みよ通信

●ゅ●通信じゃないです。

舞台「やがて君になる」-encore を観てきました。

こんにちは
またブログの更新を怠っていました。

というわけで、本題です。

11月26日に、舞台『やがて君になる』-encore 公演を観てきました。


2019年にも、舞台『やがて君になる』が上演され、2020年には原作最終巻までの内容を踏まえてリメイクした舞台『やがて君になる』encore が予定されていましたが、新型コロナの影響で延期となっていました。2022年になりようやく、延期となっていた本公演を、こうしてみることができた、ということになります。


結論から言うと、今まで見た舞台の中で一番良かったと感じました。
とりあえず、良かった点を書いていきます。

※以下内容は、ネタバレを含むので、これから観ようと思っている方は閲覧注意です。

良かった点①  編集が上手すぎた

いや、編集が上手すぎです。
本公演は、原作の最初から最後まで、つまり、小糸 侑(以下、「侑」という。)と、七海 燈子(以下、「燈子」という。) が出会ってから、彼女らが両想いとお互いに認識し、結ばれるまで(厳密には、結ばれた後のプロローグ的展開まで)を、休憩込みの3時間で表現していました。
原作は、全8巻、45話から成りますが、これを3時間弱で、話の要所を全てまとめ上げてるのは凄いなと感じました。(厳密には、原作最後の方はほぼ本公演には出てこないのですがまあそれはさておき)

勿論、45話全てを3時間弱で表現するのは困難なため、所々削った描写もありました。



が、ここで2点指摘させてください。

1点目は、編集してカットする場面があったにしても、その場面におけるキャラクターたちの重要な発言は"原作通りに"残してくれた"のが個人的に嬉しかった、ということです。
例えば、5巻第24話では侑と燈子が水族館デートをする描写がありますが、舞台では水族館デートはしていません(ですよね、、?)。ただ、デート中に出てきた2人の会話は上手く劇に"生のまま"に"残してくれた"のが本当に嬉しかったです。


他にも、佐伯 沙弥香(以下、「沙弥香」という。)が燈子のことを”好き”だと侑に告げるシーンや、同じ生徒会の槙 聖司(以下、「槙君」という。)が、早い段階から侑と燈子の関係性を知っているということなど、重要なシーンや出来事はしっかり舞台に詰め込まれていたなと感じました。
余談ですが、水族館に行かなかったため、7巻第41話で沙弥香が、侑と燈子が結ばれたことに気づくシーンの手掛かりも削られていましたね。


個人的には、やが君に出てくるキャラクターのセリフには、"その表現から崩してしまうと本来の意味が失われてしまう"といったものが多く存在する印象があります。
そもそも百合作品は、お互いの心の水面に、キャラクター同士のセリフなどを投げ込むことによって、水面が揺らぎ、変化、相互作用が起こるという印象があり、それ故に特にセリフの文言まで重要な気がしています。
そういう点で、時間的制約もあって削った表現もあるにしても、(少なくとも私が)残して欲しかったセリフを"原作通り"にしてくれたのは嬉しいなと思いました。
(その分、各場面の表現の密度(表現量➗時間)は大きかったなと思います。)



2点目は、流れがよどみなかったということです。

先に触れたように、本公演は、全45話を3時間弱で表現するため、所々原作から表現を削っていますが、
合わせて、場面と場面の間にある間(ま)が、短く、表現を削っているのにスムーズに場面が展開されていく、という印象を受けました。

例えば、学校にいる場面Aと部室にいる場面B、そして帰り道の場面C、家にいる場面Dの合計4つの場面がこの順で表現されているとします。
本公演は、場面A→場面B、場面B→場面C、場面C→場面D という場面転換(= 「→」のとこ)に伴う間(ま)が短く、にも関わらず、場面Aから場面Dまでを、”自然に”(私が)観ている印象を受けました。間(ま)が短いと、「急に展開変わってよく分からん」となるのかなと思っていましたが、実際に受けた印象は真逆でした。

この印象を受けた理由は、以下の3つが挙げられます。

  1. 例えば場面A→場面Bの移動がそもそも自然なものであった(例えば場面C→場面Dは、帰り道→家、という流れなので当然受け入れられる)
  2. ステージを上手く使っていた、つまり上手で場面Aを表しつつ下手で場面Bの用意をし、照明によって観客の目を自然に場面Aから場面Bに移した
  3. 観客の私が原作の流れを知っていた、つまり観客の合意があった

こういう角度からも、原作をちゃんと読みこんでいて良かったと思うと同時に、表現や演出も素晴らしかったな、と感じました。



あと、原作の挿絵?も組み込んでいたのも理由でしょうか。うまく入れ込む事で流れがスムーズになっていた気もします。





良かった点② 配役が完璧

漫画やアニメのキャラと見た目を限りなく完璧に一致させに来ていたなと感じています。
否、見た目だけではなく、演技も、そして、”声”までも似せてきたなと感動しました。アニメで声を当てていた声優さんとは別でしたが、いやキャラクターの声として解釈一致すぎるだろ...って感じでしたね、特に朱里とひより。。



ここでは、2点書きたい事があります。
1点目は、そもそも、やが君に出てくるキャラクターや舞台が、3次元、現代(現実)に近い、故に、一致度が高いと私が認識したのではないか、ということです。


例えば、最近私が見ているアニメとして、「チェンソーマン」や「BLEACH 千年血戦篇」が挙げられます。
前者は、「悪魔」が、後者は「死神」が出てきます。つまり、私たちが生きる現実にはなじみがない存在や見た目、概念が登場します。

一方、やが君は、舞台は学校や部室、キャラクターの自宅などですし、出てくるキャラクターも皆日本人です。2次元特有の明るすぎる髪の色、など現実離れっぽいのはありますが、それでもなおかなり現実に近いと思います。

かなり3次元と重なる箇所がある、そんな作品が、やが君です。(同様の内容が当てはまる作品も多いです。ゆるキャンとか)

そのため、キャラと俳優さんの一致がより感じやすかった、のかなと思います。





2点目は、いや、それにしても、キャラと一致しすぎワロタ、ということです。

皆似過ぎていましたが、具体例を挙げるならば、燈子役の小泉萌香さんです。

そもそも、燈子は、(彼女の認識では)優等生だった姉、の代わりになるために、皆の前では優等生の仮面を被っていましたが、好きになった侑の前では弱い自分を曝け出す、といった二面性を持っていました。
皆の前では、文武両道何でもできる姿、侑の前では、完璧ではない姿、侑に甘える姿、これを1人の人間、小泉萌香さんが、”両極端なその姿が観客にも伝わるように”、”身振り手振り表情の全てを駆使して”表現されていたという印象を抱きました。
侑に甘えを断られて駄々をこねる燈子の身振り手振りや、自分自身を拒絶するシーンのモノローグの声のトーンなど、”起こっている出来事や登場人物の心情の理解を助ける的確な表現”をされていたなと思いました。
否、表現していたのではなく、あそこに立っていたのは七海燈子であった。


そう思わせるほどに違和感がなく、キャラとシンクロしていた気がします。




良かった点③ 舞台装置が神

頭の悪い見出しですみません。
舞台の特徴として、檀上の登場人物の仕草や感情、置かれた立場などを、演じる本人の演技のみならず、音響や照明、セット、そして時間的な意味での”間(ま)”など、あらゆる要素を使って表現するというものがあります。
例えば、悲しいシーンでは青色の光を、ショッキングなシーン(血が出る、人が死ぬなど)では赤色の光が主に用いられます。今回は、燈子の姉の交通事故ではステージが赤く染まっていましたね。あとは登場人物の心の声やモノローグでは照明をかなり暗くしたりして、モノローグであることが分かるようにしていました。こんな感じですね。



さて、特に個人的に良かった舞台装置について、具体例を2つ挙げます。
1つ目は、7巻第39話のこのシーンです。

舞台をある程度見ると、「ああこういう場面だと暗転するよね」みたいなのが何となく分かって来るのですが、同時に「ここの場面は舞台でどう表すのだろうか」という楽しみも生まれてきます。そんな楽しみを抱いていた私を大満足させてくれました。


ここは、バッティングセンターのネットによって、侑と槙君が”違う”ということを示していると考えられます。
舞台では、バッティングセンターに行かずに二人の会話が始まり、どう表現してくれるのか進行形で楽しみに思っていました。
このシーンは、照明を使って、光と影のゾーンを作り、侑と槙君の立ち位置をそれぞれのゾーンに割り当てていました。こうすることで、二人が違うということを表現していた、気がしています。流石に頷いてしまいました。何が??



2つ目は、ステージの配置についてです。
会場の品川プリンスホテル クラブex という場所は、以前別の舞台で来たことがあるのですが、その時は、360°舞台でした。つまり、登場人物の背中を見る人もいれば正面から登場人物を見る人もいる、登場人物が舞台上を動き回ることでそれらの人々の視界が逆転する、という舞台でした。

一方、今回のやが君舞台は、スタンダードな形式で、正面にステージがあり基本的に観客は登場人物を正面から(席によっては
正面から180°以内の角度で)見る形でした。
こうしたことで、1巻第2話の次のシーンを原作と一致させることができたのではないか、と思いました。

つまり、燈子が侑にキスをするシーンですが、これは原作では、電車に阻まれてキスをしたかどうかは他の人からは分からない、わけです。
舞台も同じでした。
燈子は背を向けて侑と向かい合ってキスをしていたので、観客からすると、橙子の背中しか見えず、その瞬間、本当に2人がキスをしていたかは目視できなかった。
こういう表現を可能にしたのではないかなと感じました。


以下は、呟きレベルのものですが...
〇 複数の照明を別の角度、場所から登場人物に向けて当てるため、影が複数できるんですが、その影も、”その登場人物の頭の中にある複数の考え”を表しているのかな、とも感じました。主に燈子と侑ですが。

〇 音響も良かったです。
劇の開幕で、やが君アニメのopである”君にふれて”を流したのは天才だし信頼だなと感じました。なお、この開幕のシーンでは、それぞれの登場人物の立ち位置もきちんと拘ってくれたなと感じました。侑、燈子、そしての3人をトライアングルに配置したのは、(展開は知っているにしても)今後の3人の関係を示唆するものとして機能していた気がします。三角関係的な。




まとめ

これ以上なく、私が好きな要素を詰め込んでくれた舞台だったなと思いました。普段はしないんですが、終演後に慌ててパンフを即買いしたのは初めてです。

これから何かまた展開があれば嬉しいです。

【アニメ編①】私はなぜラブライブ!が好きなのか  -虹ヶ咲2期7話挿入歌 「EMOTION」を題材に。 

こんにちは


表題の通りです。ラブライブ!の話です。
三船栞子ちゃん(以下「栞子」という。)が歌う「EMOTION」という曲をご存じでしょうか。




知らない方はいますぐ以下の動画を見てください。




www.youtube.com


今回は、私がなぜ、「EMOTION」という曲が大好きかを深掘りし、ついでに私がラブライブ!を好きになっている理由を探ろうと思います。ラブライブ!を好きになっている理由は、今回挙げるもの以外にもあると思いますが、とりあえず思いついたものを出していき、後のブログでまとめたいと思います。
※ あくまで、私個人の考えだということにご留意ください。

結論


「EMOTION」が好きな理由は、概ね以下の通りになるのではないでしょうか。


  • おそらく私は、栞子がこの曲を歌うことに大きな意味があると思っているから。
  • おそらく私は、感情の描写、表現に非常に弱いから。


私がラブライブ!を好きになっている理由には、以下のようなものがあるのではないでしょうか。


  • おそらく私は、細かく散りばめられた工夫、表現そのものが好きだから
  • おそらく私は、キャラクターが、本来の自分、理想の自分、なりたい自分に変化する描写に心を惹かれるから。

前置き


だいぶ書くのが遅くなってしまいました。
9月12日、13日、そして17日、18日に行われた、「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 5th Live! 虹が咲く場所(以下「虹5th」という。)」 に参加してきました。


本公演の出演者は、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会(以下「虹ヶ咲」という。)でした。
本公演は、虹ヶ咲のTVアニメ2期放送後に初めて行われたナンバリングライブであり、TVアニメ2期を踏まえた内容となっていました。
op全体曲の「Colorful Dreams! Colorful Smiles!」から始まり、1話挿入歌「Eutopia」、3話挿入歌「ENJOY IT!」...と2期の挿入歌を中心に、忠実に披露するなど、ラブライブ!のナンバリングライブの良さが詰まったライブだったと思います。



...今回はアニメ編なので、アニメの2期7話挿入歌「EMOTION」について語ろうと思います。ライブのお話を少し入れたのは、このブログを書く後押しになったからです。
アニメとライブは繋がっているので、ゆくゆくはライブ、双方について語ろうと思います。


2期7話「夢の記憶」のあらすじ


このブログを読む方はおそらく虹ヶ咲2期7話を視聴していると思いますが、念のため、公式サイトの内容を引用します。

ついに始まった5校合同開催による第2回スクールアイドルフェスティバル。1日目は東雲学院、2日目は藤黄学園、3日目はY.G国際学園と続き、4日目は紫苑女学院での開催となった。その展示室に飾られていたスクールアイドル時代の三船薫子と幼い栞子の写真。かつて栞子にもスクールアイドルに憧れる気持ちがあったことを知った侑たちは、栞子を同好会に誘う。しかし、3年間真剣にスクールアイドル活動に打ち込んだものの「ラブライブ!」への出場が叶わなかった姉・薫子の姿を見ていた栞子は、自分の適性を最大限発揮できる生き方、自分に合った役割を全うすると話し、その誘いを断ってしまう。


流石によくまとめられてますね。。

ちなみに、この続きをざっくりと書くと、
同好会の誘いを断った栞子だったが、虹ヶ咲のメンバー、そして姉の薫子からの言葉と後押しがあり、自分のやりたいと思う気持ちを生かし、「EMOTION」という曲を見事歌い上げる という感じです。



私はなぜ「EMOTION」が好きなのか


結論を先に書いてしまいましたが、概ね以下の通りなのかなと思います。

  • おそらく私は、栞子がこの曲を歌うことに大きな意味があると思っているから。
  • おそらく私は、感情の描写、表現に非常に弱いから。


書いていて思いましたが、曲単体が好きというよりは、アニメやキャラを踏まえて好きになっているようです。

つまり、私は、2期7話挿入歌「EMOTION」 ー三船栞子(C.V. 小泉萌香)が好きなんだなと思いました。

栞子がこの曲を歌うということについて


最近、自分はギャップにとてつもなく弱いんだなと思っています。
ここでのギャップとは、ズレ、や、隔たり、のことです。
色んなギャップが好きなんですが、今回の場合は、


感情が見えづらい、鉄仮面だった栞子が、「EMOTION」という「(強い)感情」を表す曲を歌っているということ


ここに、私は強く惹かれているのかなと思いました。
もう少し分かりやすく伝えるために、図示しました。


まず、真ん中の白球が私です。
次に、左の黒球が、「作中の表現や描写」を表しています。
最後に、下の目盛りは、黒球を白球にぶつけることによって、白球が吹っ飛ばされる距離を表しています。
つまり、下の目盛りは、作中の表現や描写によって、私がどれくらい圧倒され、感動したかを表しています。
当然、数値が大きいほど、感動は大きいです。


話を戻します。
図において、例えば黒球は、「EMOTION」という曲を栞子以外の任意のキャラが歌うこと、だとします(虹ヶ咲のメンバーに限らず、栞子以外のあらゆるスクールアイドルを想定します)。

すると、そのキャラが「EMOTION」を歌う事で、白球の私は少し吹っ飛ばされます。


しかし、結論先取りですが、 ① 栞子以外のキャラは、栞子と比較して感情表現が豊か(璃奈など例外はある)なため 、また、 ② あくまで「EMOTION」は栞子が2期1話~2期7話を通じて歌えるようになった曲とも言えるため、栞子以外のキャラが歌った場合は、絶対的に、吹っ飛ばされる距離は少し短めになります。個人的には。



では、栞子が「EMOTION」を歌うとなるとどうなるか
こうなります。


黒球ではなく、翡翠色の球になっていますが、これはもちろん、「EMOTION」という曲を栞子が歌うこと になります。


先ほどの黒球と比較して2つ、相違点があります。


1つ目は、球のデカさです。
球はデカいほど、白球である私はより遠くまで吹っ飛ばされます。

2つ目は、球の位置です。黒球と比べて、球の位置がより左にあります。
白球からの距離が遠いほど、より白球である私を吹っ飛ばします。


つまり、翡翠球の方が私はより感動するということになります。



では、なぜ翡翠球はデカいのか。なぜこの位置にあるのか。
それは、
① 感情が見えづらい、鉄仮面だった栞子が、「EMOTION」という「(強い)感情」を表す曲を歌っているというギャップと、

② 栞子が歌えるようになったということ、この2つが理由だからです。


TVアニメを見ている方はご存じだと思いますが、2期1話~7話までの(なんならそれ以降も)栞子は登場シーンのほとんどで無表情であり、どこか感情が見えにくい印象を受けます。

例えば、幼馴染の鐘嵐珠(以下、「ランジュ」という。)との再会シーンでも、今一つ栞子の感情が盛り上がらない印象を受けました。ストレートに言えば、もっと喜んだ様子見せてもええやろと。
(ただし、驚きのあまり表情が固まった可能性もあります。にしても、もう少し感情を見せてもええやろとは思いますが。)

 
2期1話「新しいトキメキ」より

余談ですが、栞子の表情が見えづらいことが、再会後のランジュとの関係に影響を与えている気がします。




黒球、つまり栞子以外のキャラが歌うとなると、栞子と比較して感情が豊かである故に、「(強い)感情」を意味する「EMOTION」という曲を歌っても、栞子ほどの衝撃を私は受けない気がします。


一方、翡翠球の場合は、「感情が見えにくい」栞子が、「(強い)感情」を意味する「EMOTION」という曲を歌い上げるという点で、ギャップが大きく、より振れ幅も大きくなり、より白球である自分は吹っ飛ばされるということになります。

翡翠球(感情を出さない→強い感情を出す)、方が、黒球(感情を普段出す→強い感情を出す)よりも、個人的には強く私自身の感情が揺さぶられます。


また、球の大きさ(正直白球からの距離でも良いですが)については、歌詞と2期7話のストーリーの一致度に依存しています。


2期7話は、「凍結した心」故に同好会への誘いを断る栞子が、同好会の皆や姉の薫子の言葉で、その心を覆っていた氷を溶かしていくという変化、
つまり、 感情、スクールアイドルをやりたい気持ちを凍らせているという現状 から、その氷を溶かして、 感情、スクールアイドルをやりたいという気持ちを表に出す、という変化にフォーカスしています。

「EMOTION」の歌詞では、この変化、過程に明らかに言及しています。例えば、

自分は今の自分だけ本当に変われない?

という、現状の自分に対する疑問、迷いから始まり、

踏み出せないハッキリしない
気持ちのままでいれば
大好きなことに嘘つくかな

と、前述した疑問、迷いに対する解決、気づきを言葉にし、

素直でもっといたい 心を隠したり
あの日の私はまだ弱くて簡単に泣いたけど
ちょっと背伸びして臆病もバイバイする
解き放って ここで
あなたに届け EMOTION

ついに、自分の内に秘めていた、凍らせていた想い、今後の決意を歌にして届けていると思われます。


ラブライブ!の挿入歌は、その話(やそれまでの話)の内容をまとめた(少なくとも言及した)ものになっています。これは感想ではなく事実です。

「EMOTION」は、2期7話(と2期7話までの話)で起こった栞子の変化、新たな気づきを、曲にしてまとめ、栞子が言葉にして歌にして届けることで、その内容を確定させ、栞子自身の身に、変化、新たな気づきを刻みこむ、という意味をも持っていると思っています。


そのため、栞子が「EMOTION」を歌うことで、それ以外のキャラが歌った場合と比べて翡翠球はデカくなっています。

これは、 HUNTER×HUNTERにおける制約に似ています。




このキャラがこの曲を歌うという縛り、属人性(?)があるからこそ、曲の良さが100%、否、120%発揮されているとも言えると思いました。





感情の描写について


キャラが感情を見せているシーンが好きなんだと思います。

例えば、精一杯楽しんでいたり、深く悲しんでいたりしているシーンです。多分、理由としては、自分の感情も強く揺さぶられるからなのかなと思います。
(この辺りは今後また深く考えられたらと思います)



私はなぜラブライブ!が好きなのか


...と、ここまで栞子の「EMOTION」という曲について語ってきましたが、このブログを書くために2期7話を見返していて、うっすらとラブライブ!を好きになっている理由が垣間見えたため、ここに記そうと思います。

結論は最初に書きましたが、その理由は以下の通りです。

  • おそらく私は、細かく散りばめられた工夫、表現が好きだから
  • おそらく私は、キャラクターが、本来の自分、理想の自分、なりたい自分に変化する描写に心を惹かれるから。




細かく散りばめられた工夫、表現


アニメ問わず全ての創作物に言えますが、制作側の意図や想いがその創作物に工夫として表現されていること、そのこと自体が好きですし、その表現や工夫を解き明かそうとすることが好きなのかなと思いました。


2期7話を例として挙げます。
これまで、「感情が見えにくい栞子」が「EMOTION」という曲を歌うギャップについて触れてきました。


ただ、「感情が見えにくい栞子」が「EMOTION」を歌う前にも、揺らぐ、つまり栞子の感情が垣間見えるシーンがいくつかあります。

具体的には、優木せつ菜ちゃんをはじめとする虹ヶ咲の皆から同好会への勧誘を受けるシーンが挙げられます。

同好会の皆から勧誘を受ける際の「なんですか、いきなり」という栞子の台詞は、どこか警戒モードに入っているトーンのようにも感じられますし、
「そこまでです」と栞子が勧誘の言葉を遮るシーンからは、拒絶が垣間見えます。

また、せつ菜ちゃんの言葉に対し、「それはあなただからできることです」と栞子の語気が強まる様子、
その瞬間に、感情をよく表すとされる「目」を移さずに口元だけ映す(=口から発せられる言葉に注目させようとしている)こと、
その後に、同好会の皆に有無を言わせず話を切り上げる表現

などからも、栞子の核心(夢よりも現実を重視する考え方)に触れて反発している様子が伺えます。

さらに、この時に流れている曲は「凍結した心」、まさに栞子のことです。


つまり、このシーンにおいて、声のトーンであったりカット、同好会の皆の反応など、あらゆる表現や工夫が散りばめられており、栞子の核心に関して説得力を持たせていると言えます。

(ちなみに、その後に、栞子が同好会の皆とフェスティバルを楽しむシーンがありますが、「三船さんはどうだった?」と歩夢に聞かれた栞子が、「どなたも、自分のやりたいことを体現されていると思いました」と、自分についての感情を真っ先に答えなかったことからも、栞子が感情を凍らせているんだなと分かります。)


このように、私は、制作側がある内容を伝えるために、あらゆる表現や工夫を用いること、そして、それらの表現や工夫によって、内容が視聴者側にこの上なく正確に、濃密に、違和感なく伝わっているという事実が好きなのかなと思いました。



キャラクターが、本来の自分、理想の自分、なりたい自分に変化する描写


ラブライブ!あるある、ですが、苦悩や悩みを抱えたキャラクターが、その話で何らかの気づきを得て、それらの悩みから解放されるという描写が多くあります(例えば、虹ヶ咲1期8話、2期7話。)

これらの描写の中には、「やりたい気持ちに嘘をつかずにやってみる」などと言った、ラブライブ!の核心とも言える考え方が含まれていると思っています。


多分私はこの考え方に惹かれている気がします。それは、私の過去の経験、そして現在の体験に起因するものかなと思います(が、そこは掘り下げずに別のブログで書ければいいかなと思います)。



まとめ

明らかに、1つ目の理由に熱を入れすぎて2つ目の理由はあっさりになってしまいました。
今後も考察を続けていきたいなと思います。

オタクのドコいく? Part2. -占いレポ

2022年9月12日、生まれて初めて、占いというものを受けてきました・・・・
その占いがこちらです~
www.lovelive-anime.jp


このブログでは、占いレポを行いたいと思います~(鈴)
 








※ Part2. とか言っていますが、Part1. はまだありません。


近況報告


突然なんですが、最近、運が悪いな、嫌なことばかり起こるなと感じています。
思いつくだけでも、


  • 身内の不幸
  • 見たかった舞台(2つ)がピンポイントで公演中止になる
  • 階段から転げ落ちて腰を強打(全治1ヵ月強)
  • 小指をヤバい勢いで挟む(全治1週間弱)
  • 朝起きたらハンガーラックが倒壊。
  • 夕食の汁物を盛大にこぼす
  • 歳下の女性声優(なこゃぶのん。特に、ゃぶ)に夢中になりすぎて彼女と別れる


運が悪い・・・・???






これは、何か憑りつかれているんじゃないか、、と思いました(ほんとうに?)
また、最近の人生の悩み、さらにはラブライブ!と占いのコラボ、というキッカケが重なり、
人生で初めて、占いを受けてみようと思いました。


なお、最近の人生の悩み、についてはこちらのブログに載っています。

hayallou.hatenablog.com







経過


9月10日、11日は、虹ヶ咲5thライブがありました。神のライブでした。今後、ブログに書きたいです。
私は12日にお休みを取っていたので、12日の午前中は(女性声優の動画を見ながら)のんびりホテルで過ごして、お昼頃からとりあえず竹下通りを散策しました。

歩いていると、やはりラブライブ!スーパースター!!と、新テニの看板が目に入ります。





そこでふと、冒頭の占いコラボがあることを思い出しました。
先述した理由に加え、「まあ、経験にはなるか」とも思い、占いを受けることにしました。





店内に入り、消毒や体調チェックを終えた後、まずプランの説明を受けました。
それが以下の通り。



とりあえず最初なので20分コースを選択。
最初は、2つ目の「推し活診断」でいっか~と思っていましたが、
前述した不幸や、一緒に行ったオタクも選んでいたという理由で、4つ目の「夢を応援!未来予報診断」にしました。

辞めておけばよかった。




その後、占いに使うために、所定の様式に性別、名前や生年月日、出生地などのほか、占って欲しい項目を記入。
占って欲しい項目は、「恋愛、結婚、仕事、学業、健康、人間関係、その他(具体的に記入)」とかだった気がします。

恋愛、結婚、仕事、人間関係にチェックを入れました。
既にしんどいです。

記入して提出した後、占いを受けに地下へ案内されました。部屋に入る段階でオタクと別々になりました。

占いの結果はメモって良いとの事。スマホのメモ帳アプリでもOKなのは少し驚きました。







占いの結果


女性の方(以下、占い師さん)に占いを受けました。
部屋、というよりは小さめのブースみたいな感じ、椅子に座り飛沫防止のためのアクリル板を挟んで占い師さんと1on1。
机にはラブライブ!スーパースター!!コラボのチラシも置いていました。


生年月日などが書かれた紙を渡し、着席。
占いたいテーマは自由であること、時間は20分であること、などの説明を受けました。
男性が占いへ行くイメージがなかったんですが、意外と、会社の社長さんとかが今後を占うために来ることがあるそうです。

雑談も交わしつつ、いざ占いスタート。





私 「このラブライブ!の占いで、4つ目のをお願いしたいなと思うんですけど、、」
占い師さん 「(渡した紙を見つつ)どれについて特に聞きたいですか?」
私 「じゃあ、、、結婚で()」

すると、占い師さんは、何やら占いの本を開いたり謎の数字を謎の紙に書き始めたり、、、
少し緊張しながら待つ私。
20秒ほどで答えをいただきました。




占い師さん「もうこの年齢ですし、恋愛じゃなくて真剣にパートナーを探しに行った方が良いと思います」



初手でこれ



他にも色々とご指摘を受けました。

  • 恋愛だと、美人さんだったりとキラキラしてる方、周りの人に自慢できる可愛い子に流れちゃうタイプだと思うけど、それじゃあうまく行かない
  • あなたも人あたりは良いんだけど、多分本当に人を好きにならない感じがする
  • でも、一生、独りでいるタイプじゃないと思う
  • 派手なところの数字がない(?)し、堅実に周りを見ながら相手の面倒も見るタイプ


占い師さん 「お仕事で何か目標とかはあったりするの?」
私     「それが、、ないんですよね。。とりあえず普通の人生を歩めたら良いかなって」
占い師さん 「結構、流されやすいタイプなのかなと思う。お仕事の目標も本当は何かあるはずで、多分、本当は自分は何をしている時が楽しいか?をしっかり自覚する方が良いのかなと思う」





意外と早く20分は過ぎました。




占いを受けての感想



いや、きつすぎワロタ





正直、外れてるところもあるけど、痛い所を突かれてしまったところもあり、けっこうダメージを食らいました。
現実を見ろってことですよね。。。




一方で、占いを受けていて、知らん人に勝手に人生を導かれている、と反抗したくなる気持ちが芽生えたのはあります。占い受けといて何やねんという感じですが。。

その理由は、次の2つかなと思います。

  • そもそも占いを受ける適性(やマインド)が無かったから
  • 多分私は、決めるべきところはちゃんと自分で決めたい、と感じるタイプだから

(痛いところを突かれたから腹いせにそういう気持ちが芽生えている側面も少しはあると思います)



前者については、占いに限らずあらゆるコンテンツに対して成り立つと思います。


また、後者について。
個人的に、占いは、

  • 背中を押してくれる
  • 自分の進むべき道を教えてくれる
  • 自分が何かを選択、決断したことで背負う責任を自分一人で背負う必要がなくなる

という側面を持っていると思っています。



どれも良い側面だと思いますが、個人的には、重大な決断(例えば進学や就職など)については、しっかり考えた上で自分で決めたい(または自分で決めたという実感が欲しい)、きちんと自分で責任を負いたい、と思っているのかもと感じました。



些細な決断は、占いや他人の判断に明確に流されて、良い気がします。些細な決断とは、今日食べる食べ物だったり、今日遊ぶ場所であったり。
なぜなら、些細な決断をするのにも都度じっくり考えていると、時間が無くなるからです。
責任を負うとかも特に考えないですし。



一方で、重大な選択については、きちんと自分の頭で考えて、決断を下した(と思える)方が、その結果にも満足するのかなと思います。
勿論、人間は自分以外のものに常に影響を受けているため、自分以外のものに全く左右されずに決断するということは、現実的に不可能です。
ただ、重大な選択については、自分以外のものに左右される割合(自分以外のものを決断の拠り所にする割合)を可能な限り小さくできたらと感じました。



そんな当たり前の気づきも得た占いでした。



今後も、些細な決断には漫画やアニメ、女性声優の影響を大いに受けつつも、重大な決断はしっかり自分で決めたいなと思いました。








結論が台無しすぎる。

【決意表明】ブログを頑張って更新します

こんにちは
約半年ぶりに記事を書くらしいです。

この記事で言いたいこと

この記事で私が言いたい事は、タイトルにもあるように、

頑張ってブログを書くぞ!!!!

という決意表明となります。
目標は、2週間に1つ、です。。。


これまでの反省

ブログを書いては途中で止める...を繰り返していた結果、半年間記事を公開しないまま進めてきました。
そうなった原因は、自分が飽き性であることと、書きたい記事のテーマがデカすぎてまとめるのが大変だったことにあると思います。

そのため、

  1. 書きたいと思ったときにブログを一気に書く
  2. デカすぎるテーマを小分けにして、小分けにした分野ごとにまとめる。または、デカすぎるテーマに関連した内容のブログを書くことで、デカすぎるテーマをまとめる上での示唆を得る。

この2点をまずは行ってみようと思います。
最終的に書きたい記事の”デカすぎるテーマ”は、現状、以下の3つです。
それぞれのテーマに重複する部分はありますが、まあそこは置いといて。

  • ラブライブ!はなぜ「良い」のか
  • 女性声優を推すこととの向き合い方
  • オタ活(?)と”人生”の折り合いのつけ方

なお、関連する内容の記事を今後書くときは、「ラブライブ!」、「女性声優」、「人生」のようなタグをつけたいと思います。





ラブライブ!はなぜ「良い」のか


突然ですが、私は、未だに会社でラブライブ!のオタクであることを隠しています。

それはおそらく、一種の恥ずかしさラブライブ!が好きとかキモオタだろ、、という自分の中にある偏見、故のものだと思います。

会社の人へ積極的に勧めたい、という気持ちはないのですが、ほぼバレかけたときにきちんと誤魔化さずに答えられるようになりたいと思っています。


そのためには、
「なぜ私はラブライブ!が好きか」という理由をきちんと語れるようになる

ことで、いざ聞かれた時に変に誤解されずに済むだけではなく、
偏見を持たれがち(と自分が感想レベルで思っている)ラブライブ!の良さや魅力を伝えられる、
何より、自分がもっと自信をもってラブライブ!を好きになれると思っています。

(これまでも、私はラブライブ!の良さを記事にしてきましたが、単発の記事が多いので、まとめられたら素敵だなと思います。)



女性声優を推すこととの向き合い方


私はラブライブ!のキャラを演じる女性声優も好きだという自覚があります。
ただ、少し前まで、「女性声優に対しては、声の表現で魅せられるべきであり、それ以外の要素(例えば顔)で魅せられすぎるのはダメだろ、、」という想いを抱えていました。

正直、簡単に反論ができるし、今の時代とは逆行する疑問すぎるし、自分がその想いへの反証になっていた、、、という自覚はありましたが、この疑問に対して納得できる答え、落としどころを見つけたいなという想いがあります。


これに対する答え、落としどころは2か月前くらいに見つかったのですが、
最近のとある女性声優ソロイベントへの参加、
そして、

ある女性声優の登場

によって、自分が出した結論が粉々に打ち砕かれてしまいました。
いつか結論を出せたら良いなと思っています。



オタ活(?)と”人生”の折り合いのつけ方

最近、とある悩みを抱えています。
それは、

  • アラサーになり、周りの同期は結婚したり同棲したりと人生を着実に歩んでいるのに、俺は女性声優と漫画とアニメに夢中になっている、、、
  • 人間は加齢に伴い感性が変わり、今楽しいと思っているものが数年後には楽しめなくなってしまう、という誰かの投稿を見て、今ラブライブ!が好きなのは良いんだけど、10年後も同じ自分でいられるのか、もしいられなかった場合、周りは結婚していて私だけ何もない、本物の異常独身男性になってしまうんじゃないか、、

という悩みです。
まさに、これ。

いつかこの悩みに対して、
自分が心の底から納得できる、変に妥協してへらへらせずに自信をもって言える答え を見つけたいと思っています。




ということで、頑張って記事を書きたいと思います。。

最強の百合ソング クレッシェンドゆ・らについて

こんにちは
久々のブログです。



今日は、前田佳織里さんの写真集を購入しました。
よく分からんニコニコ動画にも課金してます。
今度、江ノ島に行く予定です。女性声優の写真集を聖地巡礼する異常独身男性25歳になるらしいです。
なお、家族LINEを見ると、俺以外の家族+いとこは今日旅行に行ってたらしいです。
頼むから誰か俺を止めてくれ。



........というわけで、前置きと全然関係ないですが、今回はクレッシェンドゆ・ら という曲について語りたいと思います。
リハビリ記事です。

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【事前解説①】クレッシェンドゆ・ら とは何か


こちら、ラブライブ!スーパースター!!1期Blu-rayの全巻購入特典曲です。


www.youtube.com

葉月恋ちゃんと、唐可可ちゃんという一見意外なカップリングで歌う曲です。


【結論】

このブログを2行でまとめると、こうなります。

①クレッシェンドゆ・ら は、明らかに、百合ソングである。
②葉月恋ちゃんと唐可可ちゃんの2人の共通点と対照的な性格が、この曲を成り立たせている。
となります。

では、なぜこの結論になるか、追って説明していこうと思います。





【事前解説②】百合とは何か

百合とは何か。非常に難しい問いだと思います。
最も分かりやすい答えは、女性が女性に対して恋愛感情を抱くこと、女性が女性を好きになること、といったものだと思っています(が、少し狭義過ぎる気もします)。

今回は、百合の定義を以下のようにし、それを踏まえて話を進めていきたいと思います。あくまで個人の感想です。


〇百合とは、女性が女性に対して抱く気持ちまたはその気持ちが変化していくことである。

あえて細かく解説していきますが、この定義のポイントは3つあります。

 ①「女性が女性に対して」
 ②「気持ち」
 ③「変化」

です。
教科書の文章全部にマーカー引くみたいになってしまいました(照)。
少しだけこの3つについて説明を加えることで、百合の特徴を記していきます。


①「女性が女性に対して」*1

これは何となく納得してくれる気がします。


②「気持ち」

百合において最もよくあるのがいわゆる恋愛感情でしょう。
他は、怒りや憎しみなどの感情とかです。
また、こういった”露骨な”感情に囚われず、友情や親愛に近いものも当てはまります。
基本的に、感情が強ければ強いほど、受け手に刺さると思いますが、弱く小さな感情でも侮れません。


③「変化」

百合とは、女性同士のやり取りによって、互いの心の水面に波紋が広がっていくことをいう。(By 巌 裕次郎
令和4年にもなってアクタージュの話してるの俺だけ。

...人間関係ってそんなもん、ですが、
本人からしたら小石を投げたつもりでも、相手からしたら、自分の水面にデカい石を投げられたかのように大きな波紋が広がる事もあります。
そういった、やり取り、過程が大事なのであって、その時々の揺れ動きを感じることが、百合を享受する上で重要な事だと思います。



さて、この3つが合わさるとどうなるか。とても複雑な動きを見せます。
例えば、本当は「好き」という強い「気持ち」を持っているのに、「女性が女性に対して」表現するには心理的な抵抗があり、結果としてその「気持ち」を隠したり否定するものの、さらに「気持ち」が高まるという「変化」が起こったりします。
異性愛が蔓延っているこの世の中では、まだまだ百合は奥深いものだと思います。
このミクロな心の揺れ動き、が好き、というのは、百合好きの人なら分かってくれると信じたいです。


【結論①】クレッシェンドゆ・ら は、明らかに、百合ソングである。

クレッシェンドゆ・らは百合ソングかどうか。答えは

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プラチナエンド、アニメでは前田佳織里さんがえぐい演技してるので絶対見てくれ。頼む。


...クレッシェンドゆ・らの歌詞について見ていきましょう。

ゆ・ら!明日は
もっと!気になる

Shiny day 出会えた日から
キミのことばかり見てる
笑顔もすね方も全然違うね ふたり

うまく話せなくてまた
途中で黙りこむの
気が合わないって言われても
別にね(別にね)いいけど(ほんとに?)
ううん、No No イヤかも

ねえ
Heartゆらゆら どうして
Heartゆらゆら 揺れるの
もっと深く知りたいの
違うよ 気のせいだって
でも
Heartゆらゆら かすかに
Heartゆらゆら 重なる
瞳が(クレッシェンド)告げてる
友達とか越えちゃって
特別になってく・・・かもね

ゆ・ら!明日は
もっと!気になる

Rainy day 偶然会って
一緒に帰ったあの日
雨音やさしくて 初めて素直になれたんだ

やっぱ似てない なにもかも
正反対だね なのに
知れば知るほど惹かれるの
変かな?(変だね)いいかな?(いいでしょ!)
I can't stop it 教えて

ねえ
Heartゆらゆら 気持ちは
Heartゆらゆら おなじね?
気づいてる 振り向けば
視線がぶつかること
もう
Heartゆらゆら ほんとは
Heartゆらゆら 待ってるよ
つながる(クレッシェンド)きっかけ
不思議な予感してるの
その時はもうすぐ・・・かもね

キミを見つけるたびに
心が騒ぎだすの
どんな意味があるんだろう
探してみたいの



ねえ
Heartゆらゆら こんなに
Heartゆらゆら 揺れるの
もっと深く知りたいのは
気のせいなんかじゃないや
ほら
Heartゆらゆら かすかに
Heartゆらゆら 重なる
瞳が(クレッシェンド)告げてる
友達とか越えちゃって
特別になってく・・・かもね

ゆ・ら!明日は
もっと!気になる

きっと!明日は
もっと!気になる


まず、私のいう百合のポイントを満たすかどうか、調べていきます。

①「女性が女性に対して」

これはまず、ラブライブ!の世界は意図的に男性が排除されていることから明らかでしょう。(意図的に男性も出てくることもあります)
なお、この曲は、歌っている子と「キミ」との2人が出てきていることから、「に対して」という文言にも当てはまります。

②「気持ち」

これも言う必要はないでしょう。あからさまなところだけ、抜粋してみます。

ゆ・ら!明日は
もっと!気になる

Shiny day 出会えた日から
キミのことばかり見てる

気が合わないって言われても
別にね(別にね)いいけど(ほんとに?)
ううん、No No イヤかも

ねえ
Heartゆらゆら どうして
Heartゆらゆら 揺れるの
もっと深く知りたいの
違うよ 気のせいだって
でも
Heartゆらゆら かすかに
Heartゆらゆら 重なる
瞳が(クレッシェンド)告げてる
友達とか越えちゃって
特別になってく・・・かもね

Rainy day 偶然会って
一緒に帰ったあの日
雨音やさしくて 初めて素直になれたんだ

やっぱ似てない なにもかも
正反対だね なのに
知れば知るほど惹かれるの

ねえ
Heartゆらゆら 気持ちは
Heartゆらゆら おなじね?
気づいてる 振り向けば
視線がぶつかること

キミを見つけるたびに
心が騒ぎだすの
どんな意味があるんだろう
探してみたいの

ねえ
Heartゆらゆら こんなに
Heartゆらゆら 揺れるの
もっと深く知りたいのは
気のせいなんかじゃないや

抜粋と言いましたが、ほぼ全て引っ張っちゃいました(照)


③「変化」

この「変化」は、この曲の一番大きな特徴だと思います。曲名からして「変化」だからです。
クレッシェンドゆ・ら という曲名の「ゆ・ら」は

ゆら‐ゆら の解説
[副](スル)
1 物がゆっくりと大きく、繰り返し揺れ動くさま。「波に―(と)揺れる船」「地震で足もとが―(と)する」

2 ゆったりと。ゆっくりと。
dictionary.goo.ne.jp

と、ゆっくり揺れ動く様子を表しています。揺れ動くのは何か。「気持ち」であり、「心」であり、「キミとの距離」と思います。
ダメ押しで、「クレッシェンド」、つまり「だんだん強く」なっていくという「変化」の曲です。
なお、歌詞からしても、

ゆ・ら!明日は
もっと!気になる

Shiny day 出会えた日から
キミのことばかり見てる
笑顔もすね方も全然違うね ふたり

友達とか越えちゃって
特別になってく・・・かもね

Rainy day 偶然会って
一緒に帰ったあの日
雨音やさしくて 初めて素直になれたんだ

知れば知るほど惹かれるの

キミを見つけるたびに
心が騒ぎだすの

ねえ
Heartゆらゆら こんなに
Heartゆらゆら 揺れるの
もっと深く知りたいのは
気のせいなんかじゃないや
ほら
Heartゆらゆら かすかに
Heartゆらゆら 重なる
瞳が(クレッシェンド)告げてる
友達とか越えちゃって
特別になってく・・・かもね

また、ほとんどの歌詞を引っ張っちゃいました(照)
曲が進んでいくにつれて気持ちが変化しているのも推しポイントです。
曲中に3回出てくる「・・・かもね」も、可能性、推測から徐々に確信へと変わっていく様子がよく分かります。


【結論②】葉月恋ちゃんと唐可可ちゃんの2人の共通点と対照的な性格が、この曲を成り立たせている。


葉月恋ちゃんと唐可可ちゃんについて、少し考えていきます。

共通点について

まず、この2人の共通点は、多少語弊がありますが、どちらも本心を直接相手に伝えにくい所がある、ことかなと思います。
可可ちゃんは、TVアニメの平安名すみれちゃんとのやり取りがその証左だと思います。
可可ちゃん、好きな子に嫌いって言うタイプだろ....
(まあそれはすみれちゃんの性格や前職(?)によるものも大きいですが)

対して恋ちゃんも、言葉で自分の気持ちを伝えるのが苦手な印象を受けます(的なことを2ndライブの時に青山なぎささんが言ってた気もします)。8話とかを見ていると、彼女はどちらかと言えば気持ちを抑えるタイプに見えます。


この曲も、所々に、本心を言えない、「否定」が入ります。

気が合わないって言われても
別にね(別にね)いいけど(ほんとに?)
ううん、No No イヤかも

ねえ
Heartゆらゆら どうして
Heartゆらゆら 揺れるの
もっと深く知りたいの
違うよ 気のせいだって

「どうして」って言ってるけど、これ、本当は自分の気持ちに気づいてるのに、気づいていない振り、否定している、んですよね...
要は、その曲の歌詞の内容と合致するキャラクターがその曲を歌っている、ことが良いなと思います。
唐可可ちゃん、葉月恋ちゃんだからこそ歌える曲というわけです。


対照的な性格について

次に、この2人の対照的な性格について。
そもそも、先述した「共通点」なら、歌うの1人でええやんとなります。
ただ、クレッシェンドゆ・らは2人で歌っている曲です。2人で歌うことで、この曲の良さを最大限引き出していると思いますが、その理由が2人の対照的な性格です。


唐可可ちゃんは、どちらかといえば積極的、外向的、革新的で明るく活発な子だと思います。
 ・ スクールアイドルに惹かれて海外から日本にやってくる
 ・ スクールアイドル部が設立できないことを理由に退学届を出して他校でスクールアイドル活動をやろうとする
 ・ スクールアイドル部が設立できないことに対して抗議活動を行う
事実を列挙するとやべえなこいつ...... って感じですが。


一方、葉月恋ちゃんは、どちらかと言えば消極的、内向的...かどうかは分からないですが、少なくとも保守的で大人しめな、落ち着いた子だと思います。1~3話あたりの、結ヶ丘音楽学校の伝統を重んじる態度から何となく分かっていただけると思います。

このように、唐可可ちゃんと葉月恋ちゃんは、(似ているところもあれど)対照的な性格の子だと思います。
重要なのは、

Shiny day 出会えた日から
キミのことばかり見てる
笑顔もすね方も全然違うね ふたり

やっぱ似てない なにもかも
正反対だね なのに
知れば知るほど惹かれるの
変かな?(変だね)いいかな?(いいでしょ!)
I can't stop it 教えて

という歌詞とマッチしていることです。
実際、性格が正反対の子を好きになる、正反対だからこそ惹かれる、みたいな所もあるので、この2人のカップリングも2期で掘り下げられていくかもしれませんね!(クソまとめサイト調)

また、他にも2人で歌うこと自体の良さは、以下の歌詞から垣間見えます。

うまく話せなくてまた
途中で黙りこむの
気が合わないって言われても
別にね(別にね)いいけど(ほんとに?)
ううん、No No イヤかも

かっこ書き以外は、葉月恋ちゃんが歌っています。
(かっこ書きは勿論、唐可可ちゃんが歌っています)
つまり、表では「別にね」「いいけど」と否定していますが、
「ううん、 No No イヤかも」と本心を引き出す心の声、「(ほんとに?)」を唐可可ちゃんが歌っている
という形になっています。

2番の同じ個所もそうです。

やっぱ似てない なにもかも
正反対だね なのに
知れば知るほど惹かれるの
変かな?(変だね)いいかな?(いいでしょ!)
I can't stop it 教えて

唐可可ちゃんの疑問符を肯定し、背中を押しているのが心の声、つまり葉月恋ちゃんのパートということになります。


最後に

クレッシェンドゆ・ら を早くライブでやってくれ、頼む。

*1:※ 今回の話とはあまり関係ないですが、別の百合の特徴を述べるならば、いわゆる禁断の恋になりやすい、言い換えると、「苦悩や葛藤」が表現されやすいということでしょう。具体的に言えば、同性に対して恋心を抱いて良いのだろうか、といったものです。

CPのお話 ~なぜ“しずかす”なのか~

こんにちは。虹3rdがあまりにも良すぎて、虹ヶ咲に関するブログを書きたくなったため、書く事にしました。TVアニメ2期、おめでとう。マジでうれしい。ちなみに明日、NHK Eテレで19:00からしずく回の再放送です。

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...今回のテーマは、”しずかす”、つまり桜坂しずくちゃん×中須かすみちゃん のCPについて。
”しずかす”である理由について書いて行こうと思います。
ラブライブ!ではCPが問題になることが多い(と思う)。だが、なぜそのCPが成り立つか、なぜ好きか、について今回論じるような視点からの考察はほとんどない(と信じたい)。そのため、”しずかす”がなぜCPとして成立しているか論じていきたい。

要旨


なぜ”しずかす”なのか、それは2人の性格が対極に位置しつつも、両者とも”自分に自信がないこと”が根底に存在しているという共通点があるから。共に自己愛の問題を抱えているからだ。

桜坂しずくについて


桜坂しずくはどんな子なのか? どういう性格をしているのか。それが垣間見える文章や発言を以下に抜粋した。

・しっかり者の優等生 (公式サイト)

・私ね、演じている時が一番堂々としていられるの。誰の目も気にならないし。自分が、桜坂しずくだってことを忘れられるの
・誰かに変なのって顔されるたび、嫌われたらどうしようって。そのうち、他の事でも人から違うなって思われる事が怖くなって、だから、演技を始めたの。みんなに好かれる、良い子のふりを
・私、やっぱり自分をさらけ出せない。
・表現なんてできない。嫌われるのが怖いよ (TVアニメ1期8話)

つまり、上記から読み取れる桜坂しずくの人物像は

・人から嫌われるのを恐れ、皆から好かれるために”良い子”の"演技"をして”ほんとうの自分”を隠している女の子
と言えるだろう。

中須かすみについて


一方、中須かすみはどんな子なのか? どういう性格をしているのか。それが垣間見える文章や発言を以下に抜粋した。

・そりゃあ確かにかすみんはかわいいに決まってますけど~
・人がいっぱいいた方が、かわいいかすみんが引き立つからです!
・どんなに素敵な同好会でも、世界で一番かわいいのはかすみんですからね! (TVアニメ1期2話)

つまり、上記から読み取れる中須かすみの人物像は

・自分のことをかわいいと信じている女の子

と言えるだろう(実際かわいい)

桜坂しずくと中須かすみについて


さて、この2人の人物像を以下に並べてみる。

桜坂しずく:人から嫌われるのを恐れ、皆から好かれるために”良い子”の"演技"をして”ほんとうの自分”を隠している女の子
中須かすみ:自分のことをかわいいと信じている女の子

...共通点なんてある?? と思うかもしれないがその感覚はある程度正しいと思われる。
実際、この2人、性格がまるで対照的なのだ。つまり、自分のことが嫌いな桜坂しずくー自分のことが好きな中須かすみ、というように、両者はむしろ対照的な性格をしている。対極に位置しているのだ。
なら、なぜこの2人は作中でも絡みが明らかに多く、”しずかす”というCP名までついているのか。
勿論、性格が正反対の相手を好きになるという理屈もあるだろう。相手の持っていない良さに憧れ、相手の欠点を補い合える(相補性)からだ。
しかし、さらに一歩踏み込んで答えを出すならば、2人は似ているからだ、という答えを持ち出せる。
これは、自己愛という言葉を持ち出せばある程度説明ができる。

自己愛について


自己愛とは、心理学で用いられる用語である。例えば、かの有名なフロイトは、自己愛について、本来外へと向けるべきリビドーを自己へと向けている状態としてネガティブに捉えている.......となると話がかなり難しくなるため、ここでは自己愛の事を以下のように捉えてほしいい。つまり、自己愛とは、”自分自身へと向ける愛”であり、”自分自身を愛すること”である。

自己愛 はネガティヴな意味で用いられる事が多い印象だが、自己愛自体は悪いものではない。”自分自身を愛すること”は、自分を大切にする、という事でもあり、生きていくうえで必要不可欠なものである。

とはいえ、何事も行き過ぎは良くない。つまり、自分を好きすぎる/嫌いすぎると良くない。なぜなら、自分を好きすぎる人は、自分を優先しすぎるが故に相手を蔑ろにしこき下ろす事が危惧されるし、自分を嫌いすぎると、(本来そうすべきではない場面でも)自分よりも相手を優先させてしまうからだ。
...難しいので、極端な例で分かりやすく考える。つまり、自己愛性パーソナリティ障害という言葉を持ち出してみよう。

自己愛性パーソナリティ障害について


例えば、皆の周りにこんな人はいないだろうか。
・自慢ばかりする人
・自分を特別な存在だと思っている人
・自分の考えを理解できない人を見下す人

簡単に言えば、「俺は天才!お前らはバカ!」みたいな態度を取る自己中をイメージしてほしい。

専門的な話になるが、自己愛性パーソナリティ障害*1は、大きく分けて2つに分類される。
1つ目は、誇大型であり、先述したような人を指す。特徴を一言で挙げるならば、所謂ナルシシストという事だ。
2つ目は、(あまり知られていないが)過敏型である。過敏型の人は、他者から嫌われる事を極端に恐れ、外界へ対する対抗策として仮面や鎧をつける。 アスパーは、本来の自分との間にある疎外、自己疎外にも着目している。つまり、ペルソナ*2によって適応してきた分だけ、過敏型の人の本来の自分は遠くに追われ封印されてしまったものの、ほんとうの自分は見捨てられた内なる子どもとして、ひそかに生きながらえていると述べている。



ここまで論じて何となく見えてきたかもしれない。

つまり、どちらかというと、中須かすみは誇大型、桜坂しずくは過敏型に分類されるのではないか、と主張したい。
ただし、ここで1点留意点がある。それは、決して中須かすみや桜坂しずくが自己愛性パーソナリティ障害の診断を受けるだろうという事を主張しているわけではないという事だ。あくまでも、この上なく極端な例で両者を対比しやすくするために持ち出したのが自己愛性パーソナリティ障害である。

桜坂しずくと中須かすみの対比


中須かすみー誇大型 
 ・自分のことをかわいいと信じている女の子

中須かすみちゃん、誇大型か??という意見もあるだろうが、中須かすみちゃんが所謂ナルシシストとして見做されるのもまあ分かるな...って方は多いのではないだろうか。余談だが、無敵級*ビリーバーのPVには鏡に映った中須かすみの姿が登場することによっても示唆される(詳しくはギリシャ神話を調べてください)。

桜坂しずくー過敏型 
 ・人から嫌われるのを恐れ、皆から好かれるために”良い子”の"演技"をして”ほんとうの自分”を隠している女の子

こちらは非常に分かりやすいのではないだろうか。
ちなみに、桜坂しずくー過敏型 を示唆するものは他にもある。例えば、① "あなたの理想のヒロイン(TVアニメ1期8話)"、は、相手の嗜好に合わせ、あなた(≒皆)から好かれたいと捉えられなくもない。②1期8話で表れた所謂”黒しずく”は仮面=ペルソナをつけている。などが挙げられる。

...またまた余談だが、桜坂しずくみたいな人、周りにいそうだな~と思うかもしれないが、日本人には過敏型が多い印象がある。日本には、「出る杭は打たれる」ように同質性が重視される、周囲の反応を気にして本来の自分を出せない、個よりも場を尊重しがち、つまり付和雷同的な傾向があるように思える。最近、やたら書店で自己肯定感やら周りを気にしない方法やらの本が出ているが、これらの存在も日本人に過敏型が多い事を示唆しているようにも見える。
一方、中須かすみのような人は周りにあまりいないのではないか。*3

桜坂しずくと中須かすみの共通点


さて、核心へと足を踏み入れてみる。つまり、なぜ、中須かすみと桜坂しずくは”似ている”と言えるのだろうか。これも、自己愛性パーソナリティ障害という極端な例を持ち出すと分かりやすい。

誇大型ー過敏型、この2タイプは両極に位置しているように見える。しかし、双方の根底には、自信のなさ、自分を好きになれないこと、傷ついた心、劣等感があるのだ。
つまり、誇大型の人のこうした態度は、自信のなさや劣等感を覆い隠すハリボテのようなものである。自分は凄いんだぞ!と言いつつ本当は自分に自信がない...みたいな人は探せば割といる気がする。
一方で、過敏型の人はそのまんまである。過敏型の人の根底には皆から好かれたい、嫌われたくないといった想いがあり、故に強烈なペルソナによって周囲に過剰に適応する形で存在する*4。相手に嫌われたくないから、相手の無理な要求にも応えてしまうし良い子ちゃんになってしまうのだ。

これは、中須かすみと桜坂しずくにも当てはまる。

桜坂しずくについては説明不要であろう。1期8話を見れば。

中須かすみについては、

一人ぼっち歩く夜 ため息を繰り返してる
キラキラ イルミネーション
まぶしくってあのコみたい
「努力しても追いつけないのかな」(無敵級*ビリーバー)

しず子、かすみんの前髪、変じゃないですか?(1期13話)

などから示唆される。ちょっと説明に苦しいものがあるが、これは1期8話における”しずかす”のやり取りを見るに、中須かすみが桜坂しずくよりも、自分を好きで自信を持っていたことがストーリーを進める(桜坂しずくが立ち直る)ことに必要だった故かもしれない。2期で中須かすみがめちゃくちゃ落ち込んで今度は桜坂しずくが助ける、みたいな展開、ないですか?

まとめ


このように、2人は対照的かつ似た者同士でもある、という事が、”しずかす”がオタクの頭の中だけではなく実際に成り立つような描写が描かれる理由だと考えられる。

これを踏まえると、1期8話の”しずかす”は特別に深いやり取りであったとも読み取れる。中須かすみ→桜坂しずくの台詞は、同じ辛さを抱えるからこそ、真に桜坂しずくの胸に刺さったのかもしれない...と想像(妄想)を広げる事ができるのだ。もしかしたら、中須かすみが桜坂しずくへ言い放った台詞は、中須かすみ自身にも(言い聞かせる形で)突き刺さっていたかもしれない。他の誰でもなく、中須かすみだったからこそ、桜坂しずくの仮面を取る事ができたのかもしれない。

最後に


....ちなみに、1期8話の中須かすみの台詞は、割とその通りである。過敏型の人は、嫌われたくない、皆から好かれたいという想いを持っているが、現実それは不可能である。皆から嫌われる人なんていない。その事実を受け入れ、嫌われないためにつけている不自由な仮面、本当の自分を隠している仮面をはがす事が一般的に必要である。しかし、長い間強固に貼りついていた仮面はそう簡単に剝がせない。
仮面が取れる、つまり雪解けのためには、"本当の自分を見せてもこの人は私を嫌わないだろう、ありのままの自分も受け入れてくれるだろう" と確信できる相手の存在が助けになる。それはつまり、桜坂しずくにとっては中須かすみという存在であろう。

その結果、1期8話の最後、桜坂しずくは

ほんとうの私を、見てください

と言えるようになったのかもしれない。

*1:精神障害の診断には操作的診断基準といったものが用いられる。簡単に言えば、以下の内容(一般に、その精神障害に顕著に表れる内容)に〇つ以上当てはまったら診断される というものである。 自己愛性パーソナリティ障害の診断基準は、以下のうち5つ以上当てはまる場合に診断されうる。 ①自分が重要であるという誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する) ②限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。 ③自分が”特別”であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達(または団体)だけが理解しうる、または関係があるべきだ、と信じている。 ④過度な賞美を求める。 ⑤特権意識(つまり、特別有利な取り計らい、または自分が期待すれば相手が自動的に従うことを理由もなく期待する) ⑥対人関係で相手を不当に利用する(すなわち、自分自身の目的を達成するために他人を利用する)。 ⑦共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。 ⑧しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。 ⑨寛大で傲慢な行動、または態度

*2:周りの人へ見せている自分のこと。オタクの前で見せる自分と、上司の前で見せる自分は異なると思われるが、相手や状況に応じて使い分けられる自分のことをペルソナと呼ぶ。

*3:またまた余談かつ専門的な話になるが、パーソナリティ障害にはいくつか類型があるものの、全般的に、①その人の属する文化からの偏りが重視される事、②それらの様式が長期間に渡って維持されている事、③他疾患の要因が否定される事、の3つが特徴的である。日本人の控えめを良しとする文化の場合、中須かすみのような存在は偏っていると判断されそうであり、特異的に見られそうでもある。

*4:ちなみに、セラピーの場における過敏型の人は、周囲の人への接し方と同じようにセラピストに接するため、”良いクライエント”になってしまう。セラピストの思う通りに変化してくれるのだが、それは必ずしも良い事ではなく、むしろクライエントの纏う鎧によって根本的な原因に触れられていないため、セラピストは安心してはいけない。

歌詞考察① Love TriangleーDiverDiva

ご無沙汰しております。ブログを2年弱ぶりに更新する事にしました。

今回は、DiverDivaの「Love Triangle」という曲について語っていきたいと思います。

 
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あらすじ


なぜ書こうと思ったかというと、今日好きな人とお茶をして辛くなったから。俺の好きな人には既に恋人がいるらしい、マジで四条眞妃になっちゃった。

 
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いや話しててめちゃくちゃ死ぬほど楽しかったんですが、別れて電車に乗ってる最中に無性に虚しさだけが沸き上がってきちゃった。


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その時、無意識に、DiverDivaの「Love Triangle」を聞いていました。

 

 

そこで、来た。これになった。

 

 

 

今ならできるよね

領 域 展 開

 

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...というわけで、書くモチベーションがモリモリ湧いてきて、明後日提出しなきゃいけない課題があるにも関わらず「Love Triangle」の歌詞考察記事を書く事にしました。

主観しかない考察、妄想になりますがどうぞよろしくお願いします。 

 

前提としての理解

まず、ラブライブ!を考えていくうえで私が大事にしていること、前提としている条件を記します。これに基づいて考えていきます。

それは以下の2つが挙げられます。

 

(ほぼ)すべてに意味、意図がこめられている
(歌詞考察では)歌っている人の主観や心にある想いが主に反映、投影される
 

1について。アニメについてもそうなのですが、ラブライブ!に限らず何かしら創られたもの、創作物には創った人の意図が込められていると思うんです。ラブライブ!においては特に。

アニメの描写や歌詞、には、わざわざそれを選択した理由がある

つまり、テーマ性など(巨視的に)解釈するうえでは、

(類語が数多く存在する中で)なぜこの表現なのか

なぜこのキャラクターがこの曲を歌っているのか(属人性とも言える)

 

これが重要なポイントになるという立場を取っています。その上で、曲を歌うに至った

勿論、これは絶対的な真理とかではないです。あくまで私の意見です。

 

2について。そのまんまです。概ね、その曲を歌っている人の内面や認識、考えなどが(少なくとも暗に)反映されています。ある種自分を物語ったものがその曲の歌詞とも言えます。これは「Love Triangle」を考える上では特に重要とも言えます。

 

ではこれを踏まえて、「Love Triangle」を考えていきましょう

 

 

歌詞考察


まず、歌詞を下に書きます。

 

Thinking about you...

all day, all night...
Thinking about you...

Love Triangle...

キミとあのコと私の事情
平和的解決はムリなのかな
誰にもキズついてほしくないし
キズつきたくなんかないけど

キミってば素敵
あのコは魅力的

(かなり魅力的)
二人は完璧!?
自信なくしちゃう…

ひとつだけ言えること
キミを好きな気持ちは
誰にも負けない あのコにも
いつかきっと叶うって信じてる

Oh! Love Triangle
夜空に光る星がみっつ
Love Triangle
そっと指でなぞり願う
ふたつを囲んで 描くハートマーク
思い… 届いて…


Love Triangle 
キミの理想になりたくって
Love Triangle
どうか振り向いて欲しくて
近づけそうで まだ遠くって
私たちまるで Winter Triangle

Thinking about you... all day, all night...
Thinking about you... Love Triangle...

キミはどんな服が好きかな
髪型もちょっと変えてみようかな
鏡の前でああでもないこうでもない
ずっと無限ループ

キミったら優しい
あのコにも優しい

(すっごく優しい)
みんなに優しい!?
やきもきしちゃう…

ふと目に留まった Love Fortune
“ライバルの存在に注意”
恋の神様 イジワルしないで
チャンスはまだあるって信じたい

Oh! Love Triangle

キミがあのコ好きになったら
Love Triangle
私 応援できるかな
キリがない想像 繰り返しては
胸が… 痛んで…


Love Triangle
「ただ大好きでいられたらな」

Love Triangle
ため息ついて 目を閉じた
甘く切なく こぼれた涙の訳を
知ってるのは Winter Triangle

恋の行方 教えて欲しいよ Stars

Oh! Love Triangle 夜空に光る星がみっつ
Love Triangle そっと指でなぞり願う
ふたつを囲んで 描くハートマーク
Make a wish upon a star


Love Triangle キミの理想になりたくって
Love Triangle どうか振り向いて欲しくて
近づけそうで まだ遠くって
私たちまるで Winter Triangle

 

今回の着眼点は、以下の4点です。

曲のテーマ性
登場人物の関係性
歌詞の表記
その他

 


1 曲のテーマ性

これは言うまでもないかなと。恋愛における三角関係です。その頂点の1つである”私”視点の曲。”私”の”キミ”に対する強い想いと三角関係であることによる悩み、これらによる葛藤が等身大に描かれています。

 

キミの理想になりたくって

どうか振り向いて欲しくて

「ただ大好きでいられたらな」 

これらの歌詞がまさにこの曲を代表していると思います。こうした希望を切なく呟く感じが素晴らしい。

 

2 登場人物の関係性


割と当たり前な事しか書きません。

この歌詞の表記を用いると、主要な登場人物は以下の3人


キミ
あのコ
言わずもがなですが、この3人の関係はおそらく、"キミとあのコ"の”二人”の関係が良い感じ、そして、「”私”の認識では」、”二人”は付き合ってはいない。そして、”キミ”への叶わない想いを寄せるのが“私”だと感じました。”私”と”あのコ”の関係は少なくとも互いに知り合い。普通に親しい仲なのではと思います。なぜなら

 

キミとあのコと私の事情
平和的解決はムリなのかな
誰にもキズついてほしくないし
キズつきたくなんかないけど

 

 だからです。仮に互いに面識がないなら、平和的解決ができるかどうかで悩まないと思いました。するわけないやろと。面識も関係もあるからこそ穏便に済ませたい感じもします。そういう性格とも言えます。

 

ただ、気を付けてもらいたいのは、この曲はあくまで”私”視点の曲であるということ。

故に、もしかしたら”キミ”と”あのコ”は既に付き合っていてその事を”私”が知らなかったり、“キミ”が”私”を実は好きで、”あのコ”も実は、”私”と同じことを思っているのかもしれないです。もう少し言うと、”私たち”もあくまで”私”の認識なんですよね。

 

勿論、これは分かりません。想像で物事を言っています。ただ、(意図が込められた)歌詞を見るに、”キミ”と”あのコ”の関係が実際に良い感じなのは間違いないと思います(少なくとも、”キミ”や”あのコ”が、”私”をどう思っているのか確かな事は書かれていないので)。その”二人”の関係を示唆するのが、表記になります。

”私”は漢字表記なのに、“キミ”と”あのコ” とカタカナ表記になっています。

これは勿論、”私”の性格上、何かとカタカナ表記になるという線も考えられます。”私”視点で”二人”を語るので、表記を統一するのも自然かも。果林ちゃんと愛さん、実際めちゃくちゃ言ってそう。

ただ、やはり一人称が”私”なのは違和感があるというか。”キミとあのコ”は語感が良いというか表記上、親和性が高そうなんですが、”私とキミ”はどこか対照的というか、少なくとも同じ道ではない印象があるんです。

 

と考えると、やはり”キミ”と”あのコ”は良い感じで”私”はそんな”キミ”に想いを寄せているのでは。俺はつらい。耐えられない。

 

3 歌詞の表記

表記、はスパイスのようなものです。何か目的があって歌詞の意味内容を飾る。

先ほども触れましたが、”私”や”キミ”や”あのコ”という表記もその通りです。

例えば、”私”の意中の相手の”キミ”という表記。二人称なわけですが、”あなた”や”君”という言い方もあるはずです。わざわざ”キミ”という表記を使ったのは間違いなく意図が込められている。つまり、”キミ”というカタカナ表記が持つイメージが重要だと思います。

 

漢字表記と比較すると、カタカナ表記って音が重要なんですよね。”君”が読めなくても”キミ”なら読める。そして、軽快でリズミカルな印象を与えるわけです。漢字とひらがなが基本の文章に適度にカタカナ表記があれば全体として整った感じすらする。多いとくどい。

このように、カタカナは(意味内容は無視して)歌詞を文章として見た場合の美しさを出している側面もありますが

 

「Love Triangle」の歌詞においては”私”の性格や”キミ”、”あのコ”との関係性をも示唆すると思っています。

”キミ”とカタカナ表記で呼ぶ事から、2人はそこそこ距離が近い、仲良いのかな?と読み取れます。慣れ親しく呼んでいる感じ。普段から人をそういう風に呼ぶ感じの人なのかも。

そして、先述した通り”あのコ”と私も仲は良さそう。ただ、”あのコ”という表記からはどこか距離を微妙に遠ざけている印象も抱くわけです。女性の3人称である”彼女”ほど第三者的に置いているわけはない、むしろ互いに仲は良さそうなんですが、”あの”(that)を使っている事からも(おそらく三角関係故に)”ライバル”になる以前とは違った、微妙な距離だと「認識している」と感じられます(勿論、物理的距離が遠い事も示していると思う)。

ちなみに、”Winter Triangle”と「3つ(3人)」がまとまってひとつと認識している点からも自分の関係者ではあるんだけど、”ふたつを囲んで描くハートマーク”と「残りひとつ」である”あのコ”を結果的にでも排除したいという想いも見え隠れするわけです。これは、”私”と”キミ”の距離を表している歌詞と思われる、

近づきそうで まだ遠くって

とも多少リンクする部分もあると思います。別に”あのコ”と絶縁したいわけでもないんです。

 

他の表記も、特に語尾が細かくて

 

Thinking about you...

 自信なくしちゃう...

思い...届いて... 

  と、三点リーダー(...)を使ってどこかその歌詞がどこまでも続いていく感じや余韻を残し、切に願っているんだと言う事を強調したり。

 

キミはどんな服が好きかな

髪型もちょっと変えてみようかな

 

 

 

つまり、”~かな”と、自分自身の意志を確認する、自問する表現が多いんですが。

一方で

平和的解決はムリなのかな

私 応援できるかな 

 これらの”~かな”は先述のそれらと「自分自身に問いかける」という共通点はあれど、少し違う感じがしていて。簡単に言えば2つ出たうちの前者は、語尾に「ちょっとやって見よう」が入りそうなんですが、後者は「できないかも...」という真逆のニュアンスがあるような気がするんです。迷いや不安があるという印象。”私”→”キミ”の場合と違って”あのコ”が入る三角関係だと揺らぐという曲のテーマ性をさりげなく表している気がしました。

 

 

4 その他

歌詞を前から順に考えてみました

誰にもキズついてほしくないし
キズつきたくなんかないけど

この歌詞からは、争い事を避ける、つまり相手を思いやれる優しい性格である一方で、そのために自分が身を引くという選択肢は取らない、譲らない様子が伺えます。”私”の恋愛感情は捨てないんです。 

あのコは魅力的

(かなり魅力的)

 わざわざ”かなり”とつけて繰り返しているあたり相当強い恋敵なんだなと感じられます。まさに、

二人は完璧!?
自信なくしちゃう…

と思うほどに。ただ、”完璧⁉”と疑問符もあるあたり、「負け前提で戦う」のではないと感じられます。

 

ひとつだけ言えること
キミを好きな気持ちは
誰にも負けない あのコにも
いつかきっと叶うって信じてる

自分が恋愛において身を引かない決意や自負がここでは表れています。歌詞に”~かな”と散々自問して悩んでいるんですが、”いつか”ではあるけれども、”きっと叶う”と”信じてる”んですよね。つまり、負けそうと思いつつもいやそんなことない、、!ってあきらめないいうか、火がまだ灯っている様子が伺えます。

 

Oh! Love Triangle
夜空に光る星がみっつ
Love Triangle
そっと指でなぞり願う
ふたつを囲んで 描くハートマーク
思い… 届いて…

”そっと指でなぞり願う”あたりは、情景がありありと浮かび上がる秀逸な表現だと思います。2人の歌い方からしても、感情がめちゃくちゃこもっている事が分かります。

 

Love Triangle 
キミの理想になりたくって
Love Triangle
どうか振り向いて欲しくて
近づけそうで まだ遠くって
私たちまるで Winter Triangle

”キミの理想になりたくって”という言葉は、2番始めの、”私”が”キミ”と結ばれるための行動を示唆していたり、現実と理想という対比、つまり”現実”では未だ”キミの理想”にはなっていない事、もっと言えば「(将来的にも)叶わない」”理想”をも示唆していたりします。つまり、この表現からは”キミ”との関係性だけではなく、”私”の人間性も垣間見えるわけです。

キミはどんな服が好きかな
髪型もちょっと変えてみようかな
鏡の前でああでもないこうでもない
ずっと無限ループ

好きな人のために努力して自分を変えようとする自分。勿論どれが”キミ”に刺さるかなんて分からないんですよね... ここは珍しく”私”と”キミ”の二者関係のみ表れています。 

キミったら優しい
あのコにも優しい

(すっごく優しい)
みんなに優しい!?
やきもきしちゃう…

 ”私”だけではない、特別扱いされたい気持ちも裏に見える気がします。

”私”だから、優しいわけではないんだと。そういった想いの強さが”(すっごく)”という表現にも表れている感じはします。”やきもきしちゃう...”は、”キミ”のせいだと恨む気持ちもありつつ、好きな”キミ”を恨み切れず多少の自己嫌悪も生まれてそう。

 

ふと目に留まった Love Fortune
“ライバルの存在に注意”
恋の神様 イジワルしないで
チャンスはまだあるって信じたい

一番の同箇所と違って、”信じたい”と多少弱気になっているんですよね...

希望は捨ててはいないんだけど、”信じてる”という自信は無くなってる、揺れ動きの中で沈んでる状態な印象。 

Oh! Love Triangle

キミがあのコ好きになったら
Love Triangle
私 応援できるかな

 いや厳しいんじゃないですかね...

実際これになったら、”私”は表面では応援しつつも振られる事を祈る気はします。そうした自分に対して自己嫌悪に抱きそう。良い子そうですし。

 

キリがない想像 繰り返しては
胸が… 痛んで…

臨床心理学的に言うと、嫌な事を繰り返して考えると病みます。ネガティブな反すうという言葉になるんですかね。

 

Love Triangle
「ただ大好きでいられたらな」

1番の同箇所と同じく、この曲を代表する歌詞。

「ただ大好きでいられたらな」

とは、つまりただ大好きでは済まされない。”あのコ”との関係悪化や”キミ”と”あのコ”との関係性で思い悩むことになっちゃうんですよね。どう転んでも角が立つというか後悔するというか、そういう感じ。

 

恋の行方 教えて欲しいよ Stars

 ここで注意すべきなのは、”私”は全面的に神頼みなわけではないという事だと思います。精一杯努力しつつ神頼みになっているので、この表現はむしろ”私”のいじらしさや一途さが際立つ感じがしました。

 

Oh! Love Triangle 夜空に光る星がみっつ
Love Triangle そっと指でなぞり願う
ふたつを囲んで 描くハートマーク
Make a wish upon a star

マジで違うとは思うんですが、”Make”が”May”に聞こえました。願望を表すMay。


 

蛇足

外濠から攻めるならば、Love Triangleは

朝香果林と宮下愛、つまりDiverDivaというユニットで歌う曲である
DiverDivaの1stシングル、「SUPER NOVA」のB面の曲である
 

1 について。先述した通り、ある曲にはその人が歌うという事に何らかの意味が込められていると思っています。これは虹ヶ咲のアニメの挿入歌を見れば良く分かると思いますが、要するにコンテキストが重視されます。今回は、「朝香果林と宮下愛の2人、DiverDivaというユニット」が歌う曲という事が重要になってきます。

ただ、これは私の感想ですが、ラブライブ!の場合、ユニット曲はアニメ挿入歌とは違ってその曲を歌うに至るまでの経緯やコンテキストがあまり重視されない印象があります。例外もありますが(例えば、Aqoursで言うとTVアニメ2期Blu-ray全巻購入特典曲)。なので、その子、その2人、が歌っていることに意味が多少なりとも見いだされると思います。となると、朝香果林と宮下愛という2人がどのような子なのかという内容が重要になって来ます。とはいえ2人のイメージは言わずもがなみたいなところがあるので、この2人の組み合わせについて考える事にします。

一言で言うと、この2人は

対照的、両極に位置する

と思います。以下の記事からも垣間見えるように、月と太陽のような両極に存在する、対照的な2人だと思っています。
gs.dengeki.com

(一方で、対照的な2人には共通点が存在するのは世の常であり、この2人も例外ではないと思います。というのも、二人ともカッコいい、クールなんですよね...)

 

2について。一般的にA面はそのアーティストの「顔」とも言える、そのアーティストを代表する曲で、B面は前面には出ないけどこういう所もあるんやぞ って印象が私にはあります。もう少し言うと、A面とB面は同じアーティストを違う角度から見た曲とも言えます。DiverDivaの1stシングルのA面は「SUPER NOVA」という曲ですが、この曲からああDiverDivaってこんな感じなんや...というイメージをまさに前面に出すわけで、「Love Triangle」はB面、つまり副次的な、でも非常に重要な特徴を意外な角度から提示するという意味を持っているのかも。

 

これらから、B面である「Love Triangle」はどこかA面とは違うというギャップというか、果林ちゃんと愛さんの対照的な様子も歌詞のいじらしさを感じさせるのに一役買っている感じもしました。

 

 

...モチベーションが途切れてしまったのでここまでにします...2ndのライブ映像出たら振付もこみで考えます。