みよ通信

●ゅ●通信じゃないです。

【考察】DOLLCHESTRA 「Tragic Drops」

こんにちは。

ようやく、女性声優以外の内容のブログを書くらしいです。


本日のお題は、のんすけ...ではなく、DOLLCHESTRA 「Tragic Drops」という曲について。


www.youtube.com



こちらの曲は、"Link! Like! LoveLive!、通称「リンクラ」の「Fes×Live」という月1回のライブ配信で初披露された曲であり、僕が電車の中で聞いて泣いた曲です。周りの視線が若干痛かった。


本日は、こちらの曲について、想いを巡らせていきたいと思います。
予め言っておきますが、オチはなく、思考の置き場みたいなブログです。
そのため、読みやすさを考慮していません。ただただ早口でデカい声で喋ってるみたいなブログになっています。そんな感じでも読んでいただけるのであればお願いします。

ちなみに、過去最長のブログです。






前提となる自分の考え

過去のブログでも触れた気がしますが、自分は、その曲の歌詞を重視する傾向にある気がします。
なぜなら、その歌詞のその言い回しを選んだことには理由や意味があると思っているからです。



例えば、Tragic Dropsでいうと、最初の歌詞に「曇りのち土砂降り」という聞きなれないワーディングが出てきます。よく天気予報で聞くのは「曇りのち雨」でしょう。
つまり、ここでは、あえて「土砂降り」という言葉を使っており、その理由はおそらく、”雨の勢いの激しさ”を表現したかったからだと思います。さらにいうと、ここで言う”雨”とは、天気で言う「雨」でもあり、悲しさを意味する「雨」であり、涙を意味する「雨」であり、それが激しいという事はつまりそういうことで...


と、たったこれだけのワーディングでも無限に想像が広がります。その前提となっている考え方が、「その言い回しには意味がある」なのです。




そしてもう一つ、自分は、人間の「感情」が面白いと感じます。
なぜなら、頭で考えた合理性を難なくぶち破って来るほどのエネルギーを持っているからです。「理性」を振り回すのが「感情」です。
そして、その「感情」は、他者の”それ”とぶつかり合う時に、無数の予想外の反応を双方に起こすからです。
これらを踏まえて改めて思う事が、Tragic Drops は「俺が好きそうな曲すぎる」ということです。


もう少し深掘りすると、自分はネガティブな曲が好きで、Tragic Dropsはまさにそれであるからこそ好みなんだろうなと思います。
なぜネガティブな曲が好きかというと、2つ理由があります。


1つ目は、ネガティブな曲は、感情の揺れ動きが表現されやすいからです。例えば、”失恋ソング”などはその典型的な例でしょう。
2つ目は、ネガティブな曲は、ポジティブな曲よりも、”強い感情”を扱うからです。
なぜ、”強い”と言えるか。それは、ネガティブな曲(感情)は、ポジティブな曲(感情)と違って、それを出すことに必要性があるからです。
ポジティブな曲は、”それがなくても困らない”、つまり、楽しいということを曲に出さないといけない必要性は薄い気がします。例外として、誰かと楽しさを共有・おすそ分けしたいという場合や、暗い場を紛らわすために楽しさを出す、という場合などはありますが。


一方で、ネガティブな曲は”それがないと困る場合がある”、つまり、悲しいということを曲に出す必要性、理由が明確に存在すると思っています。


例えば、悲しみに暮れている時は、無理にその感情をノッキング...ではなく凍らせずに、感情を出した方が治療的な場合があったり、悲しい時はとにかく思いっきり悲しむ、という対処法を行っている人も一定数いるように思われます。
心理学の用語で「喪の作業」というものがあります。簡単に言えば、大切な人やものを失うこと(=対象喪失)によって生じる心の揺れ動きや過程のことです。
詳しくは省略しますが、「喪の作業」では、対象喪失によって十分に悲しむ段階を経て、やがて立ち直っていきます。

このように、悲しむ事には必要性が明確に存在し、悲しまないと困る場合があると思っています。
そして、そうした必要性のある感情は、当然手加減なんてなされません。生のままの感情は、難なく心の容量=キャパシティを超え、決壊したダムのように流出していきます。
ただし、本当に悲しい時は、言葉もまとまらない一方で、その感情を高度な言葉で解釈、解明しようとする対処法も行われます(知性化)。辛い時に、「自分が今辛いのは○○のスキルが足りないからであって、この調査によると...」と”客観的な分析”をする事がありますが、これが知性化です。ちなみに、よく似たものに合理化というものもありますが、これも今回の曲には見られます。


このように、生の感情と、知的に加工された感情のダブルパンチを食らわせてくるのが、ネガティブな曲です。



Tragic Dropsについて

大変お待たせしました。
一つずつ、少しずつ進めていきましょう。
ちなみに、この曲は、「綴理とさやかが付き合っていたが、別れてしまった」という世界があると思います。(実際は、綴理とさやか、に限らないのですが、まあ実名を出した方が説明がしやすいので)


題名

Tragic Drops という題材に少しだけ触れます。


Tragic:悲劇の、悲劇的な、悲劇的要素、悲壮な、悲惨な、痛ましい
ejje.weblio.jp



dropsdropの三人称単数現在。dropの複数形。しずく
ejje.weblio.jp


drop:しずく、一滴、少量、しずく状のもの、
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 直訳すると、「悲劇の雫」となります。やばい(何が?)

 ただ、直訳しただけだと面白みがないので、もう少し深く考えていくと

Tragic...
 あえてこの英単語を使う理由は何か。悲しさを表したいのであれば、sorrowful や sad や unhappy など他にも候補があるはずです。

 この答えは、DOLLCHESTRAというユニット名に答えが潜んでいると思います。ユニット名は、DOLLとORCHESTRAの造語であり、Tragicは「「悲劇」の」という意味。つまり、「舞台」と文学における「悲劇」を重ね合わせていると思われます。
ちなみに「悲劇」はいわゆるバッドエンドに陥るものですし、この曲もそういう事なんだと思います。あとは、単に相当の悲しみに陥っていることを表すために強い言葉を適切に使ったのかなと思います。


Drops ...
 ここでいう「雫」とは何か。
 この答えは、雨だったり涙だったり...だと思いますが、この「雫」は曲中の様々な場面において様々な様相を見せるものな気がします。
加えて、複数形の「s」が付いているのも気になります。複数の、形の違う「雫」という感じでしょうか。


歌う人

DOLLCHESTRAがこの曲を歌うということの意味についてです。
それは、二人が「舞台上の存在」であること、そして、ストーリーにおける「すれ違い(4~6話)」との親和性が加味されていると思っています。
この曲も、すれ違いが発生していると思っています。


リリックビデオ


Lyric:叙情の、叙情詩(的)の、音楽的な、オペラ風の

ejje.weblio.jp


という意味です。
叙情とは、名前通り個人の感情や内面を書き表すことを意味します。
現代では、リリックビデオの「リリック」は、歌詞を概ね意味しており、要は、歌詞の記載やモーションの使用により個人の内面や感情に焦点を当てたビデオであると言えるでしょう。



「Tragic Drops」も、リリックビデオであり、歌詞が直接書かれることでより歌詞の意味について意識”させられる”ものとなっており、ひいてはキャラクターの感情について考えさせられるものとなっています。

非常に分かりやすく作られているため、正直あえてここで記すまでもないと思いますが、1点だけ触れておきたいことがあります。
それは、「方向」についてです。


このリリックビデオ、綴理とさやかを対比的に配置していることは明らかで、場面によって、両者の向きが正反対に異なっています。
ただ、「雨」と「風」の向きは、一定の方向を持っている気がします。


雨は、サビでは、「右上から左下」、つまり「↙」の方向に
風は、ほぼ必ず、「右から左」、つまり「←」の方向に吹いています。


右と左の持つ意味は様々ですが、
右は「未来」、左は「過去」を表します。
時間経過をグラフで示したいとき、折れ線グラフを使うと思いますが、右に行くほど新しい年にするのが通例だと思います。時間軸を示したい場合でも、右矢印を使うのではないでしょうか。
つまり、今回の場合は、通例である過去から未来への向きではなく、未来から過去へと逆行している表現が見受けられます。


これが指す意味は、未来に進めず過去に戻っている、とどまっていることを意味している.、もっと言えば、”その時”(おそらく、19時)で時が止まっているんじゃないかなと思いました。あと、台詞パートが反時計回りなのも。。



なお、「風」について触れたのでついでに触れると、木の葉が風に舞っていくのはなんだか殺風景であり、哀愁や孤独を感じさせます。


歌い方

個人的には、2人の歌い方は対比的とまで行かずとも、明確な相違点がある気がします。
綴理は、花帆みたく感情豊かではない、故に歌声(声のトーンなど)の振れ幅が小さく、感情が乗っていることが”若干分かりづらい”ような気がしています。
一方で、さやかは、その振れ幅が大きく、感情が乗っていることが”あまりにも分かりやすい”気がしています。
特に分かりやすいのが、1番サビ前の台詞である

どんな時だって君となら   
乗り越えられる、そう思ってた。

ここです。
Fes×Liveでも、ここの感情の込めようは凄かった記憶です。
これらの差異が現れる理由は、当然キャラの違いに依るところが大きい気がしています。
4~6話を見た人なら分かると思うんですが、綴理は自分の感情をうまく表現することが得意ではないように思えます。一方で、さやかは、同話よりワガママになることを身につけたため、表現力に磨きがかかった結果、こうなっているのかもしれません。
なお、良し悪しを述べているものではないことを念のため言っておきます。
綴理は確かに感情の起伏が緩やかで見えづらいですが、通常がそれである故に、歌う時の僅かな声の揺らぎに込められる意味は相対的に大きくなるので。
そして、それを見たいがために綴理により惹かれていく。百城千世子か???





歌詞

曇りのち           
土砂降り     

新しい靴なのに

私って、ツイてない
昔からそうだね        

バス停の屋根の下で    
雨宿りしていた     
君との最初と
おんなじだ      


懐かしい記憶を  
数えるほどに     

泣きたい気持ち
募るだけ     


どんな時だって君となら   
乗り越えられる、そう思ってた。  

でも、負担になるのは嫌。    
ごめんね..好きで。         

一緒に居よう、って        
約束なんて    
待たなかった               
どうせ、通り雨     
頬を濡らして
涙奪って欲しい      
哀しさを飾るようなトワイライト   
晴れた空の向こう        
伸ばす、手を       



悲劇的に見えた?      
こんな日が訪れるって
正直ね、分かってたんです   
強がれば虚しくて、     
いっそ忘れたい       


バス停の屋根の下は
余りにも広くて         
君の温もりを探してる      


触れられない面影を    
水溜まりに浮かべても   
笑い合えたあの頃は    
戻らないけど      

一緒に居たい、って 
背負わせそうで     
言えなかった
全て 過ぎた夢     
傷付かないで
次に進んで欲しい   
二人を繋ぐ理由は無いの  

また降り出す雨、眺めている数秒間 

どうすれば良かったのか
悩む、今日も...     

きっと愛のせいで    
苦しいことが
嬉しかった 君がくれた希望 

一緒に居よう、って
約束なんて
待たなかった
どうせ、通り雨
頬を濡らして
涙奪って欲しい
哀しさを飾るようなトワイライト
晴れた空の向こう
伸ばす、手を


握り返す手は、無くても...  


いや、湿度が高すぎる、、、、、
重い、、、、、、、

もう致死量なのだけれども。。
それでは1つずつ

曇りのち           
土砂降り     

新しい靴なのに

私って、ツイてない
昔からそうだね 

不穏。
今後の歌詞の予告みたいですね。
これは”現在”のことでしょう。”現在”が”土砂降り”であるというのも、心の内を示しているようでやはり既にしんどい。
ちなみに、”ツイてない”とは、いわゆる運が悪いというニュアンスと近いです。

バス停の屋根の下で    
雨宿りしていた     
君との最初と
おんなじだ

”おんなじだ”とは、何と何が同じなんでしょうか、とよくよく考えるとしんどいかもしれない。
片方は、”君との最初”なのは分かるんですが、もう片方は以下の通り。

① 
私って、ツイてない
昔からそうだね 

→ ”君との最初”がツイていない、という認知が非常にしんどい。
 まあ、いっそ出会わない方が良かった、という意味合いにも聞こえますし、
 出会いのタイミングが悪かったという意味にも聞こえます。飛躍しすぎでしょうか。



曇りのち           
土砂降り 

→ これならまあしんどくないですね。出会った日も”土砂降り”だったのでしょう。
ただ、現在も、出会った過去も雨が降っていたということは、雨がトリガーになり思い出してしまのではないかなと危惧しています。

懐かしい記憶を  
数えるほどに     

泣きたい気持ち
募るだけ 

助けてくれ。
まあ、表現がドストレートだなと思います。
一つだけ指摘するならば、”懐かしい”という言葉。

果たして、いつ”破局”したのかが気になるところです。


どんな時だって君となら   
乗り越えられる、そう思ってた。  

でも、負担になるのは嫌。    
ごめんね..好きで。 

流石に、これ


まあこれ、いわゆるヤマアラシのジレンマみたいなもんな気がします。
互いに距離が近づくほどにすれ違いや軋轢から傷ついてしまうというあれです。
あと、ここはパート分けも流石だなと思います。
”思いを秘めていた”側を歌うのが綴理なので。
そして、花帆ちゃんも言っていましたが、ここのさやかはめちゃくちゃ良かったですよね!!!!!!!!!

一緒に居よう、って        
約束なんて    
待たなかった               
どうせ、通り雨          

サビですが、感情が乗りすぎていて胃もたれしています。。筆が乗りまくってしまったので、以下ご注意を。

まず、ここで何が起こったかと言うと、以下の通りかなと。

① 綴理とさやかは、一緒に居ようという約束をした。
② ただ、一方(恐らく綴理)は待ってくれなかった。
③ どうせ 通り雨なのだから。


”一緒に居よう” =二人が一緒に過ごすことと取れますが、バス停で一緒に居ることとも取れます。
雨の日はバス停で待つという約束をしていたのかも。
しかし、”待たなかった”、”どうせ 通り雨”
”待たなかった”とは、”通り雨”だからバス停で待ってくれなかったという意味かなと。

”土砂降り”だったら、当然家に帰れないので、”建前上”待つ”理由”が生じるんですが、”通り雨”なら、止んだらすぐ帰れる”理由が生じる
という意味だと思っています。

だとすると、ここは興味深いところです。

まず、前提として、”建前上”の意味について述べておきます。
ここでの”建前上”とは、わざとらしく理由をつけて、という意味に近いです。
誤解を恐れずに言うと、「私はあなたと会いたくてここに残っているのだけれども、それを正面から伝えるのも恥ずかしいので、”雨で家に帰れない”からここに残っているだけであって決してあなたと会いたいわけではない(本当はめちゃくちゃ会いたい)」ということです。めちゃくちゃあるあるな考え方ですよね。
ちなみに、相手が建前に従っているかを推測する事で相手の気持ちを推し量ることができます。


だとすると、
① 破局する前に起こった出来事である場合
”通り雨”なので当然止んだら帰れるのだけれども、それでもなお”待っていてほしかった”のにあなたは帰ってしまった。でも、通り雨だし帰るのは仕方ないよね(通り雨だったとしても私が来るまで待ってほしかった)。
と、建前で意思疎通していると思っていた相手が実は建前ではなかった可能性が浮上してくる

② 破局した後に起こった出来事である場合
私たちは破局したのだから、一緒に居ようという約束なんてもう無効になっている。バス停で待ってくれる綴理先輩はもういない。でも、どうせ通り雨だし、破局に関わらず帰っちゃうのは仕方ないよね。
と自分自身を納得させてしまう。


さらに最悪なのが、これはあくまで一方がそう思っているだけである可能性が高いということです。
例えば、①の場合、

さやかがバス停に到着。その時には雨は止んでおり、先に出たはずの綴理先輩の姿はなかった。
さやかは、「”通り雨”でしたし、綴理先輩は私を待ってくれなかったのだろう」と思っていることになります。

しかし、これはあくまでさやかが、そう思っているだけです。
そこにある事実は、「綴理先輩がいないということ」、この事実に対し、さやかは「”通り雨”だったからいなかったのだろう」と思っていることになります。実のところ、綴理がなぜいないのかは分からないのですが。

ただ、この曲、歌詞からすると、「雨で家に帰れないという建前を超えて、雨が止んで家に帰れるのに帰らない綴理先輩、でいてほしかったけど、実際は帰ってしまったんですね」とさやかが思わなくもないです。こういうところから、少しずつ影がさしてきます。
まあそもそも、”約束”をしていたのか、していたとしてもどれくらい重みのある”約束”だったのかも双方の認識に違いがある可能性もありますね。
ちなみに、「通り雨だし帰るのは仕方ないよね」、これがほぼ合理化です。

頬を濡らして
涙奪って欲しい



主語と目的語を明確にすると、
”あなた(綴理)”が、”あなた(綴理)”の頬を濡らして
”私(さやか)の”涙奪って欲しい

又は

”あなた(綴理)”が、”私(さやか)”の頬を濡らして
”私(さやか)の”涙奪って欲しい

の2通りかなと思います。ちなみに、”涙奪って欲しい”と思っているのはさやかです。
前者は、私を置いて行った綴理が、自分の頬を濡らす=涙を流すことで、私の涙の原因を無くしてほしい(二人の想いが同じであると知ることができる結果)
という意味で
後者は、私を置いて行った綴理が、私の頬を濡らす=涙を拭きとることで、私の涙を奪って欲しい
という意味です。
個人的には、前者かなと思いますが。

哀しさを飾るようなトワイライト   
晴れた空の向こう        
伸ばす、手を 

トワイライト:「twilight」とは、英語で夕暮れ時や薄明かりの時間帯を指す言葉である。また、比喩的には、ある時期や状況が終わりに近づいていることを示すこともある。
www.weblio.jp


景色も相まって私の哀しさを”応援”してくれているらしいです。
通り雨だったので、晴れているのでしょうね。対照的に、ちっとも晴れない私の心はありますが。
手を伸ばす理由はちょっと文字にまとめきれないので割愛します。

悲劇的に見えた?      
こんな日が訪れるって
正直ね、分かってたんです   
強がれば虚しくて、     
いっそ忘れたい 

救いは無いのか、、、?

悲劇的に見えた? 

虹2期9話の、作った曲をランジュに見せるも、ランジュの心を動かせなかった時のミア・テイラーちゃんと同じ類の気持ちだと思います。
先述しましたが、”悲劇”というのがDOLLCHESTRAっぽいですね。
でも、これだけの哀しさ、悲劇という言葉が最も適切だったのでしょう。

こんな日が訪れるって
正直ね、分かってたんです

→ 分かっていたけれども目を背けてきた
 アクタージュか???


強がれば虚しくて、     
いっそ忘れたい 

強がれば虚しくて、は本心だと思いますが、
いっそ忘れたい、は本心であり本心ではないと思っています。

バス停の屋根の下は
余りにも広くて         
君の温もりを探してる 

あなた(綴理)はいない。。

触れられない面影を
水溜まりに浮かべても
笑い合えたあの頃は
戻らないけど


面影:1 記憶によって心に思い浮かべる顔や姿。
 2 あるものを思い起こさせる顔つき・ようす。
 3 実際には存在しないのに見えるように思えるもの。まぼろし。幻影。
www.weblio.jp


面影は触れられないものです。
面影を水たまりに浮かべるとはどういうことか。
水たまりは、雨によってできるものなので、
さやかの記憶によって多い浮かべられた綴理が、水たまりに投影されている、つまり、さやかの中にあった虚像を物理世界に存在する水たまりに外在化したというところでしょうか。
ただ、そうして水たまりに映る綴理を見ても、あの頃が戻るわけでもなく...という意味でしょうか。

ぬいぐるみを、亡くなった人に見立てて肌身離さず持っている、なんてことと似ていますね。



一緒に居たい、って 
背負わせそうで     
言えなかった
全て 過ぎた夢

ここは綴理の視点な気がします。なぜなら、1番サビ前の台詞パートと重なるからです。

綴理も、心の中では”さやと一緒に居たい”と思っていたのは確かなようです。
ただし、”背負わせそう”だから言えなかった。
”背負わせそう”とは何か。
ここも言葉にしがたいのですが、
あなた(さや)と一緒に居たいけど、私(綴理)という存在を全てあなたに預けてしまうと、あなたの負担になるのではないか。私と一緒にいない方が良いのではないか。

というニュアンスかなと思います。普段の綴理は十分さやかに身を預けていると思うのですが、それに対して綴理が内心どう思っているかは分からないですから。申し訳なさを1兆倍に増幅させるとこの歌詞になる気がします。


ちなみに、私と一緒に居ない方が良いのではないか、は傍から見ればかなりの飛躍なのですが、悩みに悩んだ人間はこの手の飛躍を相当行います。
後悔しても時すでに遅し。過ぎた夢のようです。
ちなみに、これは重要な指摘なんですが、

1番サビでは、”一緒に居よう”と同じようなことを言っているのですが、1番サビ:バス停で一緒に居ること、2番サビ:さやかと一生一緒に過ごすこと、とすれ違っている気がしなくもないですね。
  

傷付かないで
次に進んで欲しい   
二人を繋ぐ理由は無いの

これも、相手(さや)のことを想ってか、自分で無理やり納得してかは不明ですが、相手には次に進んで欲しいという意味です。

そして、最大の特徴が

二人を繋ぐ理由は無いの


ここは、意味が2つあると思っていて、
① 私(綴理)とあなた(さや)と付き合っているならば、それ自体が二人を繋ぐ理由になり得るけど、私(綴理)はあなた(さや)と別れたのだから、悲しいけれどももう二人を繋ぐ理由、道理はない

② 私(綴理)はあなた(さや)と別れたのだから、建前や理由をつけて二人を繋ぐことは不必要


①は、ストレートな解釈ですね。
②は、自分に言い聞かせつつも、あえて突き放すことでさやかを次に進ませようとしている気がします。②の通り、ここでの理由は、感情と対極に位置している気がしていて、つまり非常に理性的で冷たい言葉のようにも感じられます。実は、かなり優しい言葉なのですが。ただ、優しい言葉という意図もさやかに伝わらないと思いますし、伝わらない方が良い気もしますね。
綴理も、建前が通じるとは思いますが、さやかと比べると若干通じにくいのではないかなと思っています。その綴理が、②のような建前でさやかを次に進ませようとしているのならば、、、

また降り出す雨、眺めている数秒間 

何回目の雨なのでしょうか。
数秒間は、実際の時間だと思いますが、体感では何分なのか。
と疑問が湧いてきますが、ここで指摘したいのは

眺めている

です。
これ、100%、掛詞だろ、、、
まあつまり、「長雨」「眺め」で掛詞になっていると思います。
古典の授業で絶対出てきたアレです。
「眺む」=物思いに沈んでぼんやりと見やる
「長雨」=長く降り続く雨

どうすれば良かったのか
悩む、今日も... 

しんどすぎる。。ここは、声のトーンもかなり感情が乗っていますし、
いわゆる心の叫びってやつですね。
今日”も”悩んでいるらしいです。


きっと愛のせいで    
苦しいことが
嬉しかった 君がくれた希望 


”愛”とか言ってしまうのが、なんていうか言葉を選ばず言うと拗らせているなと思います。別に悪い意味ではなく。

そして、”きっと愛のせいで”
は次のどちらにかかっているのでしょうか。
① 苦しいことが
② 嬉しかった

① 愛ゆえに苦しいこと=嬉しかったことであり、君がくれた希望であった
② 苦しい事も嬉しかった=愛の”せいで”あるし、君がくれた希望であった

①は、愛しているが故に苦しいということが、逆説的に愛を感じられるため嬉しかったことであり、希望でもあったという意味で
②は、苦しい事が嬉しいと感じられたのは、愛のせいであり、希望でもあったという意味です。①と非常に似ていますが、①と違って苦しい理由が愛に限定されていません。また、①と違って、愛の”せい”=ネガティブな言葉と”希望”=ポジティブな言葉とで対比しています。
これは正直、両方にかかっている、つまり①②どちらもあり得ると思います。

一緒に居よう、って
約束なんて
待たなかった
どうせ、通り雨
頬を濡らして
涙奪って欲しい
哀しさを飾るようなトワイライト
晴れた空の向こう
伸ばす、手を

1番サビと同じですね。
ただ、これ以前の歌詞を全て踏まえた結果、この歌詞を改めて聴くと色々想像されるものはあります。


握り返す手は、無くても...  

ここで言う「手」は、人体の手であり、方法という意味の手な気がします。
握り返す手が無くても手を伸ばす、何だか哀しいですね。。
バッドエンドで終わってしまった。



最後に

というわけで、雨の日の出会いから始まる悲劇でした。
次回は、このブログで考えた内容を使ってSSを書きたいです、できれば。