


そして、意識しようと思ったこと2つ目は、全肯定をしないようにしよう、ということです。
今回、薮島朱音さんのお渡し会に参加したことで、間違いなく過去最大級に薮島朱音さんに惹かれています。
こうした時に怖いのが、いわゆる脳死で全肯定をしてしまう、ということです。それは、考えないということと同義であり、明確に自分のスタンスと反することです。
繰り返しますが、薮島朱音さんには、優れている良いところと、改善すべき悪いところの両方が存在していると思っています。
後者をしっかりと見た上で、その場に応じて適切な評価を自分の中で下す、ということができるよう精進したいと思いました。
勿論、だいぶ補正がかかって良い側面をたくさん見つけてしまうということは間違いないんですが、後者が見えなくなるくらい盲目にならないよう、自制していきたいと思います。
いや本当に面倒くさいオタクだな、、、、と思うんですが、まあ悪くないかなと自分では思っています







最後に

米女メイちゃんのソロ曲、「茜心」という曲で、好きな歌詞があります。

間違いじゃないなら曲げるなよ
信じたいもの信じてればいい 熱く
君の情熱茶化さない
思ったままでいいよ

変われない自分を責めたりしないで
本当の願いを見せて
いまなら叶うさ 独り言のように呟いた
証明するんだ 必ずできるって
不安も打ち砕いていま もっと燃えあがれ

茜心という曲は、おしゃれであると同時に芯のある強い曲だなと思っています。
自らの信念を貫き通す姿は、2期2話で桜小路きな子ちゃんの背中を押した米女メイちゃんにも当てはまると思います。
多分、自分は、米女メイちゃんのそうした”在り方”が好きで、本当に見習いたいです。
ジャンプ好きなオタクここ絶対好きだろ




そして、もっと薮島朱音さんが米女メイちゃんに”成る”ことを祈りつつ、これからも見守り応援していきたいなと思います。

最後に一言











薮島朱音さん、絶対、”伸びる” 

お渡し会に向けて

プロローグ


4月下旬、
喉が痛い、咳が出る、
コロナと思えばそうでもなく
残存する咳
仕事で突然降って来る炎上案件
残業
残業
残業

俺は、、、、


気が滅入る
電車の中
ふとスマホを見ると












当選????









俺が、、、
お渡し会、、
ゃぶの、、、、、???????






流石に


これ




本ブログの目的

という訳で、推しの女性声優のお渡し会に当選してしまいました。


自分は、お渡し会なるものへの参加は初めてで正直勝手が分かっていません。
このブログでは、お渡し会について、自分の心の整理も込めて考えようと思います。




懺悔と啐啄 -女性声優のお渡し会に参加することについて

戒律をゃぶってしまった、そう感じています。
以前のブログでも載せましたが、

hayallou.hatenablog.com


「女性声優に対しては、声の表現で魅せられるべきであり、それ以外の要素(例えば顔)で魅せられすぎるのはダメだろ、、」
と感じており、そこから、
「女性声優のお渡し会に行ってはならない」と勝手に縛りを課していました。

なぜなら、こう思うからです。
「女性声優のお渡し会、いわゆる接近に行く理由には、声の表現で魅せられているということ以外の要素(例えば顔が好き、性格が好き)が必ず含まれている」と。



自分が、声優の声を重視する理由は、それが唯一無二であるからです。
自分は、「その人しか持っていないもの」を持っている人を尊敬する傾向があります。
例えば、そのキャラの声はその声優さんにしか出せないですよね。キャラに声と命を吹き込む声優が変わってしまうと、何となくモヤモヤすると思います。それを受容するかは当然別問題ですが。

つまり、代替不可能な存在こそが、「声優」であり、代替不可能たらしめているもの、「その声優しか持っていないもの」が「声」であるからです。尊敬しています。

だからこそ、お渡し会に行く必要なんてない。
むしろ、接近で喜ぶのは、声以外に好きな要素が含まれているからなのではないか、それは自分の教義と反するのではないか、と思っていました。
「女性声優のお渡し会に行ってはならない」という戒律は、自分が女性声優を推すのは、あくまで「声」に見惚れているから、という理由の砦になっていました。



しかし、
「自分は女性声優の声に見惚れた」
そう思っていたのですが、現実はそう綺麗なものではなかった、ということは6年ほど前に既に学んでいます。

なんなら、あの時も写真集を積んだ気がします。ただ、本気で、それこそ今回のように積んでおらず、
「外れてもまあしゃーない」で済ませられる程度のものでした。外れることで、戒律を形だけでも守れるというメリットもあったと思います。

既にその当時、「声」以外でも好きになっていた自分にとっては、早くも形骸化してたも同然の戒律でした。とはいえ、お渡し会にはいかないという結果だけは頑なに守り続けていました。




ただ、ある女性声優が全てを変えました。
それは誰か。
そう、

薮島朱音さんです。

ブログでも書いたとおり、彼女は、声に性格に在り方に、様々な魅力を持っています。
そして、至らなさ、欠点も持っています。

人間は変わるものです。
自分自身、そもそも女性声優を推す自分に一種の気持ち悪さを感じていました。否、今も感じています。
それは、周りは結婚しているのに年下の女性声優を好きになるなんて...というものが主な理由です。
他には、声以外の要素に多分に見惚れている自分と、女性声優には声で魅了されるべきという縛りとの不協和が理由でした。
女性声優を好きでいる自分、女性声優を推すのが楽しい自分と、それは良くないとする自分、罪悪感のような感情を抱いている自分がせめぎ合い、たまにしんどくなったりしていました。
いつもは、あまり考えないようにしようとして問題を先送りにしていた気がします。


ただ、その気持ち悪いという感覚はしっかり残した上で、自分のやりたいことに正直になろう、と思えるようにもなりました。
迷い、罪悪感とも言える感情を認めた上で、そんな自分を少しだけ赦せるようになったのかもしれません。
やりたい事とは何か、



ゃぶについては、しっかり自分の想いを伝えたい。
ゃぶの目に触れないところで陰ながら支えるだけではなく、自分を表に出してしっかりと向き合いたい。応援を届けたい。



ということです。
マジで、これ。





勿論、都合の良い解釈であったり、取って付けたような理由とも言えます。実際その側面もあると思います。
とはいえ、気持ち悪い、という抑圧で縮こまるより、しっかり自分に向き合おう、と前向きに思えるようになりました。何か特別なキッカケがあったという訳ではないと思います。
なぜ、応援を届けたいと思うようになったのか、それは、自分の生産性の無さを打ち砕くためという後ろ向きの理由もありますが、
彼女自身が応援したいと思わされるような性格を持っているから、という理由もあります。行く先を見てみたいという気持ちです。
あとは、加齢ですかね、、



今回、Liella!のお渡し会が発表されたとき、今がその時だ、と思いました。
その時とは?
そう、お渡し会に初めて参加するということ。
戒律を破る時が来ました。


アルバムもn枚積み、ようやく掴んだお渡し会への切符。
このお渡し会に、俺は、命をかけます。




ただ、お渡し会に参加したことがない自分は、勝手が何も分かりません。
初めてのことだし失敗しても構わない、それがふつうですが、初めて、が失敗できないという事態も、ふつうです。
もう、Liella!としてのお渡し会はないかもしれない。なら、精一杯準備すべき。
そういう想いを込めて、これからお渡し会の内容を考え、整理していきたいです。




今回のお渡し会について

というわけで、本題です。
流石にキモすぎたので、これからは抑えていきたいです。


www.gamers.co.jp

上記URLに、お渡し会の内容が書かれてあります。
いくつか気になる点がありますが、特筆すべきは、やはりここでしょう。

■イベント概要

イベント内容:特典ポストカードお渡し会

※お渡し会はおひとり様あたり20秒程度となります。

なるほど。
いくつか、注意しておく点が。







① 20秒程度とは、どこからどこまでの間で20秒程度と測られるのか

 → 例えば、スタッフに呼ばれてからカウントが始まるのか、ゃぶと対面してからカウントが始まるのか。
  もし前者ならば、呼ばれてから最速でゃぶの所にたどり着くためにも、投射呪法を使う必要があります。なぜなら、牛歩でゃぶの所まで向かうと時間のロスが発生するからです。


 自分は投射呪法も裏のチャンネルも使えないので、後者であることを祈ります。
 

② 20秒程度の中には、ポストカードを渡す時間も含まれていること

 → 確信は持てませんが、恐らくそうでしょう。となると、渡すやり取りで少なくとも3秒は使います。
  残り時間は17秒程度。少なく見積もって15秒としましょう。


③ 15秒でどれほど話せるのか

 → 確かめてみました。
  同じ文章を10回繰り返し読み、15秒間で話せた文字数の平均を取りました。
  普通のスピードでは、平均105.9字(分散は13.55)となりました。
  オタク特有の早口では、平均135.3字(分散は37.42)となりました。
  ただ、自分は、女性声優のお渡し会への参加が初めてです。そのため、緊張でパフォーマンスが落ちる可能性が予測されます。
  かつ、上記の数値は、ゃぶからの打ち返しがない場合を想定しているため、つまり、実際は100字も喋れないだろうという予測がつけられます。見積もって、60字。。
  早口で喋るのもアリだとは思いますが、それは目的によりけりです。



まとめ

ゃぶには、約60字の言葉を伝えられるようです。


何を伝えるか

これが最も重要でしょう。
約15秒、約60字の言葉という短い間の中で何を話すか
限られた時間を精一杯に楽しむ、それがラブライブ!だったはず。
俺は、いったい、何を話せば良い?


様々な視点から考えてみます。

望ましい結果は何か

お渡し会が終わって、最終的にどうなれば良いのか。
自分にそう問いかけました。
答えは、こうでした。

① ”俺が”満足する(少なくとも後悔しない)ことが一番
② ただし、後から振り返って、「独り善がりな発言だったな」とならないように、言われる側、つまりゃぶがそれを聞いてどう思うかを考えた上で発言したい
③ 俺の発言が0.1mmでもゃぶに届いてほしい


いや、キモ過ぎてワロタ。俺はもう戻れないのかもしれない。
でもまあ、実際これが本音だと思います。
対面で、15秒60字という非常に短い時間、何を話すか、



ひとまず、1つずつ掘り下げます

① ”俺が”満足する(少なくとも後悔しない)ことが一番
 → 元を取る、という訳ではないんですが、参加するのは俺自身なので、俺が満足することは望んで良いと思います。
  実際の所は、後悔しないのはほぼ無理みたいなとこはあるんですが、準備もせず挑んでボロボロでする後悔と、準備などやりきって万全の状態で挑んだ上での後悔はワケが違うと思います。後者になれたらなと思います。

② ただし、後から振り返って、「独り善がりな発言だったな」とならないように、言われる側、つまりゃぶがそれを聞いてどう思うかを考えた上で発言したい
 → ほぼ無理みたいなとこはあるんですが、まあ理想を言えば、です。例えば、ネガティブなことを仮に言うにしても言い方に気を付けましょうといった、そんな気遣いレベルのことは最低限出来たらなと思います。

③ 俺の発言が0.1mmでも、ゃぶに届いてほしい
 → 今年一キモい欲望がこちら。
  でも実際この欲望は認めざるを得ないとこはあります。生きた証を残したい、そう思うのは自然なのではないでしょうか。
  ただ、これを実現するには、内容も濃縮しなければならないですし、言い方の練習など、それこそ万全の状態で挑む必要があります。



そもそも、誰が話すのか

俺か、ゃぶか、の二択です。
ゃぶがずっと喋って俺は聞き役に徹する、というのも面白そうなんですが、流石に居たたまれなくなるので辞めたいと思います。
メインは俺が喋る、ことになりそう。その上で、
・ 俺が一人で喋り続けるのか
・ ゃぶと会話をする、つまりコミュニケーションを取ろうとするのか(質問などもそうですね)
という、一方向か双方向か、という選択を迫られます。
前者の場合は、一方的に想いを伝える
後者の場合は、質問などをする
ことになりそうですね。
時間、そして、自分のやりたいことを考えると、一方向になりそうです。
なぜなら、双方向となると、話せる内容が極端に減るからです。



話のテーマは何か

例えば、アニメの話、ライブの話、曲の話など、話すネタはたくさんあります。
15秒60字。いや、マジで、短いな、、、、

候補を6つほどぱっと挙げてみました。ただ、内容的に重複してはきます。
① アルバム(曲)の話 -例えば、メイちゃんの曲である茜心の感想
② メイちゃん個人の話 -例えば、アニメのメイちゃんのこういうところが可愛い、といった内容
③ ゃぶ個人の話    -例えば、3rdツアーの○○公演のMCが心に残っています、などといった内容
④ 日常的な話     -例えば、今日の天気、ゃぶが今日食べたもの、などといった内容
⑤ Liella!自体の話(先述したものを除く)ー例えば、3期生の話などといった内容
⑥ 俺の話       ー例えば、最近の仕事の話などといった内容

取捨選択する上で、心がけたい事は、
・ なるべく、他の人と重複しない内容にする
・ なるべく、既知の情報についての話をしない
・ 重すぎる質問など、場に不適切な内容にしない
・ ただし、どうしても伝えたい内容である場合はこの限りではない


どれを選ぶべきか。
勿論、結果的に①~⑥全てが含まれる可能性はあるのですが、メインに据えるのは何かという話です。

①は、お渡し会ということを考えると最も相応しいと思います。
②や③、⑤も相応しい内容ではあります。
③について、昔の自分なら、「キャストのことばかり話すのは良くない」という価値観を強く持っていたんですが、今は、そこまででもなくなりました。そもそも、一応はキャラではなくキャストからお渡しされるという形なので。
④はマジでどうでもいいっすね、、
⑥については、俺はオタクなので自分語りが好きなんですが、自分語りしたところでだから何?となります。
ただ、「自分はメイちゃんの○○が好き」という、自分以外のことについて話すのは、ゃぶさかではないでしょう。


これらを踏まえた優先順位は、こちら
③=⑥>①=②=⑤>>>>④

この順位となった一番の理由は、自分の想いを伝えたいから、応援しているということを伝えたいから、というものです。
自分が一番伝えたいことは、おそらく、ゃぶについてのことだと思いますし、それはつまり自分についてのことでもあります。
ただ、①や②や⑤など、Liella!やメイちゃんのことも伝えたい気持ちはあります。



まとめると

・ 俺がほぼ喋って
・ 喋る内容のメインは、自分や、ゃぶ個人についての話
・ 具体的には、応援しているということ、自分自身の想い。


ここからさらに具体的な内容を詰め、
だいたいこのようなことを話そう、俺がゃぶに伝えたい一番の内容は、これだ、という段階まで来ました。
何を話すのか、はネタバレになるので(?)このブログではここまでとさせていただきます。
お渡し会が終わった後、またブログを書きたいと思います。

【女性声優】薮島朱音ちゃんの良さについて語りたい

こんにちは。
数か月ぶりにブログを更新します。もう定期的なブログ更新は諦めました。


今回のブログは、薮島朱音(以下、「ゃぶ」という。)の良さを語ります。









もうこの時点でおしまいだろ、、



最近、ますます、ゃぶに惹かれている自分がいます。
気づくと、周りのオタクに、ゃぶの話をしています。


...話を戻します。
多分、ガチガチに書くと一生終わらないので、軽く書き上げていこうと思います。
※ 普段Liella!のライブや生放送に触れていない人には難解な内容になります。

結論 -ゃぶの良さについて

箇条書きで先に書きますが、以下の通りになります。
※ あくまでの個人の感想です。

  • 分からないところ
  • 応援したいと思えるところ 

1つ目は、「声」です。
具体的には、

薮島朱音としての「声」
Liella!の米女メイちゃんとしての普段の「声」
Liella!の米女メイちゃんとして歌う際の「声」

これら3つにギャップがあるという点で好きです。


普段のゃぶの声からは想像できない米女メイちゃんの声である、ということ
米女メイちゃんの普段の声からは想像できないほど美しい歌声である、ということ


が好きだと確信しています。
端的に言うと、こんな声出せるなんて凄いなと思っています。
流石声優さんだなと感じていますし、「ゃぶ”らしさ”」でもあるのかなと思います。







ゃぶの良い所その2は、「顔」です。
「顔」と言っても様々な「顔」があるため、ここでは大きく3つに分けて説明します。


容姿としての「顔」

ごめんなさい、顔が良すぎて好きです。流石に俺のヘテロ細胞の悪魔が飛び出してしまいました。謝罪します。。



「困り顔」

前から言っていますが、ゃぶの「困り顔」が好きです。
「困り顔」とは、文字通り、ゃぶが困っているときの顔です。
具体例を挙げると、


youtu.be
youtu.be


後ほど触れますが、ゃぶは、「頑張ってその場に馴染もうとする」、「頑張って何かしら反応しようとする」、「緊張しいである」ため、どう言葉で返せば良いか分からず、そのもどかしさ、居たたまれなさが「困り顔」に出ている気がします。
その状態であること自体も好きですし、困ったときの顔、反応が好きです。



「笑いをこらえる顔」

これも、「困り顔」と似ているかもしれません。
こちらも具体例を挙げますと、

www.tiktok.com

www.tiktok.com

あと、以下視聴動画付近にも、好きな「笑いをこらえる顔」があります(詳しくはフル尺の動画を参照)
youtu.be


端的に言うと、笑いをこらえる時に俯くんですよね。
流石に好きすぎる。



もうダメだ、助けてくれ。。。







分からないところ

掴みどころがない、意味不明、とも言い換えられます。
が、これは説明が必要ですね。
ゃぶ、の分からないところは大きく分けて2つあります。



発言、行動の意味が分からない

これは、細かいことに目が行ってしまうオタク特有の現象です。
例えば、
ゃぶのTwitterの良いね欄が1つのみであること
好きな食べ物を聞かれサザエが好きと答えるところ(https://www.fujitv.co.jp/choujigen/

これ以外にも、



何か、ズレてる感じがしませんか?


しますよね?? 
単純に面白いというか、どんな子かさらに知りたくなるなと思います。



でも、しっかり自分の想いを言葉にはできる子なんですよね(誰目線?)



本心が分からない

わざわざ説明するほどのものでもない気がしますが、まだまだ表に出ていないゃぶの本心、本音があると思います。

私が見る普段のゃぶ、表に出ているゃぶは、概ね大人しめで口数が少なく消極的な印象を受けます。なぜかというと、ゃぶが緊張しいでネガティブであると思っているからです。
事実、本人も各所でその旨の発言をしています。ネット記事だとこの辺りですかね。
v-storage.bnarts.jp
febri.jp
このように、「ゃぶはこういう感じの子なんだな」という大体の予想はつくと思います。

ただし、「まだ何か見えてない本心があるだろう」、「まだ何か俺たちの知らないゃぶがいる」
と思わされるんですよね。

なぜかというと、前述した「こういう感じの子」のゃぶから外れたゃぶの存在が見え隠れするからです。
具体的には、これまで述べてきた、「分からなさ」以外にも以下の動画及びインタビューから示唆されます。

youtu.be

youtu.be


直近のインタビューだと、
BRODY 2023年2月号 P95とかですね。
www.byakuya-shobo.co.jp



ある意味、メンバーだからこそ見せられる素のゃぶなのかなと勝手に推測しています。
余談ですが、このあたりの荒々しさは、米女メイちゃんに似ていて、とても、良いです。











応援したいと思えるところ

ゃぶは、現状「(見えやすい)欠点や短所がある」と思っています。
故に、「伸びしろ=成長する余地」が存在し、これからも応援しようと思えるという内容です。


前置きとして、伸びしろがある、という言葉は、文字通り、成長する余地があるという意味で用いられます。ただ、稀に「欠点や短所、至らない点がある」という言葉の言い換えにも用いられます。例えば、就活とかでは、こういった言い回しをたまに使います。
ゃぶも、その部類に入るじゃないかなと思っています。





「ゃぶの欠点や短所、至らない点」について

いくつかありますが、大きなものを述べると、キャラに成りきれていないという「未熟さ」があると思っています。

キャラに成り切れていないという「未熟さ」の具体例を2つ挙げます。
1つ目は、ライブにおけるコール&レスポンスです。
米女メイちゃんのコール&レスポンスでは、初めに「何見てんだ!」と荒々しい米女メイちゃんが出てくるんですが、個人的には、ここは米女メイちゃんに成り切れていない印象を受けます。
つまり、コール&レスポンスという”作業”をこなすために、それっぽく言っているだけで、本来の米女メイちゃんの荒々しさを100%表現できていない印象を受けました。その後の、「うるせえ、うるせえ、うるせえ!」もそうです。
故に、「でも、ありがとな」のギャップがどうも足りない気がしています。気のせいかもしれませんが。

2つ目は、「揺らぐわ」という楽曲です。これは、北海道公演day2とかいう神の公演で本人が述べていたように、「米女メイちゃんのカッコよさを表現しきれない」といったところです。

以上のように、まだまだ米女メイちゃんに成り切れていないというのが現状である、と個人的には思っています。

ただ、「だからゃぶはダメなんだ」というように「未熟さ」をただ批判するだけ、というよりも、それが存在する事自体が重要だと思っています。つまりは、「米女メイちゃんに成り切れていないという現状が明確に存在する(と私が感じている)」ことが重要だということです。

なぜなら、伸びる(成長する)ための前提である「未熟さ」が明らかにあると分かるからです。
(「伸びる(成長する)」ことには、①スタートがマイナスである場合(例えば、改善すべき欠点が改善される場合)と、②スタートがプラスである場合(例えば、本人の良さがさらに生かされて活躍の幅が広がる)があると思っていますが、ここでは①の場合における前提について述べています。)

この「(今現在)未熟さがある」という前提は、意外と成り立ちにくいんじゃないのかなと思っています。
というのも、女性声優の「未熟さ」を認識することが困難だと思っているからです。例えば、「未熟さ」と思われる要素が実は長所やその人らしさである場合もあれば、そもそも完璧超人っぽい人で「未熟さ」が分からないという場合もあります。前者の例はLiyuu、後者の例は、青山なぎさが挙げられるんじゃないかなと思います。


勿論、ゃぶにも、良い意味の「未熟さ」はあります。例えば、このやる気のなさ(照れ)、が逆に見てて面白いなと思います。
www.tiktok.com

ただ、私が感じている「米女メイちゃんに成り切れていない」という「未熟さ」は、少なくともそのままにしておくのが望ましいこと、とは言えないかなと思います。
つまり、”改善すべき”「未熟さ」が存在しているということになります。





伸びしろについて

これまでの話で、「(見えやすい)欠点や短所がある」=「伸びる(成長する)ための前提」を満たしているという話をしました。
ただ、こうした「未熟さ」がただあるだけでは、必ずしもそれが改善され、「伸びる」とは限りません。
では、あと何を満たせば「伸びる(成長する)」のか。
運などの要素も多分にありますが、一つの答えは「努力、研鑽」だと思います。
そして、ゃぶの伸びしろとは、「ゃぶが、今現在ゃぶ自身の認識している自分の未熟さを踏まえ、努力、研鑽によりそれを改善し、伸びようとしていること」だと思っています。

この「努力、研鑽」は、これまでのライブのMC等から垣間見えますし、「この先の」ライブのMC等からも垣間見える「と確信しています」。米女メイちゃんに”成る”ために自分と向き合おうとする姿勢です。

そして、私は、そうしたゃぶの「辛さがありつつも頑張ろうとしている姿」に惹かれていると思っています。ここが好きなところです。

つまり、
「今現在明らかな未熟さを持ったゃぶが、その未熟さを埋めようと研鑽している/研鑽していく未来を確信している」ということ、これ自体が応援したくなる、「推し」たくなる要素だと思います。成長していく過程も見ることができます。
なお、「未熟さ」が見えやすいという点でも「ゃぶは晩成」だなと思います。


ただし、大っぴらにこのストーリー(=ゃぶは頑張ってるんだ!ということ)を語るのは、気持ち悪くなってしまうので、取扱い注意かなとは思います。
例えば、頑張っている姿を喧伝するのは多少宗教チックな感じもしますし、今現在ある「未熟さ」を頭ごなしに肯定しすぎるのも違うかなと思います。


最後に

ゃぶ、頑張ってそれっぽくその場に馴染もう、適応しよう、何かしら反応しようとする姿がめちゃくちゃ好きです。特にTiktok


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