みよ通信

●ゅ●通信じゃないです。

舞台「やがて君になる」-encore を観てきました。

こんにちは
またブログの更新を怠っていました。

というわけで、本題です。

11月26日に、舞台『やがて君になる』-encore 公演を観てきました。


2019年にも、舞台『やがて君になる』が上演され、2020年には原作最終巻までの内容を踏まえてリメイクした舞台『やがて君になる』encore が予定されていましたが、新型コロナの影響で延期となっていました。2022年になりようやく、延期となっていた本公演を、こうしてみることができた、ということになります。


結論から言うと、今まで見た舞台の中で一番良かったと感じました。
とりあえず、良かった点を書いていきます。

※以下内容は、ネタバレを含むので、これから観ようと思っている方は閲覧注意です。

良かった点①  編集が上手すぎた

いや、編集が上手すぎです。
本公演は、原作の最初から最後まで、つまり、小糸 侑(以下、「侑」という。)と、七海 燈子(以下、「燈子」という。) が出会ってから、彼女らが両想いとお互いに認識し、結ばれるまで(厳密には、結ばれた後のプロローグ的展開まで)を、休憩込みの3時間で表現していました。
原作は、全8巻、45話から成りますが、これを3時間弱で、話の要所を全てまとめ上げてるのは凄いなと感じました。(厳密には、原作最後の方はほぼ本公演には出てこないのですがまあそれはさておき)

勿論、45話全てを3時間弱で表現するのは困難なため、所々削った描写もありました。



が、ここで2点指摘させてください。

1点目は、編集してカットする場面があったにしても、その場面におけるキャラクターたちの重要な発言は"原作通りに"残してくれた"のが個人的に嬉しかった、ということです。
例えば、5巻第24話では侑と燈子が水族館デートをする描写がありますが、舞台では水族館デートはしていません(ですよね、、?)。ただ、デート中に出てきた2人の会話は上手く劇に"生のまま"に"残してくれた"のが本当に嬉しかったです。


他にも、佐伯 沙弥香(以下、「沙弥香」という。)が燈子のことを”好き”だと侑に告げるシーンや、同じ生徒会の槙 聖司(以下、「槙君」という。)が、早い段階から侑と燈子の関係性を知っているということなど、重要なシーンや出来事はしっかり舞台に詰め込まれていたなと感じました。
余談ですが、水族館に行かなかったため、7巻第41話で沙弥香が、侑と燈子が結ばれたことに気づくシーンの手掛かりも削られていましたね。


個人的には、やが君に出てくるキャラクターのセリフには、"その表現から崩してしまうと本来の意味が失われてしまう"といったものが多く存在する印象があります。
そもそも百合作品は、お互いの心の水面に、キャラクター同士のセリフなどを投げ込むことによって、水面が揺らぎ、変化、相互作用が起こるという印象があり、それ故に特にセリフの文言まで重要な気がしています。
そういう点で、時間的制約もあって削った表現もあるにしても、(少なくとも私が)残して欲しかったセリフを"原作通り"にしてくれたのは嬉しいなと思いました。
(その分、各場面の表現の密度(表現量➗時間)は大きかったなと思います。)



2点目は、流れがよどみなかったということです。

先に触れたように、本公演は、全45話を3時間弱で表現するため、所々原作から表現を削っていますが、
合わせて、場面と場面の間にある間(ま)が、短く、表現を削っているのにスムーズに場面が展開されていく、という印象を受けました。

例えば、学校にいる場面Aと部室にいる場面B、そして帰り道の場面C、家にいる場面Dの合計4つの場面がこの順で表現されているとします。
本公演は、場面A→場面B、場面B→場面C、場面C→場面D という場面転換(= 「→」のとこ)に伴う間(ま)が短く、にも関わらず、場面Aから場面Dまでを、”自然に”(私が)観ている印象を受けました。間(ま)が短いと、「急に展開変わってよく分からん」となるのかなと思っていましたが、実際に受けた印象は真逆でした。

この印象を受けた理由は、以下の3つが挙げられます。

  1. 例えば場面A→場面Bの移動がそもそも自然なものであった(例えば場面C→場面Dは、帰り道→家、という流れなので当然受け入れられる)
  2. ステージを上手く使っていた、つまり上手で場面Aを表しつつ下手で場面Bの用意をし、照明によって観客の目を自然に場面Aから場面Bに移した
  3. 観客の私が原作の流れを知っていた、つまり観客の合意があった

こういう角度からも、原作をちゃんと読みこんでいて良かったと思うと同時に、表現や演出も素晴らしかったな、と感じました。



あと、原作の挿絵?も組み込んでいたのも理由でしょうか。うまく入れ込む事で流れがスムーズになっていた気もします。





良かった点② 配役が完璧

漫画やアニメのキャラと見た目を限りなく完璧に一致させに来ていたなと感じています。
否、見た目だけではなく、演技も、そして、”声”までも似せてきたなと感動しました。アニメで声を当てていた声優さんとは別でしたが、いやキャラクターの声として解釈一致すぎるだろ...って感じでしたね、特に朱里とひより。。



ここでは、2点書きたい事があります。
1点目は、そもそも、やが君に出てくるキャラクターや舞台が、3次元、現代(現実)に近い、故に、一致度が高いと私が認識したのではないか、ということです。


例えば、最近私が見ているアニメとして、「チェンソーマン」や「BLEACH 千年血戦篇」が挙げられます。
前者は、「悪魔」が、後者は「死神」が出てきます。つまり、私たちが生きる現実にはなじみがない存在や見た目、概念が登場します。

一方、やが君は、舞台は学校や部室、キャラクターの自宅などですし、出てくるキャラクターも皆日本人です。2次元特有の明るすぎる髪の色、など現実離れっぽいのはありますが、それでもなおかなり現実に近いと思います。

かなり3次元と重なる箇所がある、そんな作品が、やが君です。(同様の内容が当てはまる作品も多いです。ゆるキャンとか)

そのため、キャラと俳優さんの一致がより感じやすかった、のかなと思います。





2点目は、いや、それにしても、キャラと一致しすぎワロタ、ということです。

皆似過ぎていましたが、具体例を挙げるならば、燈子役の小泉萌香さんです。

そもそも、燈子は、(彼女の認識では)優等生だった姉、の代わりになるために、皆の前では優等生の仮面を被っていましたが、好きになった侑の前では弱い自分を曝け出す、といった二面性を持っていました。
皆の前では、文武両道何でもできる姿、侑の前では、完璧ではない姿、侑に甘える姿、これを1人の人間、小泉萌香さんが、”両極端なその姿が観客にも伝わるように”、”身振り手振り表情の全てを駆使して”表現されていたという印象を抱きました。
侑に甘えを断られて駄々をこねる燈子の身振り手振りや、自分自身を拒絶するシーンのモノローグの声のトーンなど、”起こっている出来事や登場人物の心情の理解を助ける的確な表現”をされていたなと思いました。
否、表現していたのではなく、あそこに立っていたのは七海燈子であった。


そう思わせるほどに違和感がなく、キャラとシンクロしていた気がします。




良かった点③ 舞台装置が神

頭の悪い見出しですみません。
舞台の特徴として、檀上の登場人物の仕草や感情、置かれた立場などを、演じる本人の演技のみならず、音響や照明、セット、そして時間的な意味での”間(ま)”など、あらゆる要素を使って表現するというものがあります。
例えば、悲しいシーンでは青色の光を、ショッキングなシーン(血が出る、人が死ぬなど)では赤色の光が主に用いられます。今回は、燈子の姉の交通事故ではステージが赤く染まっていましたね。あとは登場人物の心の声やモノローグでは照明をかなり暗くしたりして、モノローグであることが分かるようにしていました。こんな感じですね。



さて、特に個人的に良かった舞台装置について、具体例を2つ挙げます。
1つ目は、7巻第39話のこのシーンです。

舞台をある程度見ると、「ああこういう場面だと暗転するよね」みたいなのが何となく分かって来るのですが、同時に「ここの場面は舞台でどう表すのだろうか」という楽しみも生まれてきます。そんな楽しみを抱いていた私を大満足させてくれました。


ここは、バッティングセンターのネットによって、侑と槙君が”違う”ということを示していると考えられます。
舞台では、バッティングセンターに行かずに二人の会話が始まり、どう表現してくれるのか進行形で楽しみに思っていました。
このシーンは、照明を使って、光と影のゾーンを作り、侑と槙君の立ち位置をそれぞれのゾーンに割り当てていました。こうすることで、二人が違うということを表現していた、気がしています。流石に頷いてしまいました。何が??



2つ目は、ステージの配置についてです。
会場の品川プリンスホテル クラブex という場所は、以前別の舞台で来たことがあるのですが、その時は、360°舞台でした。つまり、登場人物の背中を見る人もいれば正面から登場人物を見る人もいる、登場人物が舞台上を動き回ることでそれらの人々の視界が逆転する、という舞台でした。

一方、今回のやが君舞台は、スタンダードな形式で、正面にステージがあり基本的に観客は登場人物を正面から(席によっては
正面から180°以内の角度で)見る形でした。
こうしたことで、1巻第2話の次のシーンを原作と一致させることができたのではないか、と思いました。

つまり、燈子が侑にキスをするシーンですが、これは原作では、電車に阻まれてキスをしたかどうかは他の人からは分からない、わけです。
舞台も同じでした。
燈子は背を向けて侑と向かい合ってキスをしていたので、観客からすると、橙子の背中しか見えず、その瞬間、本当に2人がキスをしていたかは目視できなかった。
こういう表現を可能にしたのではないかなと感じました。


以下は、呟きレベルのものですが...
〇 複数の照明を別の角度、場所から登場人物に向けて当てるため、影が複数できるんですが、その影も、”その登場人物の頭の中にある複数の考え”を表しているのかな、とも感じました。主に燈子と侑ですが。

〇 音響も良かったです。
劇の開幕で、やが君アニメのopである”君にふれて”を流したのは天才だし信頼だなと感じました。なお、この開幕のシーンでは、それぞれの登場人物の立ち位置もきちんと拘ってくれたなと感じました。侑、燈子、そしての3人をトライアングルに配置したのは、(展開は知っているにしても)今後の3人の関係を示唆するものとして機能していた気がします。三角関係的な。




まとめ

これ以上なく、私が好きな要素を詰め込んでくれた舞台だったなと思いました。普段はしないんですが、終演後に慌ててパンフを即買いしたのは初めてです。

これから何かまた展開があれば嬉しいです。